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ホーム青空文庫シャーロック・ホームズ コレクション 最後の挨拶

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Sherlock Holmes Collection His Last Bow シャーロック・ホームズ コレクション 最後の挨拶

The Adventure Of The Dying Detective 瀕死の探偵 5

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 ロウア・バーク街は立派な邸宅の連なった通りで、ノッティング・ヒルとケンジントンとのちょうど境目にあった。
しかも馬車を寄せた家というのは、たいそうご立派なものらしく、古風な鉄柵、荘重な門扉、真鍮の造作、
そして色電灯の放つ紫の光を背に受け現れた威儀ある執事に至るまで、見事にすべて調和していた。
「はい、カルヴァトン・スミスさまはご在宅です。
ワトソン博士、かしこまりました、名刺をお預かりします。」
 私の貧相な名前や肩書は、カルヴァトン・スミス氏に何の感銘も与えなかったようだ。
半開きの扉から、威張り腐った高く鋭い声が聞こえる。
「誰かねェ、こいつ? 何用? 
ふん、ステイプルズ、何度言ったらわかるの、研究の最中はボクの邪魔をするなってさァ。」
 すると執事のなだめる声がかすかに漏れ聞こえる。
「だァから会わないって、ステイプルズ。
そんなことでボクのやることは止められないよ。
ボクは留守。そう伝えて。朝に出直せって、しつこいんならさァ。」
 再び穏やかな声。
「わかった、わかった、そう言えばァ? 朝にするか、あきらめるかするでショ。今は手が離せないの。」
 私はホームズのことを考えた。病床でもがき、おそらくいつ助けを連れ帰るかと時を数えているだろう。
今は礼儀にこだわっている時ではない。ホームズの命は私の迅速な行動にかかっている。
執事が済まなそうに言伝を持ってくるより先に、脇をすり抜け、部屋に滑り込んだ。
 激高の声をあげてひとりの男が、暖炉脇の倚椅子から立ち上がった。
目の前に見えた男の大きな顔は、品がなく脂ぎっていて、猜疑心に満ちていた。太い二重あごに、獣のように光のない灰色の双眸。もじゃもじゃの砂色の眉の下から私を睨みつけている。
はげ上がった頭には、小さい天鵞絨の喫煙帽が、そのつるつるの片方へ寄りかかるように乗っかっている。
頭蓋骨はとてつもない容積だったがそのまま下に目をやって驚いた。この男の体躯はひょろひょろで小さく、おまけに肩から背に掛けてねじれていて、この男、子どもの頃、大事故にでも遭ったのだろうかと思えるほどだ。
「何だよォ。」小男は高い金切り声で叫んだ。
「どうして無断で入ってくるのさァ? 明日の朝、会うって言付けし、た、じゃ、ない!」
「すいません。」と私は言った。「一刻の猶予もないのです。シャーロック・ホームズくんが――」
 私が口にした友人の名は、この小男に不思議と効き目があった。
怒りの色がたちまち顔から消え、むしろ緊張と警戒の色が差す。
「ホームズのところから来たの?」と小男が訊く。
「急いで出てきました」
「ホームズが何? どうかしたのォ?」
「危篤です。だから参りました。」
 その男は私に椅子を示し、自分の椅子に戻る。
その際、一瞬、炉棚の上の鏡に顔が映った。
間違いなく、そこには悪魔のほほえみが浮かんでいた。
けれども、私はそのとき、それは面食らって血の気が引いているのだと思い直したのだ。なぜなら、そのすぐあと私の方へ向き直ると、その面差しは心から心配しているように見えたからだ。
「残念だァねェ。」と小男は言った。
「ホームズくんとは、ちょっとした事件で関わり合いになったきりだ、け、ど、その才能と人物は尊敬してたんだよォ。
カレは犯罪が趣味だけど、ボクは病の方がそれでねェ。
カレには犯人が相手で、ボクは細菌さァ。
それはボクの牢屋だねェ。」と壁際の机にある瓶や壺の列を指し示しながら続ける。
「そこでゼラチン培養中のものにも、世界一の大悪党が、今、時を過ごしているんだよォ。」
「そのあなたの特殊な知識のために、ホームズくんがお目にかかりたいと、
あなたを高く評価し、自分を救えるロンドン唯一の男であると考えています。」
 小男はびっくりして、喫煙帽がつるりと床に滑りかかる。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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