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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

The Adventure Of The Blue Carbuncle 青い紅玉 1

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 友人シャーロック・ホームズのもとを、私はクリスマスの二日後に訪れた。時候の挨拶をしようと思ったのだ。
ホームズは紫の化粧着姿で、ソファにくつろいでいた。右手の届くところにパイプ置きがあり、今読んでいるところなのだろう、手元にはぐちゃりと朝刊の山が積まれている。
ソファのそばには木の椅子があり、背の角にちょうど、趣味の悪い堅めのフェルト帽がひっかけられていた。ずいぶんくたびれていて、何ヶ所か破れてしまっている。
座る場所に拡大鏡とピンセットがあったので、帽子がこんなふうにつるされているのは、何か調べるためなのだろう。
「仕事中か。」と私は言った。「お邪魔かね。」
「とんでもない。推理を聞いてくれる友人なら大歓迎だ。
ほんの些細なことなのだが、」――ホームズは親指を使って、古い帽子の方を指し示す――「実際やってみると、まったくつまらんというわけでも、学ぶところがないわけでもない。」
 私は肘掛椅子に座って、ぱちぱちと燃える火で手を温めた。外はひどく霜が降りていて、窓一面に氷の結晶が貼り付いている。
「ということは、」と私は切り出す。「見た目はのほほんとしているが、こいつの裏には恐ろしい話が潜んでいるのか……だからこいつはその謎を解くための、罪を裁くための手がかりというわけだな。」
「いや、犯罪とは無関係だ。」とシャーロック・ホームズは笑い出す。
「数マイル四方の空間のなかで四百万の人間が押し合いへし合いしているとふと起こってしまう、そんな気まぐれな小さな出来事のうちのたったひとつに過ぎない。
大勢の人間が密集していれば、その作用と反作用のなかで、出来事はいかようにも組み合わさって、何ごとでも起こるものだ。犯罪には無関係なのに、奇抜で不思議な小さな事件というのは、いくらでも現れる。
以前にもそういうことがあったね。」
「確かに。」と私は答えた。「備忘録に書き加えた直近の事件むっつのうち、みっつはいかなる法的犯罪とも無縁だった。」
「左様。今のみっつとは、アイリーン・アドラーから書類を奪還せんとした件、メアリ・サザランド嬢の奇天烈な事件、そしてねじれた唇の男をめぐる調査のことだが、
さて、この小さな事件も、同じく無害な類に分けられるに相違ない。
ピータソンは知っているね、便利屋の。」
「ああ。」
「この拾得物は彼のものだ。」
「彼の帽子か。」
「いや、見つけたのが彼だ。
持ち主は分からない。
こいつをひしゃげた帽子ではなく、知的な問題として考えてみたまえ。
まずは、どのようにここへやってきたかだ。
たどり着いたのはクリスマスの朝のことで、まるまると太った鵞鳥が一緒だった。まあ、その鵞鳥は今頃、ピータソンの家の暖炉の前で、あぶり焼きにされているに違いない。
話はこうだ。クリスマスの日の午前四時頃、ピータソン――ご存じの通り正直者だが――彼がちょっとした宴会から家へ帰る途中、トテナム・コート通りにさしかかった。
すると目の前に現れたのは、ガス灯に照らされた長身の男の姿。どうも歩みがまっすぐでなく、肩に白い鵞鳥を背負って運んでいた。
だがグッジ街の角にたどり着いたところで、その見知らぬ男は数人の荒くれどもに絡まれてしまった。
そのひとりが男の帽子を払ったので、男は身を守ろうと杖を振り上げたのだが、そのはずみで杖は頭の後ろまで行って、背にあった店の窓を壊してしまったのだ。
ピータソンはその男を荒くれどもから守ろうと走り出した。しかし、男は窓を壊してあわててしまい、制服を着た男が迫ってきたので警官だと思ったのだろう、肩の鵞鳥を手から離して逃げ出してしまい、トテナム・コート通りの裏にある入り組んだ路地の方へ消えてしまった。
相手もピータソンの姿を見て逃げ去り、ピータソンだけが喧嘩の現場に残されたのだが、同時に戦利品として、このひしゃげた帽子と、文句のつけようもないクリスマスの鵞鳥を一羽手に入れたというわけだ。」
「なら、持ち主に返したんだね?」
「どうもそれにも問題がある。
実は、『ヘンリ・ベイカー夫人へ』と書かれた小さな厚紙が鵞鳥の左脚に結びつけてあったのだ。さらに、帽子の裏にも『H・B』という頭文字が読み取れた。ベイカーという姓など何千とあれば、ヘンリ・ベイカーも何百人とこの街にはいる。この拾得物をその中の誰かひとりに返すというのは、やさしい仕事ではない。」
「なら、ピータソンはどうしたんだね?」
「彼はクリスマスの朝に帽子と鵞鳥を持って、僕のところへ来た。僕がどんな小さな問題にでも興味を持つと知っているからね。
鵞鳥も今朝まで手をつけずにいたが、霜も降りているとはいえ、見たところ、もうそろそろ食べなければどうしようもなくなってきた。
だから拾い主に持って帰ってもらって、鵞鳥の使命をまっとうさせてやった。かたや僕は、クリスマスのごちそうを逃した見知らぬ紳士の帽子を持ち続けている。」
「落とし主の広告はなかったのか?」
「ああ。」
「誰か特定する手がかりはなかったのかね?」
「必要なだけ演繹すればいい。」
「この帽子から?」
「左様。」
「また冗談を。こんな古いひしゃげた帽子で何がわかる?」
「拡大鏡をあげよう。
僕のやり方は知っているね。
こんなふうに物を使い古す男というのは、いったいどういう人間なのか、君ならどう考える?」
 私はそのひしゃげたものを手にとって、しまったと思いながらも裏返した。
ごく普通の丸い形をした黒い帽子である。材質は堅く、ずいぶんくたびれていた。
裏地は赤い絹でひどく色あせている。
製造者の名前はなかったが、ホームズの言ったとおり、側面にH・Bという頭文字が縫い取られていた。
つばの部分に帽子を固定するための穴があるもののゴムもない。
あとは傷が多くどうも埃っぽいし、染みもいくつかある。だがそういう色の抜けたところもインクで上塗りして隠そうとはしているようだ。
「見えてこんな。」私は言って、帽子を我が友人へ差し戻す。
「とんでもない。ワトソン、君は見えてはいる。
しかしながら、見えたものから推理できていない。
推理を断定するだけの勇気がない。」
「君なら、この帽子から何が推理できるというのかね?」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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