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坊っちゃん 一 Botchan Chapter I (3)

夏目漱石 Soseki Natsume

青空文庫 AOZORA BUNKO
 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所《いっしょ》になる気でいた。
どうか置いて下さいと何遍も繰《く》り返して頼んだ。
おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。
ところがこの女はなかなか想像の強い女で、
あなたはどこがお好き、麹町《こうじまち》ですか麻布《あざぶ》ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並《なら》べていた。
その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建《にほんだて》も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。
すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。
清は何と云っても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。
おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。
別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。
ほかの小供も一概《いちがい》にこんなものだろうと思っていた。
ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想《かわいそう》だ、不仕合《ふしあわせ》だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。
その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。
その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。
兄は何とか会社の九州の支店に口があって行《ゆ》かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。
兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立《しゅったつ》すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。
どうせ兄の厄介《やっかい》になる気はない。
世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極《きま》っている。
なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟《かくご》をした。
兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多《がらくた》を二束三文《にそくさんもん》に売った。
家屋敷《いえやしき》はある人の周旋《しゅうせん》である金満家に譲った。
この方は大分金になったようだが、詳《くわ》しい事は一向知らぬ。
おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町《おがわまち》へ下宿していた。
清は十何年居たうちが人手に渡《わた》るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。
あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。
もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。
婆さんは何《なんに》も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。
兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下《くんだ》りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半《よじょうはん》の安下宿に籠《こも》って、それすらもいざとなれば直ちに引き払《はら》わねばならぬ始末だ。
どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったら
あなたがおうちを持って、奥《おく》さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥《おい》の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。
この甥は裁判所の書記でまず今日には差支《さしつか》えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴《な》れた家《うち》の方がいいと云って応じなかった。
しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易《ほうこうが》えをして入らぬ気兼《きがね》を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。
それにしても早くうちを持ての、妻《さい》を貰えの、来て世話をするのと云う。
親身《しんみ》の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買《しょうばい》をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意《ずいい》に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。
兄にしては感心なやり方だ、
何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊《たんばく》な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。
兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。
二日立って新橋の停車場《ていしゃば》で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。
商買をしたって面倒《めんど》くさくって旨《うま》く出来るものじゃなし、
ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。
よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。
資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。
六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。
それからどこの学校へはいろうと考えたが、
学問は生来《しょうらい》どれもこれも好きでない。
ことに語学とか文学とか云うものは真平《まっぴら》ご免《めん》だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。
どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、
幸い物理学校の前を通り掛《かか》ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。
今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起《おこ》った失策だ。
 
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY
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