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坊っちゃん 一 Botchan Chapter I (4)
夏目漱石 Soseki Natsume
青空文庫 AOZORA BUNKO
三年間まあ人並《ひとなみ》に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定《かんじょう》する方が便利であった。
しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。
自分でも可笑《おか》しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。
おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎《いなか》へ行く考えも何もなかった。
もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席《そくせき》に返事をした。
この三年間は四畳半に蟄居《ちっきょ》して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。
おれの生涯のうちでは比較的《ひかくてき》呑気《のんき》な時節であった。
生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉《かまくら》へ遠足した時ばかりである。
今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。
清の甥というのは存外結構な人である。おれが行《ゆ》くたびに、居《お》りさえすれば、何くれと款待《もて》なしてくれた。
清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢《じまん》を甥に聞かせた。
今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴《ふいちょう》した事もある。
独りで極《き》めて一人《ひとり》で喋舌《しゃべ》るから、こっちは困《こ》まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。
ただ清は昔風《むかしふう》の女だから、自分とおれの関係を封建《ほうけん》時代の主従《しゅじゅう》のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点《がてん》したものらしい。甥こそいい面《つら》の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋《たず》ねたら、
北向きの三畳に風邪《かぜ》を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊《ぼ》っちゃんいつ家《うち》をお持ちなさいますと聞いた。
卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。
そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。
おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、
非常に失望した容子《ようす》で、胡麻塩《ごましお》の鬢《びん》の乱れをしきりに撫《な》でた。
あまり気の毒だから「行《ゆ》く事は行くがじき帰る。
来年の夏休みにはきっと帰る」と慰《なぐさ》めてやった。
それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、
「越後《えちご》の笹飴《ささあめ》が食べたい」と云った。
「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。
「西の方だよ」と云うと「箱根《はこね》のさきですか手前ですか」と問う。
来る途中《とちゅう》小間物屋で買って来た歯磨《はみがき》と楊子《ようじ》と手拭《てぬぐい》をズックの革鞄《かばん》に入れてくれた。
プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。
おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。
汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫《だいしょうぶ》だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY