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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション

A Study In Scarlet 緋色の研究 第一部 第四章 3

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「どこに隠れておれを見てた?」と声を荒げる。
「やけに詳しいじゃねえか。」
 ホームズは一笑し、名刺を机向こうの巡査に投げてよこした。
「僕を殺人で逮捕しないでくれたまえ。
僕も一匹の猟犬であって、狼ではないのだ。グレグソンくんやレストレードくんが説明してくれるだろう。
さて続きを。次の行動は?」
 ランスは座り直したが、依然、腑に落ちない顔をしていた。
「おれは門に戻って、呼子を吹いた。
マーチャがやってきて、ふたりでまた現場に。」
「その時、通りに誰か?」
「いや、誰も。まともなやつって意味ではな。」
「どういう意味だ?」
 巡査は満面の笑みを浮かべた。
「おれも人生、いろんな酔っぱらいを見てきたけど、あの野郎ほどひどいのは見たことがねえ。
野郎、俺が出てきたとき、門のところにいて、柵にもたれながら、コロンビーナの流行旗、とかそんな感じで腹の底から唄ってやがって、
支えてやらんと、立つのもままならねえでさ。」
「どんな感じの男だ?」とシャーロック・ホームズ。
 ジョン・ランスはこの脱線のような質問にいくぶん苛立ったようで、
「度の過ぎた酔っぱらいだよ。
手が塞がってなきゃ、とうに署のなかさ。」
「顔――身なり――気づいたことは?」とホームズはしびれを切らして割り込む。
「気づくもなにも、おれ――おれとマーチャがふたりでやつを起こさにゃならんかったんだ。
やつは長身だな、赤ら顔で、顔の下半分に布を巻いて――」
「結構。」とホームズは声を張り上げる。
「その後、彼は?」
「そんなやつの面倒を見る暇なんてありませんよ。」巡査は機嫌を悪くする。
「どうせまっすぐ家に帰ったんでしょうに。」
「茶褐色の上着。」
「手に鞭はなかったか?」
「鞭? いいや。」
「置いてきたのだな。」と同居人は呟いてから、
「その後、馬車の姿や音はなかったかね?」
「いいや。」
「では半ソヴリンだ。」と同居人は言い、立ち上がると帽子を取った。
「残念だ、ランス――それでは警察で昇進できない。
君は頭を飾りにせず、使うべきだ。
そうすれば昨晩のうちに、巡査部長の縞へ増やせたものを。
君が腕に抱えたその男は、この事件の手がかりを握り、かつ我々の捜している男なのだ。
今更言っても仕方ないが、そういうことだ、と告げておこう。行こう、博士。」
 相手としては信じがたく、不快感を禁じ得なかったであろうが、我々はそのままふたりして馬車に戻った。
「とんちきだ。」とは、ホームズが下宿への帰りざまに言った辛辣な一言である。
「考えてもみたまえ、あの男は一生に一度かもしれぬ幸運を手にしながら、逃してしまったのだ。」
「私にはまだ雲をつかむようだ。
その男の人相が、君がこの事件に係わるとした人物と符合している、それはわかる。
しかし、どうしてその人物は離れた後、また家に戻ってこなければならなかったんだ? 
犯罪者のやり口じゃあるまい。」
「指輪だ、君、指輪なのだ。そのために舞い戻った。
万策尽きたとしても、この指輪でいつでも罠を仕掛けられる。
やつはいずれ、僕の手に落ちるよ、博士――二対一で賭けてもいい、落ちる。
今回は君に感謝せねば。
君なしでは出向かなかった。そして、生涯最高の題材に出会い損なっていただろう――緋のエチュード。ふふ、ちょっとした絵画の名付け方を借りてもいいではないか。
殺人という緋色の糸が、現世という無色の綛糸かせいとに混紡されている。我々の使命は綛糸を解き、緋の糸をより分け、残らず白日の下に晒すことだ。
さて、まずは昼食、そのあとノーマン=ネルダー。
彼女のアタック、ボウイングともに輝かんばかりだ。
何だったか、絶妙に演奏するショパンの小品は。トゥラ・ラ・ラ・リラ・リラ・レ。」
 馬車にもたれつつ、この素人の猟犬は雲雀ひばりよろしくさえずった。そのかたわら私は、人間の心とはなんと多面的なのだろうと、ひとり静かに思うのであった。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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