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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

The Man With The Twisted Lip 唇のねじれた男 9

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
警部を先頭に我々は進み、閂付きの扉を開けて、曲がりくねった階段を下り、白塗りの廊下へ出てきた。両側には扉が一列に並んでいる。
「右の三番目に、やつが。」と警部。
「ここですな!」と戸の上部にある小窓の蓋を手前に開けて、なかをのぞき込んだ。
「お休み中だ。」と警部。「とくとご覧になれます。」
 我々ふたりは目を格子窓の方へ向けた。
なかでは人が顔をこちらに向けて寝そべっており、深々と眠っていて、ゆっくりと重く息をしている。
中背の男で、連行されたときのままのひどい服装で、色物の肌着がぼろぼろの外套の裂け目からはみ出ている。
警部によれば、ものすごく汚いらしく、顔じゅう汚れきっているのだが、それでもその吐き気のする醜さを隠せていないという。
古傷が目から頬にかけて一直線に大きく腫れ上がっているため、歯が三本、絶えずむき出しになっている。
明るすぎる赤毛の髪はくしゃくしゃに乱れており、垂れる毛で目と額は覆い隠されている。
「ね、見事なものでしょう。」という警部の言葉に、
「洗い落とす必要がある。」とホームズは応える。
「こんなこともあろうかと、こちらで道具を持参した。」
と言いながらグラッドストン製の鞄を開けると、なんと、大きな大きな浴室用海綿が取り出される。
「ははは! 物好きな方ですな。」と警部は笑いを抑えきれない。
「さて、ご面倒ですが速やかに戸を開けていただけると幸いです。すぐにでも彼をもっと立派な人物に磨いて差し上げましょう。」
「まあ、断る理由もありませんな。」と警部が言う。
「この有様じゃあ、このボウ街の留置場にとっても名誉なことではないですからね。」
警部は鍵を穴に差し込み、我々は速やかに独房へ入った。
眠っていた男は少し顔を向けたあと、再び深い眠りに落ちた。
ホームズは、屈んで水差しを手に取り、海綿に水を含ませ、そのあと独房の男の顔を力強く、ぬぐうように二回こすった。
「皆さまにご紹介しましょう。」とホームズは声を張り上げる。「ケント州リー在住の、ネヴィル・シンクレア氏です。」
 我が人生において、このような光景を目の当たりにすることは、もう二度とないだろう。
男の顔は海綿によってこそげ落ちた。木から樹皮が剥がれたかのようだ。
褐色の汚れはもはやない! それとともに、頬に大きく付いていた恐ろしい傷痕もなくなり、そしてあざ笑うようにも見えたあのねじれ唇もなくなったのだ! 
引っ張ってもじゃもじゃの赤毛を取り外すと、そこに、寝台に起き直ったのは、青白い悲しげな顔の、品のある男で、黒髪につるつるの肌、目をこすって寝ぼけて戸惑いながらもホームズの方をじろじろと見る。
そうしてふと変装を暴かれたことに気づいて、叫び声を上げ、枕に飛びついて顔を埋めた。
「なんてことだ!」と警部は声を上げる。「これは、こいつこそ、尋ね人じゃないか。
写真で見たから知っとるぞ。」
 男は観念して、どうにでもなれという風に振り返る。
「もしそうだとすれば、教えてくれ、僕の罪は何だ?」
「殺人だ、ネヴィル・シン――ああ、うむ、その罪を問うとしたら自殺未遂で立件せねばならんのか。」と警部は苦笑いをする。
「しかし、わしももう警察に二七年もいるが、こりゃ本当に傑作だ。」
「僕がネヴィル・シンクレアなる人物なら、何の犯罪も起きなかったのは明らかです。そしてそれゆえに、僕の勾留は不当です。」
「罪はないが、大きな過ちをひとつ犯している。」とホームズは言う。
「もっと自分の御前様を信じるべきではなかったのかね。」
「いえ、妻じゃありません、子どもたちなんです。」と男はうめく。
「なんてことだ、子どもたちに父親のことで恥ずかしい思いをしてほしくなかったのです。
主よ! ばれてしまった! 僕はどうすれば?」
 シャーロック・ホームズは、寝椅子に男と並んで腰を落ろし、やさしく肩を叩いた。
「もし事の解明を法廷にゆだねた場合、当然、世間に知れ渡るのは避けられない。
一方で、君がもし警察に、自分は何の事件にも巻き込まれていないと納得のいく説明ができるのなら、事の次第が新聞に出ていく法はないと思う。
ブラッドストリート警部は、職務上、君がこれから我々に話すことをすべて書き留め、しかるべき上司に提出するだろう。
だが事件はそのあと、けして法廷に持ち込まれることはない。」
「ありがとうございます。」と男は熱っぽく声を張り上げる。
「耐えることはできるのです、留置、いや罰を受けることだって。でも、この自分の惨めな秘密が家族の汚点となって、子どもを巻き込むのだけは……
 あなたは、僕の作り事に気づいた初めての人です。
僕の父はチェスタフィールドで学校長をしていて、そこで僕もすぐれた教育を受けました。
若い頃は旅をして、舞台にも上がりましたが、結局ロンドンの夕刊紙の記者に落ち着きました。
ある日、編集長が首都にいる乞食をネタに連載ものの記事がほしいと言い出して、書き手に僕が志願しました。
それがこの話の発端だったのです。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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