HOMEAOZORA BUNKOThe Memoirs of Sherlock Holmes

ホーム青空文庫シャーロック・ホームズの思い出

※本文をクリック(タップ)するとその文章の音声を聴くことができます。
  右上スイッチを「連続」にすると、その部分から終わりまで続けて聴くことができます。
で日本語訳を表示します。
※ "PlayBackRate" で再生速度を調節できます。

The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Yellow Face 黄色い顔 1

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
黄色い顔 黄色な顔 THE YELLOW FACE コナンドイル Conan Doyle 三上於莵吉訳
 私は私の仲間の話をしようとすると、我知らず失敗談よりも成功談が多くなる。無論それらの話の中では、私は時によっては登場人物の一人になっているし、でなくても私はいつも深い関心を持たせられているのだが、
――しかしこれは何も、私の仲間の名声のためにそうするわけではない。なぜなら事実において、私の仲間の努力と、多種多様な才能とは真に称讃すべきものではあったけれども、それでもなお、彼の思案に余るような場合があったからだ。ただどうかしてそんな場合にぶつかって私の仲間が失敗したような所では、他の者もまた誰一人成功したものはなく、事件は未解決のまま残されるわけである。
けれど時々、ちょっとした機会から、彼がどんな風にしてその真相を誤解したかと云うことが、後から発見されたこともある。
私はそんな場合を五つ六つ書き止めておいた。そのうち今ここですぐお話出来るものが二つある。そしてそれはそれらのうちでも一番面白いものである。
 シャーロック・ホームズと云う男は、滅多に、身体を鍛えるために運動などをする男ではなかった。
が、彼よりはげしい肉体労働に堪え得る人間はほとんどなかったし、また確かに彼は、彼と同体量の拳闘家としては私の会ったことのある人のうちでは最も優れた拳闘家の一人だった。しかし彼は努力の浪費になるような無益な肉体的労働をちゃんと見分けて、何か職業上の目的のある場合でなくては、決して肉体を使うようなことはなかった。
だから彼は絶対に疲れると云うことを知らずに、実に精力絶倫であった。
その代り彼は不断からいかなる場合に処しても困らないだけの肉体の力を養っていた。食事は常に出来るだけ貧しいものをとり、厳格に過ぎるくらい簡易な生活振りだった。
だが、時々、コカインをのむこと以外には、何も悪いことはしなかった。そのコカインも、事件が簡単すぎたり、また新聞がつまらなかったりして退屈でどうにもしようがないような時だけに、気慰めにのむに過ぎないのであった。
 それは早春のある日のことであったが、彼はノンビリした気持ちで私と公園へ散歩に出かけた。楡の木は若芽を吹き出しかけ、栗の木の頂きには若葉が出はじめていた。
私たちは、特に話さなければならないような話題もなかったので、碌に口もきき会わずに二時間近くブラブラした。
そして再びべーカー通りに帰って来たのは、もう五時近くであった。
「壇那さま、お留守にお客さまがお見えになりました」 と、彼が入口の戸をあけると、給仕の子供が云った。
 ホームズは非難するかのように私をジロッと見た。
「少し散歩が長すぎたな」 と云って、それから給仕に向って云った。
「それで、そのお客さまは帰っちまったのか?」
「ええ」
「中へ這入ってお待ちするようには言わなかったのかね?」
「いえ、中へお通ししたんです」
「どのくらい待ってたのかね」
「三十分ばかり。――でも、大変せっかちな壇那でしてね、ここにいらっしゃる間も始終、歩き廻ったり足踏みをしたりしていらっしゃいました。
私、戸の外でお待ちしておりましたもので、よくそれが分りましたよ。
けれどもそのうちにとうとう外へ出て来て、「帰って来ないようじゃないか」とおっしゃるんです。
ですから私は申し上げました。
「ほんのもう少しお待ちになって下さい」って。
すると「じゃ、じき戻って来るよ」と云って出ていっておしまいになるんでしょう。
それから私、まだいろいろ申上げたんですけれど、でもお引き止め出来ませんでした」
「よしよし、結構結構」 とホームズは云って、私達は部屋の中に這入った。
「こりゃアちょっと厄介だね、ねえワトソン君。
どうもよほどむずかしい事件らしいよ。訪ねて来たと云う男がイライラしていたと云うことから推察しても、重大な事らしいね。
――オヤ、テーブルの上にあるパイプは君のじゃないだろう。
今来た男が置き忘れていったに違いないな。
こりゃよく使いこんである。煙草吸いが琥珀と云っているものだが、これはなかなか上等な品だ。
僕はそう思うんだが、ホン物の琥珀のパイプが、いくつロンドンにあるかね。
なかには、『琥珀の中の蝿』がホン物のしるしだと思っているものもあるようだけれどもしかし贋物の琥珀の中には贋物の蝿を入れとくくらいのことは、商売の常識だからね。
――しかしそれはそれとしといて、今来た男はよほど気が顛到していたに違いないな。何しろ大切にしていたに違いないパイプをおき忘れてくくらいなんだから……」
「君にはどうしてそのパイプを大切にしてたってことが分るんだい?」 と、私はきいた。
「そりゃ分るよ。そのパイプは買った時は七シルリングくらいしたろう。
けれど君にも分るようにそれから二度修繕してあるね。一度は木の所を、一度は琥珀の所を。
――しかもホラご覧の通り両方とも銀で修繕してあるだろう。だからパイプの値段は買った時より遥かに高くなっているよ。
それに人間って奴は、同じ金を払って新しいものを買うより、むしろ修繕したりなんかしたパイプのほうをずっと大切にするものだからね」
「それから?」 と、私はつづけてきいた。ホームズはそのパイプを手の中でいじくりながら、彼独特の考え深そうな目つきでじっと見詰めていた。
がやがてそれをつまみ上げると、ちょうど何かの骨について講議をしている大学の教授がよくやるように、細長い食指でその上を軽くたたいて、言葉を続けた。
「パイプと云うものは実際途法もなく趣味のあるものだからね。
――まず懐中時計と靴紐とをぬかすとこのくらい個々の特異性を持ってるものはないだろう。
けれど今の場合は、そんなことはどうでもいいんだ。
――とにかくこのパイプの持主は、体格の立派な男で、左利きで、歯が丈夫で、身なりに一向かまわない、そしてそんなに倹約して暮す必要のない男だってことは確かだね」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
QRコード
スマホでも同じレイアウトで読むことができます。
主な掲載作品