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Episode-1 Over a Barrel
Episode-1 Over a Barrel
WORDS AND THEIR STORIES
ことばの由来ーアメリカ英語の口語表現についての番組。
どのような人間の闘争でも、政治的、軍事的、社会的、または経済的なものであっても、相手のだれかがなすがままになって終わるものである。
この「なすがままになる」という表現は面白いことに、たるができ死しかけた人を救うのに使われた時代にできたものである。
でき死しかけた人の命を救うには、たるの上に顔を下向けにしてのせ、たるをゆっくり動かしながらその人の肺から水を吐き出させたのである。
腹をたるの上にぴたりとつけたまま横たわっている人は、自分では何もできない。
自分を助けようとしてくれている人のなすがままになるしかないのである。
たるは知ってのとおり、いろいろの大きさがあり、中に入れるものによって決まる。ビール、ウイスキー、クラッカー、ビスケットとかその他の食料品によって決まる。
昔の食料品店にはいつもクラッカーのたるがあったものだが、そこから「クラッカーだるの哲学者」というアメリカ特有の人物が生まれた。
昔はそういう人を村のちいさな店で見かけたものだ。クラッカーだるの近くの大きなだるまストーブの周りに座って、パイプをくゆらし、冗談、うわさ話、物語やためになる話を友だちと語り合っていたのである。
たいていそのためになる話を聞いても、別に知識がふえるわけでもなく、人生や世の中についての理解が深まるというものではなかった。
このようなクラッカーだるの哲学者は、昔話に出てくる村の長老と同じように深遠なものであった。
その昔話は、人々に見守られながら死んで行く老人のことを語っている。
老人は一番身近な信奉者に囲まれて、死の床についていた。
近くの町の人は老人のことを新たな天啓、つまり天からの新しいお告げをいってくれる予言者だと思っていた。
老人はだんだんと衰弱して来て、だんだん頭も乱れて来た。
人々は老人に、死ぬ前に末期の一言をいい残してくれとせがんだ。最後のことばは、もっと実りあるすばらしい人生を送る道を教えてくれるかもしれないのだ。
枕元にいた2人の男は死にかけている長老の頭を持ち上げ、最後の一言がいえるようにした。
長老はゆっくりとつぶやいた。「世の中はたるのようなものじゃ」
2人のうちの1人が死に行く長老の口元に耳を近づけた。
このことばは近隣の村々に急速に伝わり、人々は互いにこのことばを繰り返していた。
ついにある人がいった。「世の中はたるのようなものですと!
やがて人々はこれと同じ疑問をぶつけるようになった。
そこで老人の側近はその頭を持ち上げてささやいた。「じいさま、みんなは知りたがっております。
じいさまのおことばはどういう意味なのでございますか。世の中はたるのようなものだなんて?」
何を聞かれたのかわからなかったのである。でもそれからゆっくりと目を見開き、ゆっくりと辺りを見回し、ゆっくり、苦しそうにいった。「それなら、それなら、世の中はたるのようなものではない」
Reproduced by the courtesy of the Voice of America