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The Wright Brothers(2) ライト兄弟



AMERICAN MEN of SCIENCE and INVENTION
しかし、ついに成功はやってきた。
オービルが操縦する、飛行機の第1号は12秒間飛んだ。
これが飛行機の最初の操縦された、持続飛行だった。
このあと、同じ日にウィルバーは800フィート以上飛び、滞空時間は59秒だった。
その後何年もの間、だれもこの成果をまねることはできなかった。
人類は、空を征服した。
しかしライト兄弟は、人々の不信・・・つまり、飛行が成功したことを信じようとしない・・・を征服しなければならなかった。
そこで兄弟はオハイオにもどり、実験を続けて飛行機に改良を加え、デイトンの自宅近くで試験をした。
彼らは、政府の役人に何通も手紙を出したが、この発明のニュースは無視されたか、あるいはほとんど関心をひくこともなかった。
彼らの最初の飛行から、ライト兄弟が認められるまでには、5年の月日がかかった。
しかし、1908年までには、彼らの名声が世界中に広まった。
このころには、最も疑い深い科学者でさえも、実用的な飛行機が実現したことを納得した。
この実現は、ライト兄弟のアメリカ国内および外国での飛行によって証明された。
しかしウィルバーとオービルは、いくらたたえられても謙そんをなくさなかった。
科学協会などから贈られたメダルや賞にも、たいして関心を払わなかった。
公共の場での演説を何度も断った。
彼らの公演をきらう態度は、ウィルバーのことばにはっきり表れている。「私は、話をする鳥はオウムしか知らないが、オウムはあまり高くは飛べない。」
ウィルバーにとって、成功は数年という短いものでしかなかった。
1912年5月に、彼は45歳で腸チフスのために死亡した。
彼の死は、歴史上、最も偉大な発明家ペアの一組の終わりを示した。
ウィルバーがいなくなると、オービルは仕事を続ける意欲をなくした。
その後数年問は、努力して飛行の研究を試みたが、もう心はそこにはなかった。
彼が最後に飛んだのは、1918年だった。
その後も、この生き残った弟には、栄誉が与えられた。
しかしこれらの栄誉も、オービル一人で楽しむしかなかった。
兄弟は、どちらも結婚しなかった。
ウィルバーは、ある時、妻と飛行機の両方は養えないと言った。
これは、感情的な真実だった。兄弟は、あまりにも長いこと飛行機とともに生きてきたので、飛行機だけを考える生活になってしまったのだ。
妻のために、時間やエネルギーを割くことなどできなかったのである。
オービルは、1915年に引退した。
健康状態が悪化し、1920年以後は、たまにしか公の場に出ることはなかった。
彼は、オハイオ州のデイトンで静かに暮らし、人々の注目を避けていた。
1943年、彼とウィルバーの最初の飛行からちょうど40年後、オービルは、最初の飛行機をワシントンD.C.のスミスソニアン協会に寄贈することに同意した。
5年後の1948年12月、それは、永久展示に加えられた。
飛行機につけられた説明書には、次のように書かれている。ライト兄弟の最初の飛行機
人が自由に、操縦して、持続飛行を行った世界初の動力で飛ぶ、空気よりも重い機械である。
ウィルバーとオービル・ライトにより発明、製造され、1903年12月17日、ノースキャロライナ州キティーホークで、兄弟によって飛ばされた。
独自の科学的研究の結果、ライト兄弟は、人間による飛行の原理を発見した。
発明家、製造者、そして飛行士として彼らは、飛行機を開発し、人々に飛ぶことを教えて航空時代を開いた。
オービルは、しかしこの展示を見ることはなかった。
1948年1月30日、77歳の彼は病気にかかり、しばらくして死んだ。
彼が死んだころ、彼はすでに若い世代の間では伝説となっていた。
しかし、彼ひとりが伝説となったわけではない。
ウィルバーも、忘れられることはなかった。
2人の兄弟の名前は航空史にはっきりと、そして永遠に残るのだ。
彼らは、2人で一緒に人類の空の征服に道を開き、また星へ手を伸ばすことも可能にしたのである。
 
Reproduced by the courtesy of the Voice of America
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