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The Old Man and the Sea 20 老人と海


Ernest Miller Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ
AOZORA BUNKO 青空文庫
魚は何度もジャンプを繰り返す。ロープが走り出ていく。老人は、切れる寸前までロープを押さえ、いったん緩めてはまた切れる寸前まで押さえる。それでも船は勢いよく引きずられる。
彼は舳先に引き倒され、顔はシイラの切り身に押し付けられていた。しかし、動くこともできなかった。
 お互い、この時を待っていたんだ。彼は思った。やってやろうじゃないか。
 ロープは弁償してもらうぞ、必ずな。
 彼には魚が跳ねる姿は見えない。海面が破裂する音と、派手に飛び込む音が聞こえるだけだ。
ロープのスピードが両手をひどく傷つけていたが、こんなことは普段から想定している。彼はロープの力を皮膚の硬い部分で受け、それが手のひらに滑り込んだり指を切ったりしないよう努めた。
 あの子がここにいたら、ロープを濡らしておいてくれるだろう。彼は思った。
そうだ、あの子がいたら。あの子がいてくれたら。
 ロープはみるみる出て行く。が、その勢いは弱まってきた。彼は、魚に一インチずつロープを引き出させてやった。
彼は板から頭を上げ、頬で押し潰していたシイラの切り身から顔を離した。
膝をつき、そしてゆっくりと立ち上がる。
ロープは持って行かれるが、そのスピードはだんだん落ちている。
彼は、巻いたロープが控えているところまで後ずさりし、目で見る代わりに足で触って確認した。
ロープはまだたっぷりある。新たに伸びたロープが水の中で得る抵抗は、全て魚の重荷になるだろう。
 そうだ、と彼は思った。奴はもう十回以上ジャンプした。背中の浮袋を空気でいっぱいにして跳ねたんだ。これで、引き上げられないほど深く沈んで死んでしまうことはなくなった。
じきにぐるぐる回り始めるだろう。そうしたら俺が仕掛ける時だ。
しかしなぜ奴は突然始めやがったんだ。
空腹がもう限界なのか、それとも夜の闇の中で何かに怯えたのか。
突然恐ろしくなったのかもしれない。
だが奴は、冷静で強い魚だ。恐怖心など無さそうだし、自信に満ちているようだった。奇妙だな。
「爺さんだって、怖いもの知らずの自信を持てばいいんだ」彼は言った。「魚の動きは捉えているが、引っぱれない。しかし必ず、じきに回り出すはずだ」
 老人は左手と肩を使って魚の動きを抑えつつ、しゃがんで、右手で水をすくい上げ、顔についたシイラの潰れた魚肉を洗い落とした。
万一、シイラのせいで気分が悪くなって吐きでもしたら、体力を奪われてしまうからだ。
顔がきれいになると、彼は船べりから右手を出して海で洗った。そして、夜明け前の曙光を眺めながら、そのまま手を塩水に浸しておいた。
奴はほぼ真東を向いてるな、と彼は思った。
くたびれて、潮の流れに沿って泳いでいる証拠だ。
じきに周回し始めるだろう。そこからが、俺たちの本当の仕事だ。
 もう十分だろうと判断すると、彼は右手を水から出して、確かめた。
「悪くないな」彼は言った。「それに、痛みなど男にとっては何でもない」
 生傷を刺激しないよう慎重にロープをつかみ、体重を移動して、船の反対側から今度は左手を海に入れた。
「お前も、役立たずのわりにはそう悪くない」彼は左手に向かって言った。「だが、一時はいないも同然だったな」
 なぜ俺は両方の手が利くように生まれてこなかったのか、と彼は思った。
片方をちゃんと鍛えてこなかったのは失敗だった。左手の訓練をするチャンスはいくらでもあったはずだ。
しかし、夜のうちの働きはそう悪くなかったし、昨日たった一度引きつりを起こしただけだ。
もしまた引きつるようなら、ロープの勢いで切り落としてやるところだが。
 そんな考えに至った時、彼は、頭の働きが鈍ってきていることに気付いた。シイラをもう少し食べてやらなければいけない。
いや、無理だ。彼は自分に言った。吐き気で力が出なくなる。だったら頭がよどんでいたほうがましだ。
顔に押し付けられていたあの肉を食ったら、吐き気を抑えられない。
非常用として、腐るまで取っておこう。
いや、今さら栄養を取って力をつけようというのは遅すぎるか。
間抜けめ。彼は自分に言った。トビウオを食えばいいんだ。
 トビウオはちゃんと洗ってあった。彼は左手でつまんで口に入れ、しっかりと骨を噛んで、尻尾まで丸ごと食べた。
 こんなに栄養のある魚はそうはいない。彼は思った。
少なくとも、俺に必要な力を持った魚だ。
さあ、できることはやったぞ。彼は思った。
周回を始めるがいい。そうしたら闘いだ。
 
Copyright (C) Ernest Miller Hemingway, Kyo Ishinami
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