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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Gloria Scott グロリア・スコット号 3

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 彼は二輪馬車で停車場まで迎えに来てくれたが、一目見るなり、この二ヶ月のあいだ苦労をしたのだとわかった。
悩みのためにやつれて、あの取り柄であった朗らかな調子もなくなっていた。
『親父が死にそうなんだ。』と彼は開口一番に言った。
『そんなまさか!』と僕は声を上げる。『いったい何が?』
『卒中だ。神経性ショックだ。ずっと峠にいる。
もう元気な姿は拝めないと思う。』
 わかってくれると思うが、ワトソン、思いがけない話で、背筋も凍ったよ。
『原因は?』と僕は訊いた。
『ああ、問題はそれなんだ。乗ってくれ、みちみち話そう。
覚えてるかい、帰る前の日の夕方、男がやってきたろう?』
『鮮明に。』
『あの日、家に入れてやったあの男、何者だと思う?』
『わからん。』
『あれは悪魔だよ、ホームズ。』と彼は声を張り上げる。
 僕は驚いてトレーヴァを見つめた。
『そうだ、悪魔そのものなんだ。
あれ以来、心休まる日はなかった――ただの一日も。
親父はあの夕べ以来、ずっとうつむき加減で、そして今や、命の火を絶やそうとしている。親父の心が折れたんだ、それもみんなあの忌々しいハドソンのせいだ。』
『その男にいったいどんな力が?』
『ああ、そんなの僕の方こそ知りたいよ。
親切で人のいいあの親父が――あんな悪党に捕まるなんて。
だけど、君が来てくれて本当に嬉しいよ、ホームズ。
君の判断と分別は信頼してる。だから、君は僕に、きっと最善の手段を教えてくれる。』
 僕たちはなだらかな白い田舎道を走っていった。目の前には湖沼地帯が広がっていて、沈みかかった太陽の赤い光を映じている。
左手にある森の上に、地主の屋敷を示す高い煙突と旗竿が先ほどから見えていた。
『親父は奴を庭師にしたんだよ。』と親友は言った。『だがやっこさん、それに飽きたらず、執事に出世させてもらったんだ。
もう家は奴の意のままだよ。家中をほっつき回って、やりたい放題だ。
女中たちはあいつの飲酒癖と乱暴な言葉遣いにたまりかねてる。
親父はその不平を抑えるためにみんなの月給を上げてやるという始末。
それなのにやっこさんは、小舟を引っ張り出し、親父の上等の鉄砲を持ち出して、気晴らしに撃ちに出かけるんだ。
しかもそれをやるときの顔と来たら、小馬鹿にしたような、意地の悪そうな横柄な顔、あいつが同じ年くらいの男だったら、もう二十回は殴ってるところだ。
正直、ホームズ、僕はこのあいだじっと我慢してて、始終迷ってたんだ、自分から事を起こすのは、馬鹿なことなんじゃないかって。
 ところが事態はますます悪くなっていくんだ。このハドソンって獣けだものは、さらに出しゃばるようになって、終しまいには、ある日、僕の目の前で親父に偉そうな口の利き方をしたんだ。で僕は、奴の肩をひっつかんで、部屋から放り出してやった。
奴は真っ青な顔をして、「覚えてろよ」とでも言うみたいに目をぎらつかせて、向こうへ行ってしまった。
それからあとで、あのかわいそうな親父とあいつのあいだで、どんな言葉を交わしたか知らないけど、次の日、親父は僕のところへやってきて、あいつにわびてくれるかと言うんだ。
断ったよ、そうだろう、そこで僕は親父に、どうしてああいう恥知らずを、親父はこの家にのさばらせておくんだと訊いてみた。
「息子よ。」と親父は言った。「話せればいちばんいいのだが、私の立場をお前は知らん。
だがいつか絶対に話す、ヴィクタ。
何かが起これば、きっとお前は知るのだと思う。
この哀れな父親を悪者扱いせんでくれ、なあ。」
親父は僕の言葉に動揺して、その日は書斎から出てこなかった。窓からのぞいてみると、親父は忙しそうに何かを書いていた。
 同じ日の夕方、大きな救いのようなものがやってきた。ハドソンが僕たちの家から出て行くと言い出したんだ。
ちょうど夕食のあと、食堂で座っているときに歩いてきて、ほろ酔い機嫌のしゃがれ声でその意思を告げたんだ。
「ノーフォークはもうたくさんだ。」とあいつは言った。
「ハンプシアのベドウズさんとこへ突っ込むわ。
お前さん同様、おいらに喜んで会ってくれるよ、なあ。」
「気分を害して出て行くんでなければいいがね、ハドソン。」親父の言い方は馴れ馴れしくて、僕の血は煮えくりかえった。
「詫びはなかったぜ。」とあいつは僕の方に意地悪そうな目を向ける。
「ヴィクタ、大切な客人に向かって失礼だとは思わんかね。」と親父も僕の方を向く。
「それどころか、こちらは特別我慢してやったと思っています。」と僕は答えてやった。
「おう、ぬかしやがったな。」とあいつはうなった。
「上等だ、野郎。覚えてな!」
 あいつは足を引きずりながら部屋から出て、三十分ののち、家からも出てしまった。あとに残ったのは、気の毒なほど神経を病んだ親父だけだ。
それから毎晩、自分の部屋を歩き回る親父の足音を耳にした。また襲われるのではという不安がぶり返したみたいだった。』
『そしてどうなった?』と僕は先を促した。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
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