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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション

A Study In Scarlet 緋色の研究 第二部 第四章 2

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
フェリアと娘が朝の食卓に着いたとき、ルーシィがあっと驚きの声をあげて、天井を指さす。
するとその中央に、焦げた木の棒のようなもので無理矢理、〈28〉という数字が組んであったのだ。
娘には何のことかさっぱりわからなかったが、フェリアはあえて説明はしなかった。
その夜、フェリアは銃を携え、寝ずの番をした。
誰も姿も何の物音もなかったのに、翌朝には大きな〈27〉が扉の外側にペンキで描かれていた。
 こうして一日また一日が過ぎていった。そして朝が絶対に来るように、見えない敵も必ず記録を付けていった。いつも目立つところに記すのだ、猶予の一ヶ月からどれだけの日が残されているのかを。
ある時はその運命の数が壁に現れ、ある時は床に現れた。時に庭の門や柵に小さな貼り紙が突き刺さっていたこともある。
ジョン・フェリアは夜通し用心していたが、この警告がどこから出てくるのか、いつもわからずじまいだった。
それを見るだけで反射的に恐怖がわき上がるまでになり、
やつれて落ち着かなくなって、目には追い込まれた動物の見せる焦燥があった。
しかし人生に今ひとつの希望がある。ネヴァダから若いハンターが到着するはずなのだ。
〈20〉が〈15〉になり、〈15〉が〈10〉になったが、待ち人はまだ来ず、便りもなかった。
ひとつまたひとつ数字が減っていったが、まだ来る気配すらない。
馬に乗った者が道を通ったり、連れを怒鳴る馬方があったりすると、老農夫はそのたび、ついに助けが来たかと門まで急いで出ていく。
とうとう〈5〉が〈4〉に道を譲り、また〈3〉となるのを見たとき、彼の心はくじけ、もはや逃げ出せぬと絶望する。
自分ひとりでは、この開拓地を囲む山々の知識も限られている上、おのれでは力が足りないという自覚もあった。
人通りの多い道は見張りが立てられ警戒されており、長老会の命なくしては誰も通過することができない。
どの道を選んだとしても、襲いかかる風を避けられそうにないのだ。
しかし老人はけして迷わない。娘を汚すことになるのを受け入れるくらいなら、人生そのものを投げ出したとて構うものかと。
 ある午後のこと、ジョン・フェリアは椅子に腰掛け、この悩みについてじっくり考えてみた。そしてはかなくも、ここから逃れ出るすべを探してみた。
その朝、家の壁に〈2〉という数が見つかり、翌日には割り当てられた時間の終わりがやってくる。
そのあと何が起こるというのか。
ありとあらゆる、形にもならぬ恐ろしい空想が、頭のなかをめぐりめぐる。
そして娘――自分がいなくなれば、娘には何事がふりかかるのか? 
張り巡らされた見えない網から逃れる手だてはないのか? 
彼は頭を卓に沈め、おのれの無力さに涙した。
 あれは何だ? 
静けさのなかに、穏やかに軋む音を聴いた――低いが、夜のしじまにあってはとても際立つ。
家の扉の方からする。
フェリアは玄関まで這ってゆき、耳を澄ました。
少しのあいだ、何もない時が過ぎ、それから低く、辺りをうかがうような音が何度かあった。
誰かが扉の羽目板のひとつをとてもゆっくりと叩いているのは明らかだ。
深夜の暗殺者が、密約された殺人の命を実行しに来たというのか? それとも、誰かが猶予最後の日を記しに来たというのか? 
ジョン・フェリアは、やるならひと思いに殺してくれ、じわじわと心をいたぶるような真似は勘弁してくれ、と思う。
彼は前に飛び上がって、閂を外し、ドアを思い切り開け放した。
 外はまったき静寂。
見事なまでの闇で、頭上では星々が煌々と輝いている。
家の前、農夫の目の先には小さな庭が広がり、奥には柵と門。だがそこにも道にも人影ひとつない。
安堵の息をつき、フェリアは右左と確認をする。そしてふと足元にちらりと目を向けたそのとき、何ということだろうか、男が身体を地面につけて伏せていたのだ。腕も足も伸ばしてべったりと。
 見た途端に緊張もほどけてしまい、そのまま壁に寄りかかり、反射的に大声を出してしまわないよう喉を手で押さえる。
まず考えたのは、怪我をしたもしくは死んだ人間が横たわっているのかということだったが、よくよく見れば、その男は地べたで身体をくねらせており、玄関のうちへすばやく、蛇のように音も立てず入ってきた。
家内に入ってしまうと、男はぱっと立ち上がり扉を閉め、面食らう農夫へその険しい顔を見せる。この決然たる表情は、ジェファースン・ホープだ。
「おお主よ。」ジョン・フェリアは声を漏らす。
「君か、たまげたぞ! まったくどうしてこんな真似を!」
「食べる物を下さい。」若者は枯れた声で言う。
「丸二日、何も口にしていないんです。」
と身を冷肉とパンに向ける。フェリアの夜食として卓上に出たままとなっていたものだ。彼はがつがつとむさぼり、
「ルーシィは元気ですか?」と飢えが満たされるあと尋ねた。
「ああ。娘は危険を知らない。」娘の父が答える。
「なら好都合です。この家は四方八方見はられています。
ですから、這ってくるしかなかったんです。
確かに油断ならないかもしれませんが、ワショーの狩人を引っ捕らえるほど凄くはありません。」
 ジョン・フェリアは思う。この男は見違えた、今となっては何と心強い味方であろうか。
彼はこの若者の革ほどに固い手を取り、いたく心のこもった握手をする。
「あっぱれだ。危険や悩みを共にしようとやってくる男など、そうはおるまい。」
「おじさんの方こそ。」若いハンターが答える。
「尊敬します。僕ひとりでこのことに立ち向かう羽目になったら、もう。スズメバチの巣に頭を突っ込むとなれば躊躇しますよ。
僕はルーシィがいたからここに来られたようなもので、それでもルーシィより先に自分が死んでしなうんじゃないかと思えたくらいで。」
「わしらは何をすればいい?」
「明日が最終日です。今夜動かなければ、おじさんは消される。
ラバを一頭、馬を二頭、イーグル峡谷に待たせてあります。
お金はいくらあります?」
「金貨で二〇〇〇ドル、あと紙で五〇〇〇ある。」
「行けますね。ぼくもそこにある程度足せます。
カーソン・シティへ山越えで突き進まなければなりません。
ルーシィを今すぐ起こしてください。
使用人が同じ建物で寝てなくてよかったですよ。」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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