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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Gloria Scott グロリア・スコット号 1

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
グローリア・スコット号 THE "GLORIA SCOTT" アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle 三上於菟吉訳 大久保ゆう改訳
「そういえば資料がある。」と我が友人シャーロック・ホームズが言ったのは、冬のある夜のことで、我々は火を囲んで腰掛けていた。「念を押すが、ワトソン、一読の価値ありだ。
ほら、くだんの『グローリア・スコット号』の怪事件の資料だ、特にこの文面は、治安判事のトレーヴァを読むなり戦慄させ死に至らしめたのだ。」
 ホームズは引き出しから少し色あせた巻紙を取り出し、そのひもをほどいて、私に小さな紙を手渡した。青みのある灰色で、半切、ひどい字がのたくっていた。
もはや鶏肉は順調にすべてロンドンへ出荷が終わった。
狩場の主任のハドソンは蠅取紙の注文の一切を必ず受けると知らせた。あなたの雌雉が危ないので主任に命じて高飛びを助けて落ちないようにしろ。
 この謎に満ちた手紙を読み終わって顔を上げると、私の目に、こちらの表情を見てほくそ笑むホームズの姿が映った。
「いささかお困りのご様子。」とホームズ。
「わからん、こんな手紙のどこに恐れをなすのかね。
どちらかというと、妙なものとは思うが。」
「だろうね。だが事実はこうだ。読んだ人物は壮健なご老人であったのだが、その紙がためにうちひしがれてしまった。あたかも拳銃の台尻で殴られたかのように。」
「私をあおるつもりか。」と私。
「だがどうして今更そんなことを。この事件を研究しなければならない別段の理由でもあるのかね。」
「僕の手がけた最初の事件なのだ。」
 かねてから私は、折に触れては、この友人が犯罪捜査に心を向けたきっかけを探ろうとしてきた。だがこれまで気さくに話してくれることはなかったのだ。
このときばかりは、ホームズも座っていた肘掛椅子から身を乗り出して、膝の上に例の資料を広げた。
それからパイプに火をつけて、しばらくのあいだ煙草をくゆらせながらその紙をめくった。
「ヴィクタ・トレーヴァのことは初めて話すかな?」とホームズが切り出す。
「大学に在籍した二年間でできた唯一の友人だった。
僕は決して人と交わる人間ではなかった。ワトソン、むしろいつも自分の部屋にこもって、ささやかな思考実験をするのが好きだった。だから少しも同年輩のものとつきあわなかった。
剣術と拳闘以外、身体を動かすことに興味も持てず、しかも研究の方向性も他の連中とはきわめて異質であったから、接点すらなかった。
トレーヴァは知り合えたたったひとりの人間でもあり、そのきっかけというのもほんの偶然で、ある朝、僕が教会へ向かう途中、彼のブルテリアが僕のくるぶしにかみついたのだ。
 芸のない友情の始まり方だが、十分だった。
僕は十日間歩けず横になり、トレーヴァはよく見舞いに来た。
最初は短く言葉を交わすだけだったが、すぐに長く居座るようになって、治る頃には親友になっていた。
彼は情のある熱血漢、血気盛んといった具合で、どこから見ても僕と正反対だったが、どこか相通じるところがあった。やがて彼もまた私と同様、友人がいないとわかり、固い絆となった。
結果、彼は父君の住むノーフォーク州のドニソープへ僕を招き、一ヶ月の長期休暇のあいだ、もてなしを受けた。
彼の父君は、どうやらいくらか財産も名誉もある人物で、治安判事であり地主であった。
このドニソープというのは、湖や沼の多いブローズ地方にあって、ラングミアのちょうど北方に位置する小さな集落だ。
屋敷も、古風な幅のある楢の梁を持った煉瓦造りで、建物まで見事なライムの並木道が続いていた。
優雅な野鴨のいる湿原に、釣りに最適な場所、おそらく先代から受け継いだのだろうが、小さいながらも揃いのいい図書室があり、炊事係も及第点だった。だからよほど気むずかしい男でない限り、そこで愉快に一ヶ月暮らすことは何でもないことだろう。
 トレーヴァの父君は妻に先立たれていて、友人は彼の一人息子だった。
 聞いたところでは娘がひとりあったそうだが、バーミンガムへ行った際にジフテリアで亡くなったそうだ。
この父君という人に僕はとても惹かれた。
あまり学はなかったが、身体にも心にも荒削りだが力が満ちていた。
本もほとんど読まないそうだが、方々へ旅をし、世界の様々を見聞し、学んだことは忘れない。
見た感じでは筋骨隆々の男で、生えるままの灰色の髪、日に焼けた赤ら顔に碧い目は、一歩間違えば凶暴なほどに鋭い。
それでいて、彼はその田舎近辺では、思いやりの深い人間として有名であり、その判事席から出す判決の寛大さがよく知られていた。
 僕がそこへ着いてまもなく、ある夕べのこと、僕たちは晩餐のあとに腰掛けて葡萄酒を飲んでいた。とそのとき、息子の方が僕の観察や推理の癖について話し出した。僕はそのときまでにひとつの体系を作り上げていたが、現実世界でその力が役立つとは考えてみたこともなかった。
父君の方は、息子が友人のしたつまらん芸のひとつふたつを大げさに話したとでも考えたに相違ない。
『では、ホームズくん。』と彼は朗らかに笑いながら言う。
『私はうってつけの相手だ。私から何か推理できるかね?』
『あまり多くはわからないかもしれません。』と僕は返事をして、『察するに、あなたはこの十二ヶ月のあいだ、誰かに襲われるのではと恐れておられる。』
 すると彼の顔から笑みが消え、驚愕といったふうに僕を見据える。
『ああ、まさにその通りだ。』と彼は言った。
『だな、ヴィクタ。』と息子の方を見ながら、『あの密猟団を追っ払ったとき、やつらは「お前ら刺し殺してやる」と吐き捨てた。やがてエドワード・ホビィ勲士が本当に襲われた。
それ以後、常に自分の身を用心している。君はどうしてそれが分かったのかね?』
『実に素敵な杖をお持ちです。』と僕は答えた。
『その彫りを見る分には、まだお持ちになって一年とない。
だがわざわざ杖の頭に穴を開け、中に溶かした鉄を入れて、手強い武器になさった。
危険を感じてない限り、そんな備えはしないと言えましょう。』
『それから他には?』と彼はほほえみながら訊く。
『お若い頃、ずいぶん拳闘をなさった。』
『また当たり。どうしてそれが分かる? 鼻筋がどこか曲がっとるかね?』
『いいえ。』と僕は言う。『あなたの耳です。その独特な平たさと薄さ、拳闘をやる人特有のものです。』
『まだ他には?』
『採掘作業をかなりやったことが、その胼胝たこから。』
『全財産を金鉱で稼いだ。』
『ニュー・ジーランドの滞在経験が。』
『これまた当たり。』
『日本へいらっしゃった。』
『その通り。』
『それから、かつて深いおつきあいをしてらした方に、頭文字J・Aの方がいるが、その後、何とかして忘れ去ろうとなさった。』
 父君は静かに立ち上がると、大きな碧い双眸を僕に向けて、妙ににらみつけ、そして前へ倒れ込んで、顔を布に出してあった胡桃のなかへ突っ込んでしまった。気絶したのだ。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
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