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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー
Chapter1-5
Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
「ディナーの時間には電話しないくらいの礼儀はわきまえなさいよね。そう思わない?」
言っていることの意味がよくのみこめないうちに、ドレスの衣擦れと、ブーツの足音が近づいてきた。
「どうしようもなかったの!」というデイジーの雰囲気にはぎこちない陽気さがあった。
それから椅子に座り、探るようにミス・ベイカーを、それからぼくを見て、続きを言った。「ちょっと外を見てきたのよ、外はすごくロマンティックだった。
芝生の上に鳥が一羽いて。たぶんカナードとかホワイト・スター・ラインとかからきたナイチンゲールだと思うんだけど。それが歌いつづけてるのよ――」
その声もまた歌うようだった。「ロマンティックよね。ねえ、トム、そうじゃない?」
「すごくロマンティックだ」それからぼくのほうを見て、みじめに逃げを打つ。「もしディナーが終わった後まだ明るかったら、馬小屋を見せてやりたいところだな」
中でとつぜん電話が鳴り響き、デイジーがトムにむかって決めつけるように首を横に振ってみせると、馬小屋の話題どころかあらゆる話題が宙に消え去った。
テーブルを囲んだ最後の五分間、キャンドルが意味なくもとどおりにともされた記憶がある。ぼく自身は、みんなをまっすぐに見つめたがっているのを意識しながらも、みんなの目をさけていた。
ぼくにはデイジーとトムが何を考えていたのか見当もつかなかったが、言わば、大胆な懐疑《かいぎ》精神をマスターしているように思えていたミス・ベイカーでさえもこの五人めのゲストの金属的な金切り声を無視しきることはできなかったんじゃないかと思う。
ある種の気質の持ち主にとって、この状況は好奇心をそそられるものだったかもしれない――ぼくの場合は、警察に電話しようと思った。
馬のことなど、言うまでもないだろうけど、二度と口にされなかった。
トムとミス・ベイカーは数十センチの黄昏《たおがれ》を両者の間に置きながら、通夜にでも行くみたいな足取りで、書斎へと入っていった。いっぽう、気分よく過ごしているようにみえるようつとめながら、少し耳の遠いようなふりをして、ぼくはデイジーのあとについて、仕切りのチェーンを迂回し、ポーチの真正面に続くベランダに出た。
どんよりとした空気の中、ぼくらは籐《とう》のベンチに並んで腰を下ろした。
自分の綺麗《きれい》な顔かたちを手で確かめようとするみたいに、デイジーは両手で顔の下半分をおおった。そのまま、視線をしだいにビロードのような夕焼けに伸ばす。
デイジーが穏やかでない感情に昂《たか》ぶっているのを見取ったぼくは、何を言えば気を静めることができるだろうと考え、デイジーの小さな娘のことについて質問してみた。
「わたしたち、お互いのことあまりよく知らないのよね」と、デイジーの返事は意表をつくものだった。
「従弟だって言っても。結婚式にもきてくれなかった」
「ねえニック、わたしほんとに毎日ひどいことになってて、それで、なにもかもがシニカルにしか見れなくなっちゃったんだ」
そうなったのには明らかにデイジー自身に原因があった。
ぼくは黙っていた。が、デイジーはそれ以上何も言おうとしなかったため、ぼくはぎこちなく話題をデイジーの娘のことへともどした。
「たしかもう、しゃべれるくらいだと思うんだけど――食べたりとか、他にもいろいろ」
聞いてニック、あの子が生まれたときにわたしなんて言ったか教えてあげる。聞きたい?」
「聞いてもらえればどう感じてるのか分かってもらえると思う――いろんなことをどう感じてるか。
あの子が生まれてから一時間とたってなくてトムはどこにいるのかまったく分からなかった。
麻酔から覚めるとすっかりやけになって、近くにいた看護婦に聞いてみたのよ。男の子か女の子かって。
女の子だって教えてくれた。それでわたし、顔を背けて泣きながら言ったの。
『よかった。女の子でよかった。ばかな子だといいな――女の子がこの世界で生きていくには、ばかなのがなによりなんだから。かわいいおばかさんが』って。
「分かってくれたと思うけど、とにかくもうなにもかもがひどいありさまに思えて。
だれだってそう思ってる――最先端のひとたちみんな。
というか、分かっちゃったんだ。どこにでも行って、なんでも目にして、なんでもやって」
ここでデイジーは、むしろトムのほうにこそふさわしい反抗的な態度であたりを睥睨《へいげい》し、自嘲《じちょう》に満ちた笑い声をあげた。
「ソフィスティケートされちゃったのよ――ふふっ、すっかりソフィスティケートされましたのよ」
デイジーの声が途切れた瞬間、その束縛の力からぼくの心は解き放たれた。デイジーの話は根本から虚構なのではないかと感じた。
ぼくは息苦《いきぐる》しくなった。このディナー全体が、自分たちにとって都合のいい感情をぼくから無理にでも引き出そうとする、一種のトリックのように思えたのだ。
ぼくは何も言わなかった。するとデイジーは、なるほど、トムとともに所属するわりと著名な某秘密結社に名を連ねていることを公言するかのように、その綺麗《きれい》な顔にほほえみを浮かべ、ぼくに向けたのだった。
深紅《しんく》の部屋の中には光がいっぱいに満ち溢れていた。
二人はそれぞれ長椅子の両端に座って、ミス・ベイカーがトムに『サタデイ・イブニング・ポスト』を読んでやっていた――囁かれる言葉が次々とよどみなくつむがれていた。心地よい声音だった。
ランプの光がトムのブーツをてかてかと光らせ、ミス・ベイカーの銀杏《いちょう》色の髪を鈍く輝かせ、その腕の筋肉がしなやかに躍動《やくどう》してページがめくられるたび、去りゆくページの輪郭《りんかく》を鮮やかに照らした。
ぼくらが中に入っていくと、ミス・ベイカーは片手をあげて声を出すなと制止した。
「続く」と言って、雑誌をテーブルに投げ出す。「以下次号」
それから、せわしなく膝を動かしていたが、やがて立ちあがった。
「もう十時だし」と、天井に時間が書いてあるような雰囲気で言う。
「ジョーダンは明日トーナメントに出るのよ」とデイジーが説明する。「ウェストチェスターでのトーナメントに」
「ああ――ジョーダン・ベイカーとはあなたのことなんですね」
それで顔に見覚えがあったわけがわかった――人を小馬鹿にしたようなご機嫌なその態度を、アッシュビルとかホット・スプリングとかパーム・ビーチとかでのスポーツ活動を扱うグラビア誌で何度も何度も見たことがあったのだ。
それから、彼女に関する、致命的で不快なエピソードをなにか聞いたこともあったけれども、それがなんであったのか、とうの昔に忘れてしまっていた。
「おやすみなさい」と柔らかい声が言った。「八時に起こしてね、いい?」
「起きますとも。おやすみなさい、ミスター・キャラウェイ。そのうちまた」
「実はわたし結婚の仲介役になりそうな気がしてるんだから。
ちょくちょくくるのよ、ニック。そしたらわたしが、なんていうかな――ほら――うまくセッティングしてあげる。
そうねえ――うっかりリネンのクロゼットにふたりを閉じこめちゃったりとか、ボートにふたり乗せて海に出してやったりとか、そんな感じでいろいろ――」
「おやすみなさい」というミス・ベイカーの声が階段から飛んできた。「一言も聞こえなかったからね」
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