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坊っちゃん 五 Botchan Chapter V (4)

夏目漱石 Soseki Natsume

青空文庫 AOZORA BUNKO
「また例の堀田《ほった》が……」
「そうかも知れない……」
「天麩羅《てんぷら》……ハハハハハ」
「……煽動《せんどう》して……」
「団子《だんご》も?」
 言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話《ないしょばな》しをしているに相違ない。
話すならもっと大きな声で話すがいい、
また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。
いけ好かない連中だ。
バッタだろうが雪踏《せった》だろうが、非はおれにある事じゃない。校長がひとまずあずけろと云ったから、狸《たぬき》の顔にめんじてただ今のところは控《ひか》えているんだ。
野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛筆《けふで》でもしゃぶって引っ込んでるがいい。
おれの事は、遅《おそ》かれ早かれ、おれ一人で片付けてみせるから、差支《さしつか》えはないが、
また例の堀田がとか煽動してとか云う文句が気にかかる。
堀田がおれを煽動して騒動《そうどう》を大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか方角がわからない。
青空を見ていると、日の光がだんだん弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。
線香《せんこう》の烟《けむり》のような雲が、透《す》き徹《とお》る底の上を静かに伸《の》して行ったと思ったら、いつしか底の奥《おく》に流れ込んで、うすくもやを掛《か》けたようになった。
 もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、
ええちょうど時分ですね。
今夜はマドンナの君にお逢《あ》いですかと野だが云う。
赤シャツは馬鹿《ばか》あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚《も》たした奴《やつ》を、少し起き直る。
エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿《さら》のような眼《め》を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。
野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻《か》いた。何という猪口才《ちょこざい》だろう。
 船は静かな海を岸へ漕《こ》ぎ戻《もど》る。
君釣《つり》はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、
ええ寝《ね》ていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草《まきたばこ》を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪《ろ》の足で掻き分けられた浪《なみ》の上を揺《ゆ》られながら漾《ただよ》っていった。
「君が来たんで生徒も大いに喜んでいるから、
奮発《ふんぱつ》してやってくれたまえ」
と今度は釣にはまるで縁故《えんこ》もない事を云い出した。
「あんまり喜んでもいないでしょう」
「いえ、お世辞じゃない。全く喜んでいるんです、ね、吉川君」
「喜んでるどころじゃない。大騒《おおさわ》ぎです」と野だはにやにやと笑った。
こいつの云う事は一々癪《しゃく》に障《さわ》るから妙だ。
「しかし君注意しないと、険呑《けんのん》ですよ」と赤シャツが云うから
「どうせ険呑です。こうなりゃ険呑は覚悟《かくご》です」と云ってやった。
実際おれは免職《めんしょく》になるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。
「そう云っちゃ、取りつきどころもないが――
実は僕も教頭として君のためを思うから云うんだが、わるく取っちゃ困る」
「教頭は全く君に好意を持ってるんですよ。
僕も及《およ》ばずながら、同じ江戸っ子だから、なるべく長くご在校を願って、お互《たがい》に力になろうと思って、これでも蔭ながら尽力《じんりょく》しているんですよ」
と野だが人間並《なみ》の事を云った。
野だのお世話になるくらいなら首を縊《くく》って死んじまわあ。
「それでね、生徒は君の来たのを大変歓迎《かんげい》しているんだが、そこにはいろいろな事情があってね。
君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我慢《がまん》だと思って、辛防《しんぼう》してくれたまえ。決して君のためにならないような事はしないから」
「いろいろの事情た、どんな事情です」
「それが少し込み入ってるんだが、
まあだんだん分りますよ。
僕《ぼく》が話さないでも自然と分って来るです、
「ええなかなか込み入ってますからね。
一朝一夕にゃ到底分りません。
しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。
 
Copyright (C) Soseki Natsume, Yasotaro Morri, J. R. KENNEDY
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