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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

The Man With The Twisted Lip 唇のねじれた男 3

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「さよう、死体だ。
ワトソン、あの阿片窟で、哀れな男が死に追いやられるたびに一〇〇〇ポンドもらえるとしたら、我々は大富豪になれる。
河岸地区全体でも最低最悪の地獄の馬車で、僕もネヴィル・シンクレアが入ったきり出てこないのではと心配している。
ところで、我々の馬車がここにあるはずだ。」
ホームズは両の人差し指を歯に差し入れ、鋭く笛を鳴らす――遠くの方から同じ笛の音で応答の合図があり、間髪入れずに続くのは轍の音と蹄の音。
「さあ、ワトソン。」とホームズが言うと、薄闇を抜けて、高さのある軽装二輪が飛び出してきて、両脇についた角灯から漏れる黄色い光が、金の筋を引いてゆく。
「ついてくるだろう?」
「お役に立てるなら。」
「うむ、頼りになる相棒がいれば常にありがたい。記録してくれるとあってはなおさらだ。
シーダーズ荘にある僕用の部屋には、寝台がふたつあったな。」
「シーダーズ荘?」
「ああ、そこがシンクレア氏の自宅だ。
捜査のあいだ居候している。」
「場所は?」
「ケント州リーの近く。馬車で七マイルの道のりだ。」
「しかし、まだ何も見えないのだが。」
「むろんそうだろう。じきにみなわかる。ここに上がりたまえ。
ご苦労、ジョン、ふたりで大丈夫だ。
半クラウンをやろう。
明日、一一時頃にまた頼む。
手綱をゆるめて、さらばだ、それ!」
 ホームズが馬に鞭を振るうと、馬車は走り出し、どこまでも続く薄暗くさびれた通りを過ぎてゆく。徐々に道幅が広がり、やがて手すりのついた広い橋に差し掛かって、ゆっくりと流れるよどんだ川を越える。
向こう岸にはまた煉瓦とモルタルの人気のない町並みがあり、その静けさを破るものといえば、警官の重く規則的な足音か、遅くまで飲み過ぎた酔いどれが群れてやらかす歌か叫び声くらいだ。
漠としたちぎれ雲が夜空をゆるやかにたゆたい、星がひとつふたつ、雲の切れ間からところどころで瞬いている。
ホームズは無言で馬車を進めつつも、頭を腕に埋め、考えにのめり込んでいる男といった風情だった。私はかたわらに座りながら、この新しい事件の内容を知りたくてうずうずしていたが、ホームズほどの者でも苦労するほどだから、さすがにその思考の流れに割り込むのはしのばれた。
数マイルほど進むと郊外の住宅地のあたりに入り始めたが、つとホームズは身を震わせ、肩をすくめると、パイプに火をつけた。今度は、今の策が最善なのだと誇らしげな男といった風情だ。
「君は押し黙ることにかけては大天才だ、ワトソン。」とホームズ。
「その点を考えれば、もはや相棒としての価値はつけがたいほどだ。
請け合うが、話したいときに話ができる相手というのは、僕のようなものには至極大切で、考え自体がやたら面白いというわけではないのでね。
戸口で顔を合わせたとき、あのけなげなご婦人に今夜は何を言えばよかろうかと悩んでいたのだ。」
「そもそも私は何も事情を知らんのだが。」
「ちょうどいい、リーに着く前に事件の仔細を話そう。
一見ひどく単純なのだが、どういうわけかとっかかりがつかめない。
糸口はたくさんあるに違いないが、その端を手でつかむことができない。
さて、事件を手短にまとめよう。ワトソン、君なら闇だと思われるところに光を見つけるかもしれない。」
「では始めてくれ。」
「数年前――正確には一八八四年五月――リーにネヴィル・シンクレアという名の紳士がやってきたのだが、財産があるらしく、
大きな屋敷を手に入れ、敷地にも手を加えて整え、暮らし向きも普通に良いようであった。
次第に近隣にも知り合いができ、一八八七年、地元の造り酒屋の娘と結婚、そのあいだに二児をももうけた。
男に定職はなかったが、いくつかの会社に出資しているらしく、決まって朝は市街地へ出向き、毎晩キャノン街から五時一四分の列車で帰ってくる。
シンクレア氏は当年三七歳で、悪癖もなく、いい夫であり、愛情のある父親で、つきあう人みなから好感を持たれている。
付け加えると、現時点での負債の総額が、確認できる限りでは八八ポンド一〇シリング、一方でキャピタル&カウンティーズ銀行の預金残高は二二〇ポンドある。
それゆえ、金銭問題が本人の心に重くのしかかっているというのは筋違いと言えよう。
 今週の月曜、ネヴィル・シンクレア氏はいつもより早めに街へ向かい、出がけにこういった。大事な用事がふたつほどある。うちの坊やに積み木を一箱買って帰る、と。
さて、ほんの偶然だが、その御前様はその月曜に一通の電報を受け取っていて、夫が出かけたすぐあとだったのだが、その内容は、お待ちかねの大事な小包がアバディーン海運会社の事業所で取り置きされているとのことだったそうだ。
このなじみのロンドンに詳しければ、その会社の事業所とやらがフレズノウ街にあって、アッパ・スウォンダム横町から出たところにあるとわかるだろう。今晩、僕を見かけた場所の表にあたる。
シンクレア夫人は朝食を摂ってから中心区に出かけ、少し買い物をしたのちその事業所へ行き、小包を受け取ったのだが、そこから駅へ向かう際にスウォンダム横町に入り込んでしまって、それがちょうど四時三五分のことだ。
ここまでのところはいいかい?」
「じゅうぶんだ。」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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