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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Crooked Man 背中の曲がった男 6

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
大事な用で来た旨をつけて名刺を渡すと、すぐさま目的の男と対面できた。
その男は暖かな気候にもかかわらず暖炉の上へ屈み込み、おまけに小さな部屋は竈のように蒸し暑かった。
男は椅子に全身を曲げて丸めて座っており、その姿勢が言いようのない印象を与えるのだった。しかし私たちに向けた顔はしぼんで汚れてはいるが、往時は美男と謳われていたに違いないものであった。
こちらを訝しげに見つめる目からは怯えと気難しさがうかがえ、無言で立ち上がりもせずに手で椅子ふたつを示した。
「ヘンリ・ウッドさん、インドからお帰りになったばかりで。」ホームズの愛想のいい声。
「バークリ大佐死亡の件で参りました。」
「私が何か知ってると?」
「そのことを確かめに。
ご存じとは思いますが、この件が片づかない限り、あなたの旧友のバークリ夫人が殺人で裁かれることが濃厚なのです。」
 男がひどく震える。
「何者かは知らん。」男の大きな声。「どうやってそれを知ったのかもわからん。だが今言ったことは真実と誓うか?」
「ええ、意識を取り戻し次第、逮捕される予定です。」
「なんと! お前は警察の味方か?」
「いいえ。」
「だったらどういう用件だ。」
「正義を見届けるのは万人のつとめです。」
「ならば信じていい、彼女は無実だ。」
「では、あなたが犯人?」
「私じゃあない。」
「ではジェイムズ・バークリ大佐を殺したのは?」
「ただ神の御心が命を奪ったのだ。
いや、そうだな、私が心に従ってやつの頭を叩きのめしたところで、私にしてみれば当然の報いだったろう
。罪の意識がやつを打ちのめさなかったら、私の魂がやつの血にまみれるなんてことも確かにありえただろう。
私に話をしろと言うのだな、わかった、断る理由はない。恥ずべきことは何もないのだから。
 経緯はこうだ。
今でこそ私は、背が駱駝で両足が捩れているが、当時はヘンリ・ウッド伍長といえば一一七部隊一の伊達男だった。
そのとき我々はインドの兵営、ブーテーと呼ばれるところにいた。
先日死んだバークリも私と同じ中隊の軍曹で、そして連隊の華、ああ、唇に息吹き持つなかでもいちばんの美女、それがナンシィ・ディヴォイ、軍旗軍曹の娘なのだ。
その娘を愛した男がふたりいて、ひとりは娘に愛された。笑いたければ笑え、お前らの目の前、この火のそばにいる哀れな猫背男は、そうだ、美貌のゆえ彼女に愛されたのだ。
 そう、彼女の心は私にあったが、その父はバークリと結婚させようと決めていた。
私は向こう見ずで無鉄砲な若者だったが、やつには教養もあれば出世も約束されていた。
だが本当に彼女が誓ったのは私、だから彼女は私のものになるはずと思っていた矢先、あの大反乱が勃発し、国じゅうが地獄絵図と化した。
 我々はブーテーに籠城、こちらは我ら連隊と砲兵半個中隊、シーク教徒の歩兵中隊に多数の文民やご婦人方で、
そして周囲には一万人からの逆徒がいて、しかもねずみ取りを囲んだテリアの一団ほどに凶暴だった。
二週目あたりに飲み水が尽き、内地進軍中のニール将軍の縦隊に連絡が取れるか否かが問題となった。
それが唯一の手だてで、女子どもを擁しては戦闘して切り抜けるわけにもいかず、そこで私が外へ出てニール将軍に危急を知らせようと名乗り出た。
私のこの申し出は容れられ、バークリ軍曹と相談を。やつは誰よりも土地勘があるようだったから、逆徒の包囲網の抜け道を考えてもらったのだ。
その晩の一〇時、私は旅路についた。
救うべき生命が千もあったというのに、ただひとりのことだけを考えて、その夜、私は城壁を飛びおりた。
 進路は干上がった川筋で、そこなら敵の歩哨から姿を匿ってくれると思ったのだ。ところがある角を這って曲がると、歩哨六人と鉢合わせで。相手は闇のなかうずくまって待ち伏せていた。
すぐさま私は一撃を食らって気絶、手足も縛られ。
しかし本当の打撃は頭でなく心に対してだ。彼らの話がわかる程度に意識も聴力も戻ると、聞こえてくるのは、我が戦友、つまり私に進路を示した当の男が現地人のしもべを使って私を敵の手中へと売り渡したということだった。
 まあ、このあたりの話を長々と話す必要はない。
ジェイムズ・バークリのやり方はもうおわかりだろう。
ブーテーは翌日ニールの手で解放されたが、逆徒らは退却時に私も連れて行き、そのあと白人の顔を再び見るまでそれは長い年月だった。
拷問され逃げだそうとしたが、捕まってまた痛めつけられ。
どんな有様になったかはご覧の通りだ。
ネパールへ逃れた者がさらに私を引き連れていき、そののちはダージリンの先まで。
そこで私を連れてきた逆徒は山の民に殺され、私は奴隷になったがほどなくして脱走、だが南には行けないから北へ。気づけばとうとうアフガンのなかだ。
何年もそのあたりを放浪し、最後にパンジャブへ帰ってきて、そこで現地人に混じってほとんどを暮らし、覚えていた手品で生計を立てたのだ。
こんな猫背野郎がイングランドに戻って、昔の戦友たちに名乗り出たりして、今さら何になろう。
たとえ復讐心があったとしてもそんなことはしやしない。
ナンシィにも昔馴染みにも、ヘンリ・ウッドが背を伸ばしたまま死んだと思われた方がいい。チンパンジーみたく杖ついて這って生きるのを見られるくらいなら。
みな私が死んだと疑わないし、そうあってほしかった。
バークリとナンシィとが結婚したこと、やつが連隊で急速に出世したことも聞いた。それでも私は何にも言いやしない。
 だが人間も年を取ると、故郷が恋しくなる。
長いあいだ、私はあの輝かしい緑の原野とイングランドの生垣を夢見ていた。
とうとう死ぬ前に一目見ようと決心したのだ。
渡るに必要な金を貯め、そうして兵士たちのいるここへやってきた。兵士の気心や笑いどころならわかるし、それなら生きる分は稼げるからだ。」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
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