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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー

Chapter5-4

Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
「私の家、見事なものでしょう?」とギャツビーが言った。「ご覧なさい、正面全体が光を浴びているあの様子」
 ぼくもその壮麗《そうれい》さを認めた。
「そう」とギャツビーは、アーチ型の扉ひとつひとつを見、角張った塔ひとつひとつを見た。
「買い取る資金を作るのに丁度《ちょうど》三年かかりましたよ」
「財産は相続したんだと思ってました」
「そうですとも、尊公」と反射的な答え。「ですが大恐慌《だいきょうこう》で殆《ほとんど》ど失くしてしまいましてね――大戦後の恐慌で」
 かれは自分が何を言っているのか分かっていなかったのではないかと思う。というのも、かれがどんな仕事をしているのか尋ねてみると、「あなたには関係のない事です」と言ってから、改めてその返事の不適切さに気づいたようだった。
「いや、色々とやって参りました」と前言《ぜんげん》を訂正する。
「薬の仕事をやり、その後、石油の仕事もやりました。
ですが、今はそのどちらにも携わっておりません」そう言うと、前よりも注意をこめてぼくを見つめた。
「いつかの晩に私から提案させて頂いた件を考え直して下さったという事ですか?」
 ぼくが答えを返す前に、デイジーが家から出てきた。縦二列に並んだ真鍮《しんちゅう》のボタンが陽光にきらめいた。
「あそこの、あそこの大きなところ?」と指差しながら叫んだ。
「気に入りましたか?」
「とっても。でもひとりでどういうふうに暮らしてるの?」
「昼も夜も面白い人達で一杯にしているのですよ。面白いことをやっている人達。著名人ですね」
 ぼくらは海峡沿いの近道をとらず、道に出て、大きな裏門から中に入った。
デイジーは聞き手を惹《ひ》きつける囁き声で、屋敷全体が大空を切り取るそのシルエットの封建時代風の趣きを称え、黄水仙《きずいせん》の弾けるような香り、いまが盛りの山査子《さんざし》と李《すもも》が放つ泡立つような香り、さらには大毛蓼《おおけたで》の淡い金色の香りただよう庭を称えた。
違和感があったのは、大理石のステップにまできても、戸内外に華麗《かれい》なドレスのはためきも見えず、物音はといえば木立から鳥のさえずりしか聞こえてこなかったせいだ。
 中に入り、みんなでマリー・アントワネット風の音楽室や王政復古《おうせいふっこ》時代風のサロンをさまよい進みながら、ぼくは、どの寝椅子、どのテーブルの影にも客人たちが隠れていて、命令に従い、ぼくらが通り抜けるまでひっそりと息を殺しているような感じを受けた。
ギャツビーが「マートン大学図書館」のドアに近づいたときは、確かに、梟目の男の亡霊じみた笑い声がぼくの耳朶《じだ》をうった。
 ぼくらは二階にあがり、薔薇色や藤色の絹布《けんぷ》でつつまれ、つみたての花々で色鮮やかに飾りたてられた時代風なベッドルームを通り抜け、いくつもの化粧室やビリヤードルームや、浴槽が床に埋め込まれたバスルームを抜けた――またある部屋に入り込んだところ、そこにはパジャマを着ただらしない格好の男が、床で強肝体操をやっていた。
ミスター・クリップスプリンガー、別名「下宿人」だった。
あの朝ぼくは、かれがひもじそうにビーチを歩き回っているのを目撃していた。
やがて、ぼくらはギャツビー自身の部屋にきた。ベッドルームとバスルーム、アダム様式の書斎。ぼくらはそこに腰を落ち着けて、ギャツビーが壁の戸棚から取り出してきたシャルトリューズらしきものを、グラスに注いで飲んた。
