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The Return of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの帰還

The Adventure Of The Dancing Men 踊る人形 1

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 ホームズは黙り込んだまま、その細く長い身体を猫背にして、何時間も化学実験室に向かっていた。何かひどくいやな臭いのするものを生成しているのだ
――深々とうつむくその様が、私には、ひょろ長い怪鳥けちょうに見えた。くすんだ灰色の毛と、黒い鶏冠を持った怪鳥――
「だからワトソン――」とホームズが突然口を開く。「君は、南アフリカの証券への投資を思いとどまった。」
 私は驚きのあまり身を震わせた。
このホームズの不思議な力に慣れているとはいえ、どうして私の胸のうちの考えに潜り込めたのか、皆目見当がつかなかった。
「いったい、どうしてそのことを?」と、私は聞き返す。
 ホームズは椅子をくるりと回し、手に試験管を持ったまま、その深くくぼんだ瞳を面白そうに輝かせるのであった。
「さあワトソン、ぐうの音も出まい」
「まったくだ。」
「では、この件について、君に証文を書いてもらわねば。」
「なぜかね?」
「五分後には、君はきっと『ひどく簡単な話だ』などと言うからだ。」
「いやいや、そんなことは言わんよ。」
「その、ワトソンくん。」ホームズは試験管を立てかけて、教授が講堂で学生たちに講義でもするていで話し出した。「それぞれ前後をつなげて、ひとつひとつ 単純に考えれば、筋道だった推理も、決してそう難しいことではない。
たとえば、そのような推理をしておいて、その筋の真ん中を少し向こうへやって、聞き手 にその始まりと結論だけを見せようものなら、人をあっと言わせることができるわけだが、まあ、ほんのこけおどしだ。
さよう、難しいことではない。君の左の 人差し指と親指の間のすり切れた皮膚を考えれば、君が金鉱の株の購入を思いとどまったと確信できる。」
「どういう脈略かね。」
「そう思って当然。だが、僕にはその深い脈略を手短に説明できる。
そこには、ごく単純な連鎖のあいだの、失われた輪がある。
一、君は左の人差し指と親指の 間にチョークをつけて、昨晩クラブから帰ってきた。
二、君はビリヤードの際、キューがすべらないよう、いつもその部分にチョークをつける。
三、君のビリヤードの相手は、サーストンだけ。
四、君は四週間前、サーストンから、ある南アフリカの株式について一ヶ月期限のオプションを持っているが、できれば君と共同購入したいと持ちかけられた、と言った。
五、君の小切手帳は、僕の錠の下りた引き出しの中だが、君はその鍵を欲しいと言っていない。
六、かくして君は、投資を思いとどまった。」
「まったく、ひどく簡単な話じゃないか!」と私は叫んだ。
「無論ね!」と、ホームズが少し機嫌を悪くする。
「どんな問題も、いったん君に解き明かせば、みな子どもだましという。
だが、ここにいまだ解かれぬものがある。
これをどう思うね、ワトソンくん?」
ホームズは一枚の紙を机の上に放り出して、また化学の分析の方に向き直った。
 私はそれを見て驚いた。紙の上には、でたらめな象形文字のようなものが書かれていたのだ。
「おい、ホームズ、子どもの落書きかね!」と私は大声で言った。
「ほう、そう考えるかね。」
「では何だと言うんだ?」
「まさにそれを、ノーフォーク州リドリング・ソープ荘園のヒルトン・キュービット氏が、しきりに知りたがっている。
この謎かけが今朝の第一便で来て、本人はその次の列車で来ることになっている。
ベルの音だ、ワトソン。
その人だとしても、僕は驚かぬよ。」
 重々しい足取りが階段に聞こえたかと思ううちに、一人の紳士が入ってきた。背が高く、血色も良い、ひげも綺麗に剃った紳士で、その澄んだ目、健康なほおは、ベイカー街の霧の中からはるか離れたところで暮らす人を思わせた。
その紳士が部屋の中に入ってきたとき、どこか、きつくさわやかですがしがしい、東海岸独特の香りが漂ってくるようだった。
紳士が我々ふたりと握手を交わし、さて腰掛けようとしたとき、不思議な記号の書かれた紙に目をとめた。私が見たあと、机の上に置きっぱなしにしてあったのだ。
「ああホームズさん、これをどうお考えですか?」と紳士は声を振り絞る。
「あなたは奇妙奇天烈なことがたいへんお好きだそうですが、きっとこれより奇妙なものはご覧になったことがないでしょう。
前もってお送りすれば、あらかじめお考えになられるだろうと思ったのです。」
「確かに、いくぶん妙ではあります。」とホームズが言う。
「初見では、子どものいたずら描きのようにも見える。
でたらめな人形が大勢で、書かれた紙の上を並んで踊っているようでもある。
なにゆえ、かくも異形なオブジェを、重くお考えになるのですか?」
「それは私じゃないんです、ホームズさん。その、私の妻が。
これを見て、妻が卒倒しまして。あれは何も言いませんが、目がおびえているのです。
ですから、私は、これを最後まで調べたいと思ったのです。」
 ホームズは紙切れを取り上げて、日の光に透かしてみせた。
それはメモ帳から破り取ったもので、鉛筆で次のような絵が描かれていた。
ホームズはしばらくのあいだ、それを調べていたが、やがて丁寧に折りたたみ、自分の手帳のあいだに挟んだ。
「これは実に興味深い、まれな事件となりましょう。」ホームズが言った。
「ヒルトン・キュービットさん、お手紙のうちで、二三、具体的なことを書いておいででしたが、この友人、ワトソン博士のためにもう一度お話いただけると幸いです。」
「どうも私は話し下手でして、」その依頼人は緊張のため、その硬く大きな手をもじもじさせながら話を始めた。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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