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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション

A Study In Scarlet 緋色の研究 第一部 第二章 3

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 その筆によると、「論理的な思考をすれば、一滴の水から大西洋やナイアガラといったものの可能性を、どちらの見聞がなくても導き出すことができる。
すべて現世はひとつの大いなる鎖、一つの輪さえ知らば、おのずと本質も知れる。
他の技芸と同様に、分析と演繹の学問も不断の努力修練の末、得られるものだ。名人の域に達するまでには、人生はあまりにも短い。
この道を求める者は、最も難解な精神面の推理を始めるより先に、初歩的な問題をこなすことから始めるといい。
ある男性と出会ったときに、まず一目で男の経歴から職業まで見て取れるくらいにはなるべきだ。
かかる訓練は面倒かもしれないが、ひいては観察能力をとぎすませ、目のつけどころを教えてくれることとなる。
男の指の爪から、上着の袖、靴、衣服の膝、人差し指と親指のたこ、表情、シャツのカフスにいたるまで、そのひとつひとつが男の職業をありありと物語っている。
これらを総合しても、しかるべき求道者の光にならないとなれば、それこそ驚天動地というものである。」
「なんたる妄言綺語!」と私は雑誌をテーブルに叩き付けた。「こんな屑記事、生まれて初めてだ。」
「何のことだ?」とシャーロック・ホームズが訊いてきた。
「いやなに、この記事だよ。」私は食卓に落ち着くと、卵用の匙で指し示す。
「君が読んで、印を付けたんだろ? 
うまく書けているのは認めるが、癪に障る。
どうせ書斎に引きこもって、肘掛椅子にもたれかかりでもして、筋が通るようこんなちんけな逆説をこしらえたんだろう。
実用には向かんよ。
こいつが地下鉄の三等客車にぶち込まれて、同乗者全員の職業を当ててみろ、なんて言われるところを見てみたい。
こいつの負けに千倍賭けてもいい。」
「金の無駄だ。」とホームズの平板な声。
「その記事だが、僕が書いた。」
「君がか!」
「そう、僕は観察と演繹の才を兼ね備えている。
僕がそこに書いた理論は、君には鵺みたいな話に思えるかもしれないが、実用も実用――実用的すぎて僕はこれでパンとチーズを得ているくらいだ。」
「どうやって?」と私は不本意ながらも尋ねる。
「まあ、これが僕の生業でね。
おそらく世界中に僕一人、
諮問探偵なのだ、と言っても君にはわからないだろうね。
ここロンドンには多くの刑事探偵と、多くの私立探偵がいる。
この人々が窮すれば、たちまち僕の元へ軌道修正してもらいに来るのだ。
証拠はみな向こうで揃えてくるから、僕は犯罪史の知識をたぐるだけで、大抵はまっすぐにできる。
悪事には強い同族的類似性があってね、一〇〇〇の事件の詳細を自家薬籠中のものにして、一〇〇一番目の事件が解けないとすれば、それこそ奇妙な話。
レストレードは馴染みの刑事で、
彼は目下、偽造事件の煙に巻かれている最中。だから僕の元へ来た。」
「なら他の人たちは?」
「おおかた民間の興信所から回されてきた人々だ。
みな何かしら厄介事を抱えて、ささやかな解決を望んでいる。
僕はその話を聞き、人々は僕の意見を聞き、さすれば報酬は懐の中。」
「だが本気かね? では君は部屋を出ずして謎が解けると言うのか、他の人間は事細かに知っていたにもかかわらず、まったくお手上げだったというのに。」
「無論。その筋なら、ある種の直観力がある。
時として少々込み入った事件が出来することもあるが、
そのときは動き回って、直に物事を見ねばならんよ。
ほら、僕には豊富な知識があるから、問題に当て嵌めて事を格段に処理しやすくできる。
この記事にあるような、これら演繹推理の公式。君にはあざけりの対象でも、僕にしてみれば、実地におけるその価値は何物にも代え難い。
僕の観察力も二つ目の天分だ。
君は驚いていたね、初対面の時、アフガニスタン帰り、などと僕が言ったものだから。」
「人から聞いたに決まっとる。」
「そんなことはない。わかったのだ、君がアフガニスタン帰りだと。
いつもの癖で、一連の思考が頭を一瞬で駆けめぐって、中の段階を意識せずに結論へと行き着く。
ただ中間がないわけではない。
一連の推理を追うと、『ここに医師風の男がいる、だが軍人の雰囲気もある。では軍医なのは明らか。
彼は熱帯地方から帰ってきたばかりだ、というのも顔が黒いが、地肌でない上、なにしろ腕が白い。
彼は艱難病苦を経験している、やつれた顔がなによりの証拠だ。
左腕を負傷していて、ぎこちなく不自然な動きをしている。
熱帯地方のどこに、英国軍医が苦難を経験し、腕に負傷を受けてしまうような所がある? 
アフガニスタンをおいて他になし。』すべて一連の思考は一秒に満たない。
そしてアフガニスタン帰りだと僕が開口すれば、君は驚いたという次第。」

 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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