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The Life and Writings of Edgar Allan Poe Part One(1) エドガー・アラン・ポオの生涯と作品


The Life and Writings of Edgar Allan Poe Part One エドガー・アラン・ポオの生涯と作品
EDGAR ALLAN POE: STORYTELLER. エドガー・アラン・ポー物語シリーズ
ここにお送りしますのは、100年余り昔のアメリカの作家、エドガー・アラン・ポオの生涯と作品についてのシリーズの、第1回の番組です。
このシリーズは、アメリカの口語英語の理解に役立つことを目的として作られています。
では、ポオの生涯と作品についての、2回にわたる話のうちの1回目をお聞きください。
お話は、ワシントンD.C.のアメリカン・ユニバーシティのF・カウルズ・ストリックランド教授です。
アメリカが生んだ作家、エドガー・アラン・ポオは、今日、アメリカ以外の国で、ほかのどのアメリカの作家よりも、その名を知られていると言っていいでしょう。
彼の詩や殊に短編小説には、世界中の人々に興味を感じさせる何物かがありました。
我々に連帯感を与えるものは、人間は死なねばならないというだれもが抱いている確かな認識であると言ってもいいでしょう。そして、おそらくこの認識こそ、我々がエドガー・ポオと共通の基盤に立っている、と感じさせるものなのです。
というのは、こういうわけなのです。彼の短編小説は-少なくとも今日読まれているものは、死とか、恐れとか、さらに単なる恐れを越えた恐怖とか、といったものでいっぱいです。そこに扱われている題材は、理由なき殺人とか、復しゅうのための殺人といったもので、例えば、美女たちが静かにそしてゆるやかに生から死へと移り変わっていき、あまりの穏やかさに、一体、いつ死んだのか、いや、死んだことすら、だれも気づかない、といったものばかりです。
ポオの小説には、一見実生活にありそうでいて、実際にはないような出来事の中に異様な人物や不思議な人物が登場するのです。
全く、こういった出来事はあまりにもリアルな印象を与えるので、彼が詳しく述べているようなことは、経験していなければ書けなかったはずである、というように思われているのです。
だから、歳月がたつにつれて、人々はポオの小説に出てくる人物に似た、ポオという名の男を心に描き始めたのです。つまり、自制心を失った、あるいは狂気の、でなければ、半分狂気の男というイメージを描いたのです。あるいはまた、異様なやり方で破滅に追い込まれていく男、といったイメージを描きました。
ポオが小説を書くにあたって、自分の経験を生かしたことは、言うまでもないことです。
しかし、だからといってポオが彼の書いた小説のモデルだった、というわけではありません。
では、彼はどういう人だったのでしょう。
エドガー・ポオは、1809年の1月に、マサチューセッツ州のボストンで生まれました。
彼の両親は2人とも役者でした。
両親はアメリカ東部を町から町へと移動して、今ではだれも覚えていないような芝居に出ていたのです。
彼らには家というものはなく、あったのは宿の部屋だけでした。
ある日、ポオがまだ9か月の赤ん坊のころ、彼の父親は飛び出したまま二度ともどってきませんでした。
動機についてはわかっていません。
ポオ夫人は、かわいそうに2人の幼児を抱え、3人目はまだおなかの中なのに夫に失跡されたのです。
やがて、ポオがまだやっと2歳になったころ、母親は死んでしまい、ポオは兄と赤ん坊の妹と3人きりの天涯孤独の身となりました。
このことが起こったのは、バージニア州のリッチモンドでした。
ジョン・アランという男が、ポオをリッチモンドにある彼の家に引き取りました。
しかし、アラン氏はポオを養子にはしようとしませんでした。つまり、ポオを法律上自分の息子にはしなかったのです。