 ギャツビーは片時たりともデイジーから目を離さなかった。たぶんかれは、自邸にあるものひとつひとつを、それがデイジーからうっとりした眼差しをどれくらい引き出せたかという基準でもって、再評価していたのだと思う。
時折、かれも一緒になって周囲にある自分の財産を呆然として見つめた。まるで、デイジーがここにいるという驚く他ない事実の前に、そのうちひとつとしてリアルには思えないと言わんばかりに。
一度など、すんでのところで階段を踏み外すところだったのだ。
 かれの寝室はいちばん質素な部屋だった――ドレッサーの中に見える、鈍い黄金色の光を放つ化粧道具のセットをのぞいては。
デイジーは大喜びでブラシを手に取り、髪を梳《と》いた。するとすぐ、ギャツビーは腰を下ろし、眉の辺りを手で抑えながら笑い出した。
「変なことですよね、尊公」とかれは浮かれたようすで言った。
「私はどうしても――わたしがやろうとするといつも――」
 かれは、見た目からも明らかに、第一、第二の状態を抜け、第三の状態に移行していた。
戸惑いと理非もない喜びの末、いまやかれはデイジーがここにいるということに胸を高鳴らせつづけることにくたびれていた。
長い間、かれはこのことを目一杯考え、その正しい道筋を結末まで夢み、言うなれば、思いもつかないほどに堅く歯を食いしばって待ちつづけてきたのだ。
いまやその反動がやってきて、すりきれた時計のように止まってしまっていた。
 間もなく自分をとりもどしたギャツビーは、二つの大きな特製キャビネットを開き、ぼくたちに中が見えるようにした。スーツ、ガウン、ネクタイがひとまとめにしてあり、それから、シャツの束が煉瓦みたいにうずたかく積み上げられていた。
「イギリスにいる知り合いが私に洋服を買ってくれるのですよ。
毎シーズン、春と秋の頭にこれはというものを選んで送りつけてくるのです」
 ギャツビーはワイシャツの束を取りだし、一枚一枚、ぼくらの目の前に放り投げはじめた。薄手のリネンのシャツ、厚手のシルクのシャツ、洒落たフランネルのシャツが、宙を泳ぎながらその折り目を開き、テーブルの上に彩り豊かに散り積もっていく。
感嘆しているぼくらを尻目にギャツビーは次々とシャツを投じ、ふかふかの山はさらに高く伸びる――横縞・縦縞・格子の模様、珊瑚色・青林檎色・藤色・薄橙色の布地、インディアン・ブルーの飾文字《かざりもじ》。
とつぜん、耐えかねたような声をあげたデイジーは、シャツの山に顔を埋め、堰を切ったように泣きはじめた。
「こんなに綺麗なワイシャツなんて」としゃくりあげるデイジーの声はひどくくぐもっていた。
「見てると悲しくなってくる。だってわたし、こんな――こんな綺麗《きれい》なワイシャツ、見たことないんだもの」
 家を見た後は、庭やプールやモーターボートや真夏の花々を見物することにしていた――が、窓の外ではふたたび雨が降りはじめたため、ぼくらは窓際に一列に並んで海峡の波打つ水面《みなも》を眺めた。
「もし霧がかっていなければ、湾の向こうにあなたの家が見えたのですけどね」とギャツビー。
「いつもいつも、緑色の光が一晩中|桟橋《さんばし》の先に灯されている」
 デイジーは唐突にギャツビーの体に腕を伸ばしたけれど、ギャツビーはいま自分が言ったことに気を取られていたように見えた。
もしかしたら、あの灯りの巨大な意味が永遠に消滅してしまったことを思わずにいられなかったのかもしれない。
かれとデイジーを隔てていた長大な距離と比べれば、その灯りとデイジーとは、近くも近く、ほとんど触れんばかりの距離にあるように思えたのだろう。
星から月までの距離と同じくらいの近さに。
いまふたたび、それは桟橋にある緑色の灯りにすぎなくなった。
かれの心を魅了《みりょう》していたものが、ひとつ、減ったわけだ。
 
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