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John Steinbeck(1) ジョン・スタインベック


John Steinbeck ジョン・スタインベック
DISTINGUISHED AMERICAN SERIES
ジョン・スタインベック:アメリカのイメージを求めた男。
「作家というものは、証明された人間の精神の偉大さを明らかにし、称賛しなければならない。偉大さというのは、敗北した時の勇敢さや、勇気、寛容、愛といったものを包容する、人間の能力の偉大さである。
私は、人間の自らの高めようとする能力を情熱的に信じこもうとしない作家は、文学を愛するものでもなければ、文学の世界の一員として加わることも許されない存在であると思う。」
1962年にノーベル文学賞を受けた時に、ジョン・スタインベックはこのように述べました。
ジョン・スタインベックの作品の多くは、アメリカの土地とそこに住む人々に関するものです。
彼は貧しい人々や、虐げられた人々や、ただ単に一風変わっているといった人々の味方でした。
彼の作品は温かくて、人間らしく、すっかり信用して差し支えないような人物たちの生涯と、彼らが生きた時代の壮麗な歴史を展開します。
彼が選んだ舞台は全米にわたっていますが、一番多いのは、彼の生まれ故郷のカリフォルニア州の肥沃(ひよく)なサリーナス峡谷でした。
ジョン・アーンスト・スタインベックは、この小さなサリーナスの町で1902年に生まれました。
彼の父親は製粉業を営んでいましたが、長年にわたってモンテレー郡の収入役を務めていました。
彼の母親は教師をしていましたが、子どものころのジョンが本を好きになり、書くことに興味を持つようになったのは、この母親の影響です。
学生のころ、初めは世界の古典を多く読み、しばしば高校の新聞に寄稿しました。
彼はがんじょうな少年で、6フィート以上の身長をもつようになって、優れたバスケットボールの選手兼陸上競技の走者になりました。
しかし、彼は多くの時間を農場で働くか、後に彼の小説の舞台となったカリフォルニアの峡谷や山々を歩き回るかして、野外で過ごしました。
いつも善良ではあるが、独立覇気の精神を備えた学生であったジョンは、1920年にサリーナス高等学校を首席で卒業すると、カリフォルニアのスタンフォード大学に入りました。
その後6年間、若きスタインベックは、自分に興味のある科目だけを取って、スタンフォード大学に行ったり行かなかったりしていました。
彼のおもな関心は科学とライティングで、彼は大学の新聞や雑誌に詩や小説を書いていました。
職業は常に転々としていて、学校から長期間離れては農場で働いたり、砂糖工場で働いたり、道路建設の一団に加わったりしていました。
1925年、彼はとうとう学位を取らずにスタンフォード大学を去りました。
彼は作家になろうと決意し、それにはニューヨーク市で始めるのが一番いいと考えて、青年スタインベックは東部へ行きました。
彼はニューヨークではいろんな仕事につきましたが、その中には、『ニューヨーク・ジャーナル』の新聞記者として働いたこともあります。
しかし、彼は、まもなくジャーナリストとしての彼の仕事は、つまらなくて退屈だと思うようになりました。
彼はカリフォルニアにもどって、自分独自の作品を書くことに専念しました。
スタインベックは二冬にわたって、ハイ・シエラ山脈のタホー湖にあったある富豪の所有地の番人として、ただひとりで生活をしました。
彼はここで彼の最初の小説『金のカップ』を書き上げ、1929年に出版しました。
この小説は、17世紀のカリブ海の海賊を描いた歴史小説です。
この本は成功したとは言えませんが、この本でかせいだ金で、彼はカリフォルニア州サン・ホゼーの近くにいたキャロル・ヘニングと1930年に結婚することができました。
彼は、その後しばらくしてもう2冊の本を書きました。
これらの本は、最初の本ほどの評判も受けることができませんでした。
しかし、そのうちの1冊『天の牧場』は、ふとした幸運に巡り会って、彼を作家として世に送り出すことになりました。
ある日のこと、ニューヨークの出版者パスカル・コビチが長い旅の車中で読もうと思い、たまたま『天の牧場』を買ったのです。
彼はこの本から強い感銘を受け、早速この年若い作者に連絡を取りました。
彼は、スタインベックがもう一つ小説を書き上げていたことや、その小説がすでに7人の出版者から出版を断られていること、などを知りました。
コビチはそれを読みたいと申し出ました。
それは『トーティラ・フラット((メキシコ料理・・・とうもろこしで作る薄くて丸い一種のもち<訳者注>))』という題の小説ですが、コビチはこれを1935年に出版しました。
これはスタインベックに最初の大成功をもたらし、その後30年間のコビチとの文学上の付き合いのきっかけとなった小説です。
『トーティラ・フラット』は、法律に縛られた生活をいさざよしとしない3人のメキシコ系アメリカ人の愉快な物語ですが、彼らはカリフォルニア州モンテレーに住んでいる親切で心の温かい人たちです。
この本はベスト・セラーになり、後に映画化されました。
この結果、スタインベックは幸せにも、経済的に著述に専念することができるようになりました。
彼は1936年に『どうなるかわからない戦い』という小説を出版しましたが、これはカリフォルニアの果実採集者たちのストライキを描いた、非常にリアリスティックな小説です。
この本はあまり広く読まれはしませんでしたが、スタインベックはがっかりしませんでした。
彼はもう次の新しい小説に取りかかっていましたし、この小説は彼の傑作の一つとなったのでした。
 
Reproduced by the courtesy of the Voice of America
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