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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

The Man With The Twisted Lip 唇のねじれた男 4

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「思い出してほしいのだが、月曜はかなり暑い日で、シンクレア夫人はゆっくり歩きながら、馬車でもないかとあたりを見回した。あまりよろしくないところに足を踏み入れたと思ったろう。
とにかくスウォンダム横町を進んでいたところ、いきなり叫び声とも悲鳴ともつかぬものを耳にして、不意に目をやると、自分の夫が上から見下ろしていて、どうも、三階の窓から自分を招いているようだったというのだ。
その窓は開いていて、夫の顔をはっきり目にしたのだが、彼女の話では、ひどくうろたえていたともいう。
夫は彼女の方へ必死に手を振り、そのあとぱっと窓からいなくなったので、どうも後ろから力づくで無理に引っ込まされたのだと思えたらしい。
ひとつ妙な点を、女の鋭い目というものが捉えていて、出るときに同じ暗色の外套を着ていたのだが、襟もネクタイもなかったのだという。
 何かまずいことが夫に起こったのだと確信して、目の前の段を駆け下りたが――その建物が他ならぬ今晩君が僕を見つけた阿片窟で――正面の部屋を走り抜けて二階へ続く階段を上ろうとした。
だが階段の下のところで、先ほど話題にも出たやくざな船乗りに出くわし、押しとどめられて、さらにそこで手伝いをやっているデンマーク人も加わって、ついには表へ追い出されてしまった。
気が変になりそうなくらい、不安と恐れでいっぱいになり、横町を走り出たのだが、たまたま運の良いことに、フレズノウ街で警察の一隊にぶつかった。みな巡回の最中だったので、
警部と巡査二名が彼女に同行し、店主が引き続き抵抗するのをものともせず、さきほどシンクレア氏が見えた部屋に踏み込んだ。
そこに夫の気配はなく、
事実、その階全体にはひとりを除いて誰もいなかった。そのひとりにしても、足の悪いひどい身なりのろくでなしで、どうもそこを寝床としているらしかった。
その男もインド人も、今日の午後はその通りに面した部屋に他の人間はいなかったと強く言い張った。
あまりにも強硬に否定するので、警部も心がぐらついて、シンクレア夫人が見間違えたのだと信じそうになった。が、そのとき、夫人が声を上げて卓上に置かれてあった小さな松の木箱に飛びつき、蓋を力任せに外した。
するとそこから子ども用の積み木が転げ落ちる。
夫が買ってくると約束した玩具だ。
 それが見つかったことと、またそのろくでなしがはっきりと動揺を示したこともあって、警部も事の深刻さを認識した。
部屋を入念に調べた結果、忌まわしい犯罪が行われたと断ぜざるを得ない。
通りに面した部屋には、居間として必要最低限の家具が揃えられていて、その奥に小さな寝室があるのだが、そちらはとある波止場の裏側に接している。
波止場と寝室の窓のあいだに、幅の狭い水路があって、引き潮のときは水もないが、満ち潮のときは少なくとも四と二分の一フィートの水位がある。
寝室の窓は大きめで、下から押し上げると開く種類だ。
調べてみるとすぐに血痕が窓台のところに見つかって、転々と落ちた跡が寝室の木の床にも確認できる。
通り側の部屋、窓掛の裏に、ネヴィル・シンクレア氏の衣類が押し込まれてあった。外套はなく、
あるのは靴、靴下、帽子に時計――揃っている。
これら衣服に争った形跡はなく、それ以外にネヴィル・シンクレア氏を示すものはなかった。
窓から外へ出たと考えるほかない。建物から出る姿は目撃されていないし、窓台の不穏な血痕を考えに入れると、生き延びて泳いでいったとは必ずしも言い切れない。その悲劇のあった時間は満ち潮で、水位が最高位にあったはずなのだ。
 さて、次は事件に直接関与していると見られる悪党どもについてだ。
