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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Resident Patient 入院患者 7

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「ねえどうでしょう」 ホームズはやがて云った。「僕も二階へいって、事件を調べてみたいんですがね」
 そこで私たちは医者につれられて二階に上って行った。
 そうして私たちがその寝室に這入って見た光景は、実に恐ろしい眺めだった。
私は、これがブレシントンかと思われるように、グニャリとしてたれさがっていたその様子を、どうしてもここに書き現すことは出来ない。
その鈞からぶらさがっている様子は、どうしても人間だとは思われなかったと云っても、少しも誇張ではないのである。
その首は、ひねられた鶏の首のように伸びて、余計にからだ全体を太っているように見せ、その対象の奇妙さと云ったらなかった。
それはブレシントンの長い寝巻きをまとった粘土細工で、その下からふくれ上った踵と不恰好な足とがニョキッとまる出しになっているのにすぎないのであった。
――そしてその側にはすばしっこそうな警察の探偵が立って、しきりに懐中手帳に何か書きとめていた。
「ああホームズさん」 ホームズが這入って行くと彼は云った。「あなたがいらしって下すったのは、大変有難いです」
「お早う、レーナー君」 ホームズは答えた。「余計な奴が闖入して来たと思わないでくれたまえよ。
――君はこの事件を引き起こした原因になるべきいろいろな出来事について、きいたかね?」
「ええ、大体はききました」
「で、君の意見はどうかね?」
「私の見ました限りでは、この男は何かの恐怖のために精神に異常を来たしたものじゃないかと思うんです。
――ごらんのようにベットには寝ていたらしい形跡があり、
しかも彼のからだの形がそのまま深く残っています。
――普通、自殺と云うものは、朝の五時頃に行われるのが一番多いと云うことはあなたも御存じの通りですが、
彼の自殺もやはりその頃に行われたのじゃないかと思うんです。
――しかしいずれにしてもこれは、慎重に考うべき事件らしいような気がします」
「筋肉のかたまりかたから見ると、死んでから三時間ぐらい経過していますね」 私は云った。
「その外に、この部屋の中で何か変ったことはありませんでしたか?」 ホームズは訊ねた。
「螺旋まわしと二三の螺旋を手洗い台の上で見つけました。
それから前の晩にはよほどひどく煙草を吸ったらしい紙を見ました。
ここに暖炉の中からひろい出した葉巻の吸いさしが四つあります」
「ふーむ」 ホームズは云った。「彼の葉巻パイプを持ってますか?」
「いいえ。そんなものは見えないようでしたよ」
「じゃ、葉巻入れは?」
「ああそれは上衣のポケットの中にありました」
 ホームズはその葉巻入れをひらいて、その中にたった一本残っていた葉巻の匂いをかいでみた。
「ああ、これはハバナだ。――けれど、そのほかのは、東印度の殖民地から輸入されるドイツ煙草で、全然何か別種の葉巻らしい。
――それは君も知ってるように、大ていはストローでつつんであって、ほかの種類のものに比較すると、長さの割に細巻のものだ」
 彼はそこにある四つの吸い残りをつまみ上げて、それらを懐中レンズで調べてみた。
「このうち二つはたしかにパイプで吸われたものだが、他の二つはパイプなしで吸われたものだ」 と彼は云った。
「それから二つの口はあんまり鋭くない刄物で切ってあるけれども、他の二つは丈夫な歯でくい切ってある。
――レーナー君、これは何だね、自殺じゃないね。
これは実に巧妙に仕組んである、冷酷な殺人だよ」
「そんなことはないでしょう」 と、探偵は叫んだ。
「なぜさ?」
「なぜって、そうじゃありませんか、首をくくらせるなんて、そんな気のきかない人殺しの仕方なんてあるものですか」
「いや、それは僕たちが発見した時の死人の様子なんだよ」
「しかしそれならどこから這入って来たんでしょう?」
「前の入口からさ」
「でも今朝は、そこにはちゃんと閂がかかっていましたよ」
「そりア仕事がすんでからかけたからさ」
「だが、あなたはどうしてそれをご存じなんです?」
「その跡がちゃんとあるよ。
――ちょっと待ちたまえ、今、君にもっと不思議なことを見せて上げるから」
 彼は入口のドアまで歩いていった。そしてそこの鍵を、彼独得の法則にかなったやり方で調べた。
それから内側にある鍵もとって、しらべてみた。
また寝台も敷ものも椅子も暖炉も死体も綱も、順々にみんなしらべてみた。彼の満足が行くまで。――そうして私と探偵との手を借りて、その死骸を下におろして、うやうやしく被いものでおおった。
「この綱はどこから持って来たものなんです」 彼はきいた。
「これから切ったんですよ」 トレベリアン博士は寝台の下から、大きな綱の束を引っぱり出しながら、答えた。
「ブレシントンは無暗に火事をこわがったんです。だものですから、もし火事がおきて来て階段が燃えるようなことがあった場合、窓から逃げられるようにと云うのでこの綱を、いつも自分の側においといたんです」
「なるほどね、その綱が、彼の生命を救うどころかかえって奪ってしまったと云うわけなんですね」 ホームズは考え深そうにそう云った。
「それで大体事件は想像がつきましたよ。――きょうの午後までには、すっかり判明させることが出来ると思います。
――あの暖炉の上のブレシントンの肖像をとりおろしてもいいでしょう。ちょっと調べてみたいことがあるんですが……」
「けれど私にはまだ、何も話して下さらないじゃありませんか」 と医者は云った。
「ああ、そうでしたね。――こう云うことだけは、この事件について疑いのない所ですね」 ホームズは云った。
「この事件の中には、三人の男がいると云うことです。――若い男と年をとった男とそれからもう一人、――その男についてはまだどんな男か、私は手がかりがつかないでいるんですが。
――しかしとにかくその初めの二人の男ですね、それは例のロシア貴族とその息子とに化けて来た男であることは、申上げるまでもないことでしょう。
その男たちは、誰か家の中に加担した男がいて、その男の手引きで、仕事をしたらしいと思うんですがね
――探偵、あなたにちょっと御注意しておきたいことは、ここの、案内のボーイですね、あれを捕えてお調べになってみたら。――なんでも最近お雇いになったったと云うお話でしたね、博士……」
「ええ、あの若僧が見えないんですよ。今朝から」 とトレベリアン博士は云った。「今、女中や料理番がさがして歩いているんですがね」
 ホームズは肩をそびやかした。
「彼奴はこの事件で少なからず重大な役目をしているんですよ」 彼は云った。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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