※本文をクリック(タップ)するとその文章の音声を聴くことができます。
右上スイッチを「連続」にすると、その部分から終わりまで続けて聴くことができます。
※ "PlayBackRate" で再生速度を調節できます。
A Dog of Flanders 1 フランダースの犬
Ouida ウィーダ
AOZORA BUNKO 青空文庫
ネロは、アルデンネ生まれの少年でした。パトラッシュは、大きなフランダース犬でした。
どちらも年は一緒でした。けれども、ネロはまだ若く、パトラッシュはもう年寄りでした。
彼らは生きている間、ほとんど一緒に暮らしていました。どちらも両親を亡くし、非常に貧しく、同じ人の手で養われていました。
二人には、初めて出会った時から、共感というきずなが存在しました。そして、その共感のきずなは日を追う毎に強まり、彼らが成長するにつれてしっかりと成長し、切り離すことができなくなりました。そして、ついには、お互い同士、深く愛し合うようになったのでした。
彼らの家は小さな村のはずれにある、小さな小屋でした。村は、フランダース地方にあり、アントワープから五キロばかり離れていました。村は、広々とした牧草地と、とうもろこし畑に挟まれた平野にありました。平野を横切る運河のほとりには、ポプラとハンノキの長い並木がそよ風に吹かれてたなびいていました。
村には、およそ二十軒ばかりの家と農家がありました。その家々は、雨戸は明るい緑か空色で、屋根はばら色か白と黒のまだらで、壁は日差しに照らされると雪とみまがうほどに真っ白でした。
村の中心には、風車小屋がありました。その小屋は、少しこけの生えた斜面に建っていました。風車小屋は、あたり一帯の平野からは、よい目印になっていました。
かつて風車小屋は、帆も何もかも真っ赤に塗られていました。しかしそれは、まだ風車小屋ができた頃の話で、もう半世紀以上も前のことでした。当時は、この小屋はナポレオン将軍の兵士のために小麦を挽いていたのでした。今や、風車小屋は赤茶色でした。長年の風や日射しで色あせてしまったのです。
It went queerly by fits and starts, as though rheumatic and stiff in the joints from age, but it served the whole neighborhood, which would have thought it almost as impious to carry grain elsewhere as to attend any other religious service than the mass that was performed at the altar of the little old gray church, with its conical steeple, which stood opposite to it, and whose single bell rang morning, noon, and night with that strange, subdued, hollow sadness which every bell that hangs in the Low Countries seems to gain as an integral part of its melody. 風車は、時々奇妙な具合に動きました。それは、まるで年取って痛風や関節炎になったかのようでした。けれども、近隣一帯の人たちはみな、この風車小屋で小麦を挽いていました。きっと、よそに小麦を持っていくことは、村の小さな灰色の教会で行われるミサに参列せず、よその教会のミサに参列するのと同じくらい不信心なことであると、村人たちは考えていたに違いありません。その教会は、丸いとがった尖塔があって、風車小屋の反対側に建っていました。教会の一つしかない鐘が、この地方一帯の鐘に共通した、奇妙に沈んだ、うつろな悲しい響きを響かせながら、朝昼晩に鳴らされました。
ネロとパトラッシュは、ほとんどの生涯を、時を告げるもの悲しい鐘の音が聞こえる場所で一緒に暮らしていました。二人が住んだ村のはずれの小屋の北側にはアントワープの大聖堂の尖塔がそびえ、小屋との間には、どこまでも続く緑の草原ととうもろこし畑とが、まるで満ち引きすることのない海のように広がっていました。
そこは、とても年をとったまずしい老人の小屋でした。ジェハン・ダースは、若い頃は兵士でした。ジェハンじいさんは、牛が畑のあぜを掘り返すように国土を踏みにじった戦争のことを覚えていました。老人は、兵士として祖国に奉仕しましたが、奉仕で得たものは、老人をびっこにした傷だけでした。
年老いたジェハンじいさんが八十歳になったとき、娘がアルデンヌ地方のスタヴロ近くで亡くなり、形見に二歳になる孫が残されました。
ジェハンじいさんは、自分一人で食べていくことすらままならない状態でした。けれどもジェハンじいさんは、ぐち一つこぼさずにその重荷を引き受けました。そして、孫はすぐにジェハンじいさんにとって歓迎すべき、かけがえのない存在になりました。
小さなネロは、ジェハンじいさんと一緒に成長しました。ネロの本当の名前は「ニコラス」で、「ネロ」はニックネームでした。老人と子供は、貧しい小さな小屋で、満ち足りた日々を過ごしていました。
その小屋は、実際とても粗末で小さく、泥でできていました。けれども、きちんと整とんされ、貝殻のように真っ白で、豆とハーブとカボチャが植えられた小さな菜園がありました。
二人は、本当にひどく貧しかったのでした。まったく食べるものがない日もたくさんありました。
満腹するまで食べる機会など、決してありませんでした。満腹するまで食べられるだけで、天にも昇るような心地になったことでしょう。
けれども、老人は非常に穏やかで、少年に優しくしました。そして、少年はかわいく、純真で、正直で、優しい性格の子でした。彼らはパンのかけらと数枚のキャベツの葉っぱだけで幸せでした。そして、天にかけても地にかけても、それ以上のものを求めませんでした。パトラッシュがいつも一緒にいてくれることを除いて。パトラッシュなしでどこに安住できるのでしょうか?
というのは、二人にとって、パトラッシュは、すべてのすべてでした。 二人の宝庫であり、穀倉。二人の黄金の蓄えであり、富の杖。二人のパンのかせぎ手であり、召使い。二人の唯一の友だちであり、なぐさめ。
パトラッシュが死ぬか、二人からとりあげられてしまうと、二人とも倒れて死んでしまったにちがいありません。
パトラッシュは、二人にとって胴体であり、頭であり、手足でした。パトラッシュは、二人にとって人生であり、魂でした。
というのは、ジェハン・ダースは足が不自由な老人で、ネロはほんの子どもに過ぎなかったからです。そして、パトラッシュは彼らの飼い犬でした。
フランダースの犬は、茶色い色をし、頭と手足は大きく、まっすぐに立ったおおかみのような耳をして、足は曲がり、何世代にもわたる厳しい労働によって発達した筋肉を持っていました。
パトラッシュは、フランダース地方で何世紀にもわたって先祖代々酷使される種族の子孫でした。奴隷の中の奴隷であり、人々にこき使われる犬畜生であり、荷車を引くのに使われる獣でした。彼らは、激しい荷役で筋肉を痛め、道の敷石で心臓が破れて死んでいったのでした。
パトラッシュの両親は、東西フランダースやブラバントの、あちこちの町のするどいとがった敷石と、長く、日陰のない、うんざりするような道を、一生働き通したのでした。
パトラッシュが両親から受け継いだものと言えば、同じような苦しみと重労働だけでした。
パトラッシュは、悪態を食べ、殴打で洗礼を受けました。
なぜそれがいけないのでしょう? ここは文明国、キリスト教国です。そして、パトラッシュは犬に過ぎません。
パトラッシュは大人になる前に、荷車と首輪のにがさを味わっていました。
Copyright (C) Ouida, Kojiro Araki