インド人の船乗りは、経歴こそ大悪党として知られた男だが、ことシンクレア氏の件については、夫が窓際に姿を見せた数秒後には階段の下にいたことがわかっているから、この犯罪においては従犯程度の役割しかないだろう。
供述では、まったく無関係だと言い、話を訊けば、下宿人ヒュー・ブーンのやらかしたことは何も知らないし、消えた紳士の衣服があることについては自分は何もわからないという。
 店主のインド人についてはそれでよいとして、
次は怪しいろくでなしの方だが、こやつがその阿片窟の三階に住んでおり、ネヴィル・シンクレア氏を最後に目撃したはずの人間となる。
名前はヒュー・ブーン、その醜い顔は中心区をよく出歩く者なら誰でも見覚えがあるはずだ。
生業として乞食をやっているが、警察の取り締まりを逃れようと、建前では蝋マッチのちょっとした商いをやっていることになっている。
スレッドニードル街を少し下がったあたり、左手に、知っているかもしれないが、壁に引っ込んだところがある。
そこにそやつは毎日腰を下ろして、あぐらをかいて、膝の下にマッチの在庫を少しばかり置けば、いかにも見た目が哀れを誘うので、善意の小雨が降る、されば受け皿として、手脂で汚れた帽子を舗道のわきに置いておけばよい。
僕も一度ならず見たことがある。仕事で関わり合いになる前だが、このようにわずかな時間で物が得られるのかと驚いた覚えがある。
見た目が、ほら、目立つから、通り過ぎるときに目をやらずにはいられないのだ。実に印象に残る。
橙の髪に、青白い顔はすさまじい傷痕で醜く変じており、その傷に引っ張られて上唇の外側がめくれ上がって、頬はまるでブルドッグ、両の目は突き抜けるような黒、髪の色と不思議な対比を見せていて、どの特徴もそこいらの乞食とは一線を画している。さらに頭の回転が速く、通り一遍の者が投げかける冷やかしにも、当意即妙に返事をする。
こういった男が、今回あの阿片窟に住んでいるとわかって、なおかつ捜索中の紳士を最後に見たはずだというわけだ。」
「しかし足が悪い!」と私は言う。
「そんなやつが盛りの男に対して、ひとりで何ができるというんだね。」
「確かに、歩く際、足を引きずらねばならぬ。だがそれ以外は、力も強く、健康な男だと言えよう。
君も医者の経験からわかるだろう、ワトソン、どこか一箇所が悪くても、たいてい他のところが発達して、それを補うものだ。」
「そのまま話を。」
「シンクレア夫人は窓の血痕を見て卒倒し、警察の馬車で自宅まで運ばれた。現場にいても捜査の役に立ちそうにないからね。
バートン警部がこの事件を受け持つことになり、屋内をくまなく調べたのだが、事件の手がかりになりそうなものは何も見つからなかった。
ぬかったことにブーンをすぐ逮捕せず、数分の余裕を与えてしまい、そのあいだに友人のインド人と話をさせてしまった。やがて挽回しようと男を取り押さえ身体検査したが、立件できるほどの証拠は見あたらない。
実際には、肌着の右袖に血痕がいくつか付着していたのだが、その男は薬指を差し出し、爪の近くを切ったのでそこから血が出たのだといい、さきほどまで窓の側にいたから、あそこで見つかった血痕も、この傷から出たものに相違ないのだと言い添える始末。
これまでネヴィル・シンクレアなる人物など見たこともないと執拗に言い張り、自分の部屋にあった衣類は、警察同様、自分にも謎だと言い切るのだ。
シンクレア夫人は、窓際に夫がいるのをはっきり見たと言うが、頭がおかしくなったか、夢でも見たのではないかという。
声を張り上げ抵抗したが、男は署まで連行され、一方で警部は現場に居残った。潮が引けば新たな証拠が得られることもあろうと考えたわけだ。
 結果、見つかると危ぶんでいたものは何も出てこなかった。
あるといってもネヴィル・シンクレアの外套だけで、ネヴィル・シンクレア本人ではなかったのだ。潮が引いて底が見えるようになったわけだが、
出てきた外套、懐から何が見つかったと思うね?」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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