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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険
The Red-Headed League 赤毛組合 1
Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
友人シャーロック・ホームズを、昨年の秋、とある日に訪ねたことがあった。すると、ホームズは初老の紳士と話し込んでいた。でっぷりとし、赤ら顔の紳士で、頭髪が燃えるように赤かったのを覚えている。
私は仕事の邪魔をしたと思い、詫びを入れてお暇しようとした。だがホームズは不意に私を部屋に引きずり込み、私の背後にある扉を閉めたのである。
「いや、実にいい頃合いだ、ワトソンくん。」ホームズの声は、親しみに満ちていた。
「まあ待ちたまえ。この紳士は、ウィルソンさん、長年、僕のパートナーでして。僕はこれまで数々の事件を見事解決してきましたが、その時にはいつも、彼が助手を務めています。あなたの場合にも、彼が大いに役に立つことは間違いありません。」
でっぷりとした紳士は軽く腰を上げただけで、申し訳程度の会釈をしつつも、脂肪のたるみに囲まれた小さな目で、私を疑わしげに見るのであった。
「さあ、かけたまえ。」とホームズはソファをすすめた。自らも肘掛椅子に戻ると、両手の指先をつきあわせた。さてどうしようか、というときにするホームズの癖であった。
「さよう、ワトソンくん。君は僕の好みに同じく、突拍子もないこと、退屈で決まり切った日々の生活の埒外にあるものが好きだ。
君の熱心さを見ればわかる。逐一、記録をつけるほどだからね。だが言わせてもらえば、僕のささやかな冒険の大半に、色をつけている。」
「思えば、君の事件は面白いものばかりだった。」と私は述べる。
「いつぞやの発言、覚えているね? メアリ・サザランド嬢が持ってきたごく簡単な事件に赴く前のことだ――不思議な事件や、偶然の一致。我々がそれを求めるなら、我々は現実の中を探しにゆかねばならぬ。現実というのは、どんな想像力をも凌駕するのだから。」
「ふん、でも博士、最後には僕の意見に賛同せねばならぬ。さもなくば、どこまでも君の目の前に事実、事実、事実、と積み重ね続けるまでだ。君の論拠が事実という証拠の前に崩壊して、僕が正しいと認めるまでね。
ところで、ここにいらっしゃるジェイベス・ウィルソン氏が今朝、訳ありで僕を訪ねていらしたのだが、そのお話によると、この事件は近頃の中でも頭ひとつ抜きんでたものになりそうだ。
いつも言うように、不思議きわまりなく、独創的な事件というものはとかく巨大な犯罪には現れてこない。むしろ小さな犯罪の中に姿を現す。また時折、一体犯罪が行われたのかどうか、それすら判然としないようなところにも現れる。
うかがった限りでは、目下の事件が犯罪として扱える、とは明言できない。しかし今回の成り行きは、多くの事件と比べても、異端だと言える。
恐縮ですがウィルソンさん、もう一度お話を聞かせてくださいませんか。
といいますのも、友人であるワトソン博士が初めの辺りを聞いてませんし、事件が事件ですから、事細かな部分まであなたの口からできるだけうかがっておきたいと思うからです。
いつもなら、事件の成り行きをほんの少し聞くだけで構いません。僕の記憶の中から、似たような何千もの事件の例を引き出し、捜査を正しい方向へ導けます。
しかし本件の場合、僕の見たところでも、比較材料のない事件と言わざるをえません。」
恰幅のよい依頼人はいくぶん誇らしげに胸を張った。汚れてしわくちゃになった新聞を、厚地のコートの内ポケットから取りだした。
ひざの上で広げ、しわを伸ばしている。首をさしのべ、広告欄に目を落とした。私は男の挙動を観察し、わがパートナーのやり方にならって、男の服装や態度から何者であるかを読みとろうとつとめた。
でっぷり太っていて、もったいぶった鈍重な動作。ややだぶついた灰色の弁慶格子《シェパド・チェック》のズボン、くたびれた感じの黒いフロックコートを着て、コートの前ボタンを外していた。あわい褐色《ドラッブ》のベストからは太い真鍮製のアルバート型時計鎖が垂れ下がっていて、先には四角く穴のあいた金属の小片が装飾品としてついていた。
すり切れたシルクハットと、しわだらけのビロードの襟が付いたくすんだ褐色のオーバーが、そばにある椅子の上に置かれてあった。
そうして観察しても、結局わかるのは、男の燃えるように赤い髪と、ひどくくやしげで不満そうな表情だけだった。
シャーロック・ホームズの鋭い眼に、私のしようとしたことは見抜かれていたようだ。私の疑問に満ちた一瞥に気づくと、笑いながらかぶりを振るのであった。
「いや何、わからない。この方が過去、手先を使う仕事にしばらく従事していらっしゃったこと。嗅ぎ煙草を愛用していらっしゃること。フリーメイソンの一員でいらっしゃること。中国にもいらっしゃったこと。近頃、相当な量の書きものをなさったこと――これだけははっきりとわかるのだが、後はまったくわからない。」
ジェイベス・ウィルソン氏は椅子からすっくと立ち上がり、新聞を片方の人差し指で押さえたまま、目をわがパートナーの方へ向けた。
「ど、どうやって、どのようにしてそのことをご存じなんですか、ホームズさん。」ウィルソン氏は驚きのあまり、言葉を口に出す。
「その……ああ、ほら、私が手先を使う仕事をしていたことを?
ずばり間違いありませんよ。わしは船大工からたたき上げたんですから。」
右手を使って仕事をしていらしたんですから、その結果、その部分の筋肉が発達してしまったのです。」
「ほぉぉ、なるほど。なら、嗅ぎ煙草……フリーメイソンであることは?」
「どうやって見抜いたのか、それは詳しく申さないことにしておきましょう。あなたのように賢い人には無礼に当たりますから。それにとりわけ、フリーメイソンの厳格な規律に背いて、身分を表す円弧とコンパスのブローチをつけていらっしゃいる。」
「あ、本当ですな。うっかりしてました。しかし、書きものに関しては……」
「右の袖口に五インチほどのてかりがあります。左もしかりで、ちょうど机に当たるひじのあたり。つるつるして変色した部分があれば、これは書きもの以外に何で説明づけましょう?」
「魚の刺青《いれずみ》が、右手首のすぐ上に彫ってあります。これは中国へ行かなければ彫れないものです。
僕はこれでも、刺青の絵柄についてささやかな研究をしたことがありまして、その方面には論文を書いて寄稿したこともあります。
このほのかなピンク色の魚鱗、中国の極めて独特な特徴です。
それに今、中国の硬貨を時計鎖から下げていらっしゃる。これで理由は明らかでしょう?」
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo