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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

The Adventure Of The Speckled Band まだらのひも 2

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「ああ!」と依頼人が話し始める。「今のわたくしにとって最も恐ろしいことは、この恐怖が何のためかわからないことでして、まったく些細なことが気になるのです。他人から見ればつまらないことかもしれません。本来頼りにすべきあの方でさえ、神経質な女のたわ言だと考えるくらいなのですから。
口には出しませんが、なだめたり、目をそらしたり、わたくしにもわかります。
しかし、ホームズさん、あなたは人間の心に潜む悪意なら、どんなものでも見抜かれるとか。
ですから、わたくしに近づく危険をどう避ければよいのか教えてくださると思って……」
「傾聴致します。」
「わたくしは、ヘレン・ストーナと申します。ただいま義理の父親のロイロット博士と一緒に住んでおります。ロイロット家は、イングランドでも古いサクソンの家系の末裔で、サリィ州の西の果て、ストーク・モランにございます。」
 ホームズはうなずいた。
「その名は存じております。」
「一時は、一族も裕福でありました。地所は、北はバークシア、西はハンプシアまで広がっておりました。
しかし一八世紀、四代にわたり当主たちが放埒をして財産を使い果たし、結果として、摂政時代には賭博で一族は身を崩してしまいました。
ただ数エーカーの土地と、築二〇〇年にもなる屋敷だけは残りましたが、それも抵当に入っている始末でございます。
先代はそれでも無為な人生を送り、清貧に甘んじたとか。けれどもそのひとり息子、つまりこれが義理の父なのですが、そこから抜け出ようと思ったらしく、親類から学資を立て替えてもらい、どうにか医者の学位を取りました。それからインドのカルカッタへ参りまして、そこで、技術と持ち前の性格もあってか、医院を開業致しました。
あるとき、家内で窃盗事件が立て続けに起こりまして、かんしゃくを起こし、現地で雇った執事を殴り殺してしまったそうです。死刑はすんでのところで免れたようです。
もっとも、長い禁固刑に苦しめられたせいか、その後、内地へ戻ってからは、すれた気むずかしい人になってしまいました。
 そのロイロット博士とわたくしの母が結婚したのは、インドにいた頃で、当時わたくしの母は、ベンガル砲兵隊にいたストーナ少将の若き未亡人でした。
わたくしと、姉のジュリアは双子で、再婚したときはまだ二歳の赤ん坊でございました。
母はかなりの金持ちでございまして、一年に一〇〇〇ポンド以上の収入がございましたが、その金はそっくりロイロット博士に遺言で譲ってしまいました。もっともそれは、わたくしども姉妹が、継父と一緒に暮らしているあいだのことだけで、もしわたくしどもが結婚いたしますと、それから後はわたくしどもにも毎年ある決まった金額の金を分けてくれる決まりになっているのでございます。
母は内地に帰ってまもなく亡くなりました。八年前、クルーの近くで鉄道事故に遭ったのです。
母亡き後の父は、ロンドンで開業するつもりであったのをよして、わたくしどもを連れ、ストーク・モランにある一族代々の屋敷へ戻って住むことになりました。
母の遺産がありますことゆえ、生活には何不自由なく、よそ様がご覧になれば、わたくしどもはまことに結構な身分のように見えたことでございましょう。」
「ところがこの頃から、にわかに父の様子が変わってまいりました。
人と付き合うことを極端に嫌いまして、ストーク・モランのロイロットが代々の地所に戻ってきたと村人が喜ぶにもかかわらず、家の中に閉じこもってばかりいました。たまに外出いたしますと、道で会った村人と相手かまわずの喧嘩をするのです。
もともとロイロット家の者は気の荒い血筋を引いているのですが、父の場合は、その血筋の上に熱帯での長い生活が重なって、いっそうひどいのでございました。
警察沙汰になった事件も二度や三度ではございません。村の人々はすっかりおびえてしまい、しまいには父の姿を見ると、誰も皆あわてて逃げるようにさえなってしまいました。何しろ父と来たら恐ろしく力の強い人で、怒ったとなると全く手がつけられなくなるのでございます。
 つい先週も、父は村の鍛冶屋さんを橋の欄干から川の中へ突き落としてしまいました。訴え出るというのを、かき集めたお金を出してやっと勘弁していただいたほどでございます。
父のお友だちといっては、漂泊のロマの一団だけで、ロイロット家の地所として残っているわずか数エーカーほどの茨の茂った土地で、野宿してよいと言ってあるそうです。その交換条件として、父はいつでもそこでの寝泊まりを許されていますので、時によると父は同行して何週間も処々方々を回ることさえございました。
また父は、インド産の動物が好きで、現地からよく動物を買い入れております。現にただいまも、屋敷には豹が一頭とヒヒが一頭、いずれも放し飼いになっておりまして、いっそう村人を怖がらせる原因にもなっております。
 このお話で、かわいそうな姉ジュリアとわたくしとの暮らしが、今まで決して楽しいものでなかったことはおわかりになったと存じます。
屋敷にはひとりの召使いさえおりませんので、長い間、家のことはわたくしども姉妹の手ですべて看てまいりました。
姉の享年はまだ三〇でしたのに、その髪は白髪がちらほらと、ただいまのわたくしと同じように。」
「お姉さまはお亡くなりに?」
「ちょうど二年前に。実はお話ししたいのも、この姉の死についてでございます。
ご想像つくかと存じますが、このような暮らしですので、同世代同身分の人とはなかなか付き合いが難しく。
けれども、母の妹に当たるホノーリア・ウェストファイルという叔母がハロウの近くに住んでおりまして、父もここを訪ねることだけは許してくださいます。
ジュリアは二年前のクリスマスにそこへ参りまして、休職中の海軍少佐の方と出会い、婚約の運びとなったのでございます。
父はこの婚約を知っても別段何も文句を申しませんでしたが、式の日取りの二週間前に、あの恐ろしい事件のために、わたくしはたったひとりの姉を失ってしまったのです。」
 シャーロック・ホームズはずっと目を閉じ、椅子の背に頭を押しつけていたが、このとき細目を開けて、依頼人の方をちらりと見た。
「願わくは、詳しいお話を。」
「隅々までお話し致します。あまりの恐ろしさに、今もわたくしの記憶にはっきりと焼き付いております。
わたくしどもの屋敷は、申しあげましたようにたいへん古く、ただいま使っておりますのは一棟だけでございます。
一番目がロイロットさんの寝室、その隣が姉、次がわたくしのになっております。
寝室同士は行き来ができませんが、各部屋の入り口は同じ廊下に並んでおります。
こんな説明でよろしいでしょうか?」
「問題ありません。」
「寝室の窓からは庭の芝地が見えます。
事件当夜は、ロイロットさんは早くから寝室へ下がりましたが、おそらくお休みになったのではないと思います。姉によれば、父がいつも吸うインド煙草のきつい臭いにひどく悩まされたと。
ですので、姉は自室を出て、隣のわたくしの部屋へ参りました。しばらくわたくしどもは、すぐ先に迫った姉の婚礼の話をしておりました。
十一時に姉は帰るとて立ち上がりましたが、ふと戸口のところで立ち止まり、振り返ってこんなことを申しました。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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