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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter3-6

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
ギャツビーの屋敷の上にはウェハースのような月が輝いていた。そう、庭はもう笑い声も低い物音も絶えて静まりかえっていたけれど、夜空はあいもかわらず澄みきっている。
それを見たとたん、開けっぱなしのドアや窓から溢れ出してきた空虚さが、ポーチに立って堅苦しく片手をあげ、別れの挨拶を送る主人の姿を完全に孤立させてしまった。
 ここまで書いてきたものを読みかえしてみると、これでは、ぼくが数週間の間隔を空けた三夜のできごとにばかり気をとられていたような印象を与えてしまいそうだ。
実際はまったく反対で、あの夜々はごたごたしたあの夏を何気なく通りすぎていったイベントにすぎず、ぼくは、ずっと後になるまで、個人的なものごとのほうへ断然《だんぜん》に気をとられていた。
 ぼくは時間の大部分を仕事につぎこんだ。
朝日に照らされて影を西側にしたがえながら、ニョーヨーク下町という白い谷間からプロビティ・トラストへと向かう。
他の事務員や証券マンとファーストネームで呼び合う仲になり、昼になるとかれらと薄暗くて混んだレストランにでかけ、小さなポークソーセージにマッシュポテト、それからコーヒーをかきこんだ。
ジャージー・シティに暮らしていた、経理の女の子とちょっとした火遊びをやったりもしたけど、彼女の兄から険悪な目を向けられるようになったから、七月になって彼女が休暇をとると、ぼくはそのまま自然消滅させてしまった。
 ふだんはイェール・クラブで夕食をとった――わけあって、それはぼくの日課でもっとも憂鬱《ゆううつ》なものだった――それから上の図書室にこもって、一時間まるまる、投資や保証について勉強した。
クラブにはいつも騒ぎ屋がいたけれど、連中はけっして図書室には入ってこなかったから、ここにいれば集中してとりくむことができた。
その後、おだやかな夜であれば、マジソン区から旧マレー・ヒル・ホテル前に出て、三十三番街を抜けペンシルベニア駅まで歩く。
 ぼくはニューヨークが好きになりはじめていた。活気と冒険気分に満ちた夜。絶えずゆらめく男女の群れと機械が落ちつきのない瞳に満足感を与える。
ぼくは五番街を歩き、群集の中からロマンティックな女性を選《え》りぬき、彼女たちの生活に、ぼくが、だれに知られることも、だれに後ろ指さされることもなく、するりと入りこんでいくという空想に、しばらくの間遊んでみるのが好きだった。
ときには、心の中で、知らない街角にある彼女たちの部屋までその後を追ってみることもある。ドアの前で彼女たちはぼくをふりかえってほほえむと、戸内の暖かい闇《やみ》の中へ溶けこむように消える。
大都会の黄昏《たそがれ》に行き場のない孤独感を感じることもあった。そして、それを他人に見出すこともあった――ショーウィンドウの前をぶらぶらしながら、レストランでの孤独な夕食の時間を待ちわびる若くて貧乏な勤め人たちに――もっともつらい夜を、もっともつらい日々をただ空費しているだけの黄昏時の勤め人たちに。
 八時になり、四十数番代のレーンに劇場区に向かうタクシーが描く五筋のはっきりとした線があらわれると、ぼくの心は沈んだ。
タクシーの中に肩を寄せあって声をはずませる人影。ぼくには聞き取れないジョークに応える笑い声。中で煙草の火が揺れ、なんとも形容しがたい弧を描く。
自分もまた、くつろいだ、わくわくするような夜をかれらとともにすごすため、待ち合わせ場所に急いでいるのだと空想しながら、ぼくは、かれらに幸あれと祈った。
 しばらくジョーダン・ベイカーの姿を見かけなかった。ふたたび彼女を見たのは夏も盛りのころだ。
