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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション

A Study In Scarlet 緋色の研究 第二部 第五章 2

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
抱いていた恐怖もみな燃えかすとなり次は動揺。
火のあと付近には生きているものはいない、獣も男も少女もみな行ってしまった。
ただひとつ明らかなのは、自分が不在のあいだ突然の凶事に見舞われたということだ――取り囲まれていたというのに、何らのあとすら残っていない。
 いきなりのことで取り乱し、心ここにあらず、ジェファースン・ホープは目もくらみ、倒れないよう小銃を杖にして凭りかかるほかない。
とはいえ若者には根っからの行動力がある、一時力を失うも速やかに立ち直る。
まだくすぶっている燃えかすから木ぎれをひとつ手にとって、息を吹きかけ火を付け直せば、この狭い野営を調べる役にも立つわけだ。
地面はいたるところ馬の足跡だらけ、どうやら追っ手は大規模の騎馬隊、跡の通る方向からすると、そのあとソルト・レイク・シティへと引き返したようだ。
ふたりとも連れて行かれたのだろうか? 
ジェファースン・ホープがそうに違いないと納得しかけたとき、目に飛び込んできたものに背筋が凍った。
野営のわきの小道にこんもりとした赤土、このようなもの前にはなかったはず。
間違いない、新しく墓が掘られたのだ。
若いハンターが近づくと、そこへ棒きれが挿してあり、裂け目に一枚紙が挟まっていた。
紙に書かれた文言は、簡にして要を得たものだ。
ジョン・フェリア
元ソルト・レイク・シティ住民
一八六〇年八月四日没
 わずか前に別れたばかりのあの不屈の老人は、そのときすでに逝っており、これが彼の墓碑銘なのだった。
ジェファースン・ホープは取り乱し、もうひとつ墓がないかとあたりを見回したが、その気配はない。
ルーシィは恐るべき追っ手に連れ戻され、元の通り長老の倅のハーレムに組み入れられたのだ。
少女の逃れられぬ運命、それを食い止められぬおのれの無力さを悟った若者は、おのれもこの老いた農夫とともに静かに安らかに奥津城に横たわりたいと願う。
 とはいえ気を取り戻し、魂の抜けた状態からも立ち上がる。
残されたものが他にないとすれば、あとはその人生を復讐に捧げるしかない。
どこまで堪え忍び、ジェファースン・ホープは秘めたる仇への恨みを力とする。これは原住民のなかで生きた彼ならではのものかもしれない。
ぽつんとした火のそばで立ち尽くしながら、その悲しみを和らげるのはただひとつ、完膚無きまでの鉄槌をおのれの手で仇に下すことのみ。
決めたのだ、その強い意志とみなぎる力をみなこの目的へと向けると。
白い顔をこわばらせ、食料を落とした地点へと引き返し、それからくすぶる火をかき回して数日分だけ調理する。
それを包みにくるみ、へとへとながらも必死で来た山を歩いて戻る。誅天使団のあとを追って。
 まる五日、痛む足を動かし、馬で越えてきた隘路を縫って進む。
夜には岩陰に身を投げ出し、一・二時間の仮眠だけ。そして夜明け前にはいつも出発する。
六日目にイーグル峡谷、自分たちが失敗に終わらせた逃亡の出発点へと辿り着く。
そこからは聖徒らの安息地が見下ろせた。
身も心もぼろぼろの彼は、小銃を支えにして目下静かに広がる街めがけ荒っぽくその痩せこけた手を振る。
向けた目に入ってくるのは、大通りのあちらこちらに立つ旗、祝い事のしるしだ。
いったいどういうことかと思案しているまに、ふと聞こえてくる蹄の音。こちらへ近づく馬とその乗り主が見えた。
距離が縮まると相手がクーパーという名のモルモン教徒、折々手助けしたこともある男とわかった。
そこで若者は寄って声を掛ける。ルーシィ・フェリアのその後がどうなったのか知るのが目当てだ。
「ジェファースン・ホープだ、ぼくだよ。」
 その声に相手のモルモン教徒は驚きを隠せずに若者を見る――当然だ、ぼさぼさの髪、ぼろを着た浮浪者、顔は死んだように蒼白で目がぎらついているときたら、かつての洒落た若いハンターとは容易くはわからない。
とはいえひとたび彼と得心すれば男の驚きも戸惑いへと変わる。
「ここに来るなんて、お前狂ったか。」と声を張った。
「お前と話しているのを見られたらおれの命もない。
お前は神聖四長老会からフェリア父娘おやこの逃亡を助けたかどで手配されてるんだぞ。」
「知ったことか、あんなやつらも、手配も。」と凄みを利かせるホープ。
「これが何事か知らなきゃいけない。クーパー、折り入って頼みがある、今からいくつか質問に答えてくれ。
ずっと仲間だったろ。この通りだ、邪険にしないでくれ。」
「何だ。」とモルモン教徒は戸惑いながら尋ねる。「手短にしろよ。岩に耳あり、樹木に目ありだ。」
「ルーシィ・フェリアはどうなった?」
「昨日ドレッバーの野郎と結婚した。
終わり、終わりだ。おちおちしてるとお前命がないぜ。」
「気にするな。」と力なくホープは言う。
唇まで青くして、凭れていた石の下にへたり込んだ。
「結婚、だって?」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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