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The Old Man and the Sea 30 老人と海


Ernest Miller Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ
AOZORA BUNKO 青空文庫
 老人は息をするのもやっとだった。口の中は妙な味がした。銅のようで、甘い。一瞬それが不安になったが、長続きはしなかった。
 彼は海に唾を吐き、言った。「食え、ガラノー。人間を殺した夢でも見ていろ」
 完全に打ちのめされたと彼は悟った。悪あがきすらできない。船尾に戻り、折れた舵棒を舵の穴に合わせてみると、うまく嵌まって操舵できることが分かった。
肩に袋をあてて、船の向きを正した。
船は軽々と進んだ。彼の中にはどんな思考も、どんな種類の感情も無かった。
全ては過ぎ去り、今はただ船を操る。できる限り上手く帰港することだけを目指していた。
夜のうちに、サメが魚の残骸を襲った。テーブルのパン屑を拾う奴らのようなものだ。
老人はそれを気に留めず、舵を取る以外の何にも注意を払わなかった。
彼の気を引いたのは、重荷を抱えない船がすこぶる軽く速く進んでいるということだけだった。
 立派な船だ。彼は思った。頑丈で、とにかく舵棒以外は何の不都合も無い。舵棒など簡単に取り替えられる。
 船が、海流より陸側に入ったのが感じられた。海岸沿いに浜辺の村々の灯りが見える。
自分がどの辺りにいるかも分かった。もう、帰るのはたやすいことだ。
 何だかんだ言っても、風は俺たちの仲間だ、と彼は思った。まあ、時にもよるが。
大きな海には、仲間もいれば敵もいる。
それと、ベッドだ。彼は考えた。ベッドは仲間だ。そうだ、ベッドこそ味方だ。彼はそう思った。ベッドというものは素晴らしい。
打ちのめされてしまえば、後は気楽なものだ。
こんなに楽なものとは思わなかったな。しかし、俺を打ちのめしたのは何だったのか。彼は考えた。
「何でもない」彼は声に出して言った。「遠出しすぎただけだ」
 小さな入り江に入っていくと、テラスの光は消えていて、みんな寝ているのだと分かった。
徐々に吹いてきた風が、今では強くなっていた。
だが入り江の中は静かだ。岩場の下のこぢんまりした砂利浜に、彼は船を着けた。
誰の手助けもないのでできるだけ深く乗り上