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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Gloria Scott グロリア・スコット号 5

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 ヴィクタ・トレーヴァは、震える両手に顔をうずめた。
『それで間違いない、たぶん。』と言った。
『死ぬよりもひどいことなのだろう。加えて、不名誉を意味するんだからな。
だけど、この「狩場」や「雌雉」というのは、何だろうね。』
『この手紙では何の意味もないが、もしこの手紙の差出人を特定する他の手段がないものとすれば、大きな意味を持ってくる。
ほら、こういう書き出しで始まるだろう。「もはや……すべて……」云々。
あとは決めてあった暗号通りに、それぞれふたつずつ何か言葉を埋めていく。
だとすれば、まず自然に思いついた言葉を埋めるだろうし、そこで狩りに関係する言葉が多く出ているのならば、その人物は熱心な狩人か、養鶏に興味を持っていると考えてもよかろう。
君はベドウズについて何か知っているか?』
『ああ、君の言う通りだ。』と彼は言った。『そういえば、死んだ親父は、ベドウズから自分の地所でする猟の招待状を、秋になるといつももらっていたな。』
『では、この手紙が彼から来たものであることは間違いない。』と僕は言った。
『僕たちに残されたことは、この秘密が何か突き止めることだ。この船乗りのハドソンが、何でもってこの尊敬すべきふたりの資産家の頭を押さえたのか。』
『ああ、ホームズ、僕には、その何かは罪のようなもので、不名誉なことだと思うんだ!』と彼は語気を強める。
『だけど、僕は君に隠し立てしようとは思わない。
実はここに親父の書いた告白文がある。ハドソンからの危険が避けられないと分かって、そのときに自分で書いたんだろう。
僕はそれを、親父が医者に告げた通り、日本箪笥のなかに見つけた。
渡すから読み上げてくれないか。僕には自分で読むだけの気力も度胸もないんだ。』
 それがこの資料というわけだ、ワトソン。そのとき僕は渡されて、古風な書斎でその夜、彼に読んだのだが、同じように君にも読もう。
見たまえ、裏側の見えるところにこう書いてある。「小型帆船グローリア・スコット号、航海の顛末、一八五五年一〇月八日ファルマス出港から一一月六日北緯一五度二〇分・西経二五度一四分、崩壊に至るまで」。
手紙形式になっていて、こんなふうに始まる。
『私の愛しい愛しい息子よ、忍び寄りつつある不名誉が、私のいくばくもない余命を暗くし始めた。そんな今だからこそ、私は正直に嘘偽りなく記すことができる。それは法律を恐れるからではなく、この地方における地位を失うからでもなく、また私を知るすべての人の目にさらされ没落するからではなく、私がもっとも心を痛めるのは、お前が私のために恥をかかねばならぬ、そのことだけだ――お前はただ、私を愛し私をただ一心に尊敬してくれたというのに。
ずっと私の頭上に宙づりになっていた恐れがついに落ちてきたら、そのときはどうかこれを読んでほしい。いかに父が恥ずべき人間であったかを、直接知ってほしい。
だが反対に、万事がうまく行き(全能の主よかくあれかし)、何かの拍子でこの手紙が破棄されず、お前の手元に渡ることがあったなら、頼むから信じるすべてのものにかけて、愛するお前の母の思い出にかけて、またふたりの愛にかけて、これを火の中にくべ、二度と思い出さずにいてくれるとありがたい。
 この文章がお前の目に触れていると言うことは、私の秘密は暴かれ家から連行されたか、もしくは、こちらの方がありそうだが、心臓が弱まり、口を緘したまま死ぬかしているに違いない。
いずれにしても、もうひた隠しにするときは過ぎた。私の語るすべての言葉は、ありのままの真実だ。ここに述べることをどうか許してほしい。
 私の本名は、息子よ、トレーヴァではない。
若い頃はジェイムズ・アーミティッジといったのだ。今なら数週間前、私が卒倒した理由もわかるだろう。あのとき、お前の学友は、私の秘密を不意打ちするような言葉を私に向けたのだ。
アーミティッジとして私は、ロンドンの銀行に入り、アーミティッジとして我が国の法を犯したため有罪となり、流刑を言い渡されたことがあった。
どうか私を厳しく見ないでくれ、息子よ。
それはいわゆる名誉の負債というものを支払わねばならず、そのために私は自分のものではないお金を使った、なくなったことを気づかれることなく返しておけるはずだったのだ。
ところが、実に恐ろしい不幸に見舞われ、
使ったお金はひとつも回収できず、抜き打ちの会計監査で、私の使い込みがばれてしまった。
事件の処置は寛大であったともいえようが、三〇年前の法律は、今日より遥かに厳しく執行されており、二三歳の誕生日、私は重罪人として鎖につながれ、他の三七人の罪人とともに小型帆船グローリア・スコット号の中艙に押し込まれ、オーストラリアへ送られることとなった。
 それはクリミア戦争まっただなかの五五年のことで、古くからの囚人船はほとんどが黒海で運送目的に使用されていた。
そのため政府はそれらの囚人を送るにはあまり適当でない、小さめの船を使わざるを得なかった。
そのグローリア・スコット号は、かつて中国茶の取引に使われていたが、旧式で船首が重く、船梁の広い船で、新型の快速船に取って代わられていた代物だ。
五百トンあり、三八名の囚人のほか、乗組員二六名、兵士一八名、船長一名、航海士が二名、医者一名、牧師一名、それから看守が四名いた。
都合一〇〇人ばかりの者がファルマス出港時点でその船に乗っていたという話だ。
 囚人の入っている部屋のあいだの仕切は、普通囚人船で使われているような厚い楢材ではなく、きわめて薄くもろいものだった。
船尾側ひとつ隣の男のことは、埠頭に連れて行かれたときに、とりわけ気になっていた人物だった。
若い男で、ひげのないすべすべした顔、細長い鼻、どこか胡桃割り人形のような口、
彼は愉快気に反り返って意気揚々と歩いており、他の者よりもぬきんでて背が高かった。
我々なんぞでは彼の肩にも届こう者はないと思えたし、少なく見積もっても六フィート半はあるに違いなかった。
不思議だったのだ、悲しそうな弱々しい顔が並んでいるのに、ひとりだけ力とやる気に満ちている。
その光景が私には、吹雪のうちの炎のように思われた。
そのため、彼が隣にいると知って、私は嬉しかった。さらに嬉しかったのは、真夜中、私の耳近くに囁く声を聞き、そうして隔てていた板に彼が穴を開けたと気づいたときだった。
「おい、ダチ公!」と声がする。「名前はなんて言う? 何をやっちまった?」
 私は彼に返事をして、今度は君は誰だと聞いた。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
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