そのうえ、アラン氏はポオを暖かく迎え入れるということもしませんでした。
このことは、後日のポオにとって、いろいろと面倒なことが起こる原因となりました。
ところが、アラン夫人のほうは自分に子どもがなかったので、とても子どもが欲しかったのです。
彼女はポオをかわいがりすぎたため、かえってポオのためにはよくありませんでした。
このことも、年月がたつにつれて、彼にとっては苦労の種となったと言えるでしょう。
ともあれ、アラン氏のおかげで、少年ポオはりっぱな教育を受けることになりました。
ポオは4歳から17歳まで、立派な学校で教育を受けたのです。
17歳になると、ポオは大学に進む準備に必要な勉強を始めました。
当時は、大学へ行けない若者が多かったのです。
ところが、そのころにはアラン氏は、すっかり大富豪になっていたのです。
そのためにかえって、シヤーロッツビルのバージニア大学にポオが着いた時の事情をのみ込みにくいのです。
アラン氏はリッチモンドへ帰る前に、ポオにいくらかの金を渡したのですが、必要なものをまかなうにはとても足りるような額ではありませんでした。
ポオは、最低限必要なものすら支払うことができなかったのです。
その結果、大学に入って1日目から、早くもその日のうちに、少なくとも2人の人から借金をする羽目となりました。
彼はアラン氏に手紙を出して、もっと金をくれるようにと頼みました。アラン氏はいくらかの金を送ってきましたが、またもや、ほんのわずかの額でしかなかったのです。
そのころになると、ポオはシャーロッツビルの商人たちが、自分につけでいろんなものを売ってくれることに気づいていたのです。
彼らはアラン氏が金持ちであることを知っていたから、つけで売ってくれたのです。
商人たちは、アラン氏が払ってくれるものと思っていました。
しかし、このほかにも、もっともっといろんなことがあったのです。
ポオは青年でしたから、生活をするにも勉強をするにも、仲間の青年たちと行動をともにしていました。
仲間たちのすることは、何でもつき合っていたのです。
そうした仲間たちとのつき合いの一つに、ギャンブルがありました。彼らはトランプで勝負をして、勝った者が負けた者から金を取り立てるのでした。つまり、ポオ以外のすべての敗者からというわけです-というのは、ポオは無一文でしたから。
ところが、ポオはたびたび負けましたので、彼の借金は増えるばかりです。
もう一つ、これらの若い大学生たちがしたことといえば、飲むことです。
英語では、「飲む」ということばを使う時は、水とかミルクとかコカコーラとか、といった具合に、何を飲むかということを明らかにするのが普通です。
ところが、何を飲むかを明らかにしないで、「彼は飲みます」という時は、彼がワインとかジンとかウィスキーのようなもの、つまり、アルコールの入ったものを飲む、という意味になります。
こういった飲み物は、足がふらつくほど飲んだり、気分が悪くなるほど飲んだりしない限り、しばらくは気分がよくなるものです。
ところで、ポオは飲むことを始めたのです。
私は飲むことを習い覚えた、と言いかけたのですが、実は困ったことに彼は習い覚えたのではないのです。
当時のような、建国後まだ歴史の浅いアメリカにおいては、今日とちがって荒々しい生活が行われていました。
飲むことは、一般には、悪いことだとはされていませんでした。ただ飲み方を心得ていなかった場合、つまり、飲みすぎたり、時と場所をわきまえずに飲んだりした場合、飲酒はよくないこととされていたのです。
ポオは飲み方を心得ていませんでした。
といっても、彼がいつも飲んでばかりいた、などということではありません。
もしそうだったとすれば、何も書けなかったはずです。
いや、それどころか、ポオが長い間飲まなかったことが、何度かあります。しかし、彼は酒がなくては生きていけないと考えた時期も何度かありました。
こんな具合ですから、ポオは自ら苦労の種をまいたのです。
ポオが悪いことと知りながら悪いことをした例は、まだこのほかにもあるのです。
言うまでもなく、そのような振る舞いは彼の性格に由来していました。
この問題については、ポオ自身も自覚していたのです。
彼は小説『黒猫』の中で、次のように書いています。人間は誰だって、してはいけないということがわかっているために、かえって、ふと気がついてみると自分が悪事を働いているという場合が、何と多いことだろう。
私たち人間というものは、法が法であることを知っているが故に、無意識のうちに、これを破ろうとする衝動にかられているのではないだろうか。

 
Reproduced by the courtesy of the Voice of America
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