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The Case-Book of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの事件簿

The Adventure Of The Sussex Vampire サセックスの吸血鬼 6

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 寝台に横たわっている女性が高熱なのは間違いない。
意識は朦朧としていたが、私がお邪魔すると、怯えつつも美しい両の瞳をあげて、不安げにこちらをにらむ。
見知らぬ人物とわかってどうもほっとしたのか、ため息をついてまた枕に頭を沈める。
励ましの言葉をかけながら近寄るも、じっとして動かないので、そのあいだに脈と熱を測った。
どちらも値は高かったが、個人的印象としては、どうもこの容態は、具体的な発作というよりむしろ心と気が高ぶったためになったものらしい。
「こんな調子、一日、二日。心配、死ぬ?」と娘。
 その女性は火照った端正な顔を私に向ける。
「夫はどこ?」
「下で会いたがっていると思います。」
「わたしは会いたくない、会うものですか。」
ところがそのあとうなされて話がそれる。
「鬼! 悪魔! あの悪魔、どうすれば!」
「何かしてほしいことは?」
「ない、誰も何もできない。終わり。みんな破滅。何をしても、破滅なの。」
 そのご婦人は妙な妄想にとりつかれたに相違ない。
あの正直者のボブ・ファーガソンの人となりから、鬼や悪魔は見えそうにない。
「奥様、旦那様は心からあなたをお愛しです。
こんなことになって深く悲しんでおいでです。」
 再びその女性は私にその見事な瞳を向ける。
「わたしを愛している。ええ。でもわたしがあの人を? 愛してないとでも? 
あの人の心が砕けるくらいなら、わたしは犠牲になったっていい。それほど愛してるのに。
それなのに、わたしのことを、あんなふうに、思うなんて――言うなんて。」
「嘆いておいでですが、訳が分からないのです。」
「ええ、そうでしょう。でも信じてさえくれれば。」
「会いたくはない?」と私が持ち出しても。
「ええ、ええ。あんな恐ろしい言葉、あんな形相、忘れられません。
会いません。出てって。何もしていただかなくて結構。
ひとつだけ伝えて。わたしの子どもを返して。生みの親はわたし。
あの人に言えるのはそれだけ。」
顔を壁に向けた女性は、それ以上は口を閉ざした。
 私が階下の部屋へと引き返すと、ファーガソンとホームズはそのまま炉辺で座っていた。
上でのやりとりのあらましを聞くファーガソンは、いかにも不機嫌だった。
「あの女に子どもを渡せるもんか。
また妙な気を起こされるか、知れたもんじゃない。
焼き付いて離れない、あの子のわきから、口を血塗れにして立ち上がったあの姿!」
思い出してぞっとする依頼人。
「子どもはメイソンさんに預ければ大丈夫、そのままにしておくべきだ。」
 細身の女中は、この屋敷内で目にした唯一今風のものだが、その人物が茶を運んできた。
給仕している最中に、扉が開いて少年がひとり部屋に入ってくる。
目を引く子で、青白い顔に金髪、感じやすい水色の瞳が突如として情念の炎に燃えたのは、それが父親に注がれたときだった。
駆け寄ったその子は、腕を父の首に回す。恋に恋する乙女が気のままにするように。
「ああ、パパン。」と声を張る。「まだ帰ってないって思ってた。
会えるんなら待ってればよかった。
でもお顔見れて嬉しい!」
 ゆっくりとその抱擁をほどくファーガソンは、いささか戸惑っているようだった。
「いい子だねえ。」と心のこもった手でその亜麻色の頭をなでる。
「早めに帰ってきたのは、友だちのホームズ先生とワトソン博士を口説いて、午後をこちらでご一緒してもらうことになったからなんだ。」
「その人がホームズ先生、探偵の?」
「ああ。」
 少年は我々を穴の開くほど見つめたが、どうも私には敵をにらんでいるかのように感じられた。
「もうひとりのお子さんは、ファーガソンさん?」と訊ねるホームズ。
「ご令息とお近づきになっても?」
「メイソンさんに赤ん坊を連れてきなさいと。」とファーガソン。
少年は出ていくとき妙にぎこちない走り方をしたが、外科的な目には、背骨を痛めているせいだとわかる。
まもなく帰ってくると、その後ろから背の高いやつれた女性がやってきた。腕に抱かれていたのはたいへん美しい赤子、黒目で金髪、サクソンとラテンの見事な融合だった。
ファーガソンが首ったけなのはまるわかりだ。腕に抱えると、愛おしむようになで回したのだ。
「この子を傷つけようとするやつがいると思うと。」とつぶやきながら目を下ろしたその先は天使の喉、そこに小さく腫れた赤い痕があった。
 まさにこの瞬間、たまたまホームズに目をやると、その表情はなぜかひどく張りつめていた。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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