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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter1-6

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
「いい子だよ、あれは」とトムはしばらくしてから言った。
「こんなふうに出歩かせてまわるのは感心せんな」
「感心しないって、だれに?」とデイジーは冷ややかに言った。
「家の人たちに」
「家の人たちったって、千歳にもなるみたいな叔母さんひとりきりなのよ。
それに、ニックがちゃんと見ててあげるし。でしょ、ニック? 
ジョーダンはね、この夏の間、週末のほとんどをこっちですごす予定にしてるの。たぶん、家庭の雰囲気ってあの娘にはとってもいい影響を与えると思う」
 デイジーとトムはしばらくの間だまってお互いを見つめた。
「ニューヨークの人?」とぼくはあわてて聞いた。
「ルイビルよ。わたしたちは純白の少女時代をあそこで過ごしたの。わたしたちの、穢《けが》れなき、純白の――」
「ベランダでは、ニックと心通い合う話でもやったのか?」と不意にトムが絡んだ。
「わたし?」とデイジーはぼくのほうを見た。
「えーっと、なんだったっけ? ノルマン民族の話だったかな。
そうそう、それだ。いつのまにかそんな話になってて。最初は――」
「聞かされたことをなんでも信じるなよ、ニック」とトムは忠告をくれた。
 ぼくはあっさり別に何も聞かされていないと答え、それから数分経ったところで、家に帰るために腰を上げた。
ふたりはドアのところまで見送りにきて、肩を並べ、明々と光る一画に立った。
エンジンをかけたところで、デイジーは断固とした調子で「待って!」と呼びとめた。
「忘れてた、ちょっと聞いときたいことがあったの。大切なこと。
ニックが西部で婚約したって話を聞いたんだけど」
「そうそう」トムがご親切にも確証する。「婚約したって話を聞いたぞ」
「中傷だよ。そんな金ないし」
「でも聞いたんだもの」とデイジーは食い下がり、それから花が開くみたいに打ち解けた口ぶりになってぼくを驚かせた。
「三人のひとから聞いたのよ。だから、ほんとうのことじゃなきゃおかしい」
 ふたりが何を指して言っているのか、もちろんぼくには分かっていたけど、それでもぼくは、婚約の「こ」の字すら言い与えたことがなかった。
実は、そういうゴシップが結婚予定表に載せられてしまったりしたのもぼくが東部にやってきた理由のひとつだったのだ。
噂を恐れて旧友とのつきあいをやめるわけにはいかないものだし、その一方で、噂がそのまま事実になってしまうような事態は望むところではなかった。
 かれらがぼくに興味を持ってくれるというのはなかなか嬉しかったし、また、かけ離れた金持ちだという印象も薄まった――けれどもしかし、車を走らせるにつれだんだんわけがわからなくなってきて、軽蔑したい気分になってきた。
ぼくが見るに、デイジーのやるべきことは子供を抱いて家を飛び出すことだ――けれども、デイジーの頭の中にそんな意図はさらさらないらしい。
トムについて言えば、「ニューヨークに女がいる」なんてのはぜんぜん驚くに値しない。それよりも、本を読んで意気消沈《いきしょうちん》していることのほうに驚く。
何かがかれに陳腐《ちんぷ》な思想を生噛《なまかじ》りさせている。その旺盛《おうせい》な肉体的エゴイズムではもう精神的な横柄さを支えきれないとでもいうように。
 すでに真夏の兆《きざ》しがロードハウスの屋根に現れ、それからリペアガレージの正面でもまた、真新しいガソリンポンプが光のプールに浸っている姿が見られた。ウェスト・エッグの自分の家にたどりつくと車を車庫に入れ、それから、庭に放置されていた芝刈器に腰を下ろした。
風はやみ、そこに明るくも騒々しい夜空が広がる。木立からは翼の気配《けはい》。そして、オルガンのように洋々と響き渡る、大地という風袋《ふうたい》がいっぱいに膨らみ鳴らす、生を謳歌《おうか》する蛙《かえる》たちの声。
月光をさっと横切った猫の影を追って首を動かしたぼくは、この場にいるのがぼくひとりでないことに気づいた――十五メートルほど離れたところに、隣人の屋敷の影から現れたその人影は、両手をポケットに突っこんだまま立ちつくし、銀の芥子粒《けしつぶ》みたいな星々を見つめていた。
悠然とした身ごなしや、ギャツビー邸の芝生に堂々と立つその姿勢から言って、どうやらかれこそがミスター・ギャツビーその人らしい。ぼくらの住むこの街で、自分の屋敷がどういうポジションにあるのか、見定めにきたのだろう。
 ぼくは声をかけてみることにした。
ミス・ベイカーが夕食の席でかれの名前を口にしたことを話題にすれば、うまく話を切り出せると思った。
だが、ぼくはかれに声をかけなかった。かれがひとりでいることに満足しているようすを不意に見せたから――かれは暗い海に向けて両腕を伸ばした。不思議な伸ばし方だった。ぼくはすこし離れたところにいたけれど、かれが震えていたのは誓って間違いない。
とっさにぼくは海のほうを見やった――がそこには特に何もなかった。ただ、桟橋《さんばし》の先端にだろうか、遠く小さな緑の光がひとつ燈《とも》っているのをのぞけば。
ギャツビーに目をもどすと、もうかれの姿は消えていた。静まらない闇《やみ》の中、ぼくはふたたびひとりになった。
 
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