はじめのうち、ぼくは彼女とともにいろいろなところに出かけるのを得意に思った。彼女はゴルフのチャンピオンで、だれもがその名前を知っていたからだ。
その後、もう少し気持ちが傾いた。別に恋というほどのものでもないけれど、ぼくはある種の優しい興味を彼女に抱いた。
彼女が世間に向ける、いかにも飽いたと言いたげな傲慢《ごうまん》な顔には、なにかが秘められていた――結局ポーズというものは、最初はちがったかもしれないけど、たいていなにかを秘めるものなのだ――そしてある日、彼女が秘めたものを見いだした。
ぼくらが一緒にウォーウィックでのホームパーティーに行ったとき、彼女は借りた車の幌を下ろしたまま雨の中に放置しておいて、そのことについて嘘をついたのだ――そのときぼくは、デイジーと再会した夜に思い出しそこねたエピソードを急に思い出した。
彼女がはじめて出場を果たした大きなトーナメントであやうく新聞に載りかけた騒ぎが持ちあがった――準決勝で彼女は自分のボールを具合の悪い位置から移動させたという話がでたのだ。
その話はスキャンダルにまでなりかけ――立ち消えになった。
キャディーが証言を撤回し、さらにもうひとりだけいた目撃者も自分の勘違いを認めた。
けれどもその事件とその名前は、セットでぼくの頭に刻まれていた。
 ジョーダン・ベイカーは利口で抜け目のない男を本能的に避けた。いまにしてみれば、それは規範《きはん》からそれるなど言語道断《ごんごどうだん》という世界にいたほうが安心できたからだと思う。
彼女の不誠実には手のつけようがなかった。
彼女は不利な立場に立たされるのに耐えられなかった。迂闊にもそういう立場に立たされたときは、思うにごく若い頃から冷静さをたもつためにそういう欺瞞《ぎまん》をやりはじめたのだろう、斜めに構えて世間を嗤《わら》った。そして自分の頑健で奔放《ほんぽう》な肉体が求めるものを満足させていたわけだ。
 それは、ぼくにとっては別にどうでもいいことだった。
女性の不誠実さなど、くどくどと責めたてるべきものではないのだ――とりあえずは情けなく思ったけれど、それで忘れてしまった。
同じホームパーティーに向かう途中、ぼくとジョーダンは車の運転についておもしろい話をしたことがある。
きっかけは、ジョーダンが労働者をかすめるように車を走らせたためにフェンダーが男のコートのボタンをひとつ弾き飛ばしてしまったことだった。
もっと注意して運転しろよ、じゃなきゃ運転なんかするな」
「注意してるよ」
「まあ、わたし以外の人が」
「話のつながりがわからないんだけど?」
「つまり向こうから避けてくれるってこと。事故ってのは両者の問題なんだから」
「きみと同じくらい不注意なやつに会ったときはどうする」
「会いたくないな、そんな人とは。
わたし、不注意な人って大嫌い。だからあなたのこと好きなのよ」
 陽に細められた灰色の瞳はまっすぐ前をみつめていたけれど、彼女のその言葉にはぼくたちの関係を変えようとする意思があった。ぼくは一瞬、彼女をいとおしく思った。
ところが、ぼくはもともと決断の遅いたちだし、胸の内には個人的な欲求にブレーキをかけるいろいろなルールが刻まれている。しかも、なにより先に故郷でのもつれにはっきりした処理をしなければならないというのを知っていた。
ぼくには一週間に一通のペースで「愛するニック」として手紙を書く相手がいたけれど、それについてぼくの頭の中にあることといったら、その娘がテニスをするとき、鼻の下にうっすらとした汗を浮かばせること、それがまるで薄い髭のように思えたことくらいしかない。
それでもやはり、ぼくらの間にはおぼろな了解があったから、自由になるためにはそれを巧《たく》みに断ち切ってみせなければならなかった。
 だれだって自分に七つの徳の一つくらいは備わっていると思うものだけど、ぼくの場合はこれだ。個人的に知っている範囲では数少ないもっとも誠実な人間、その一人がぼくなのだ。
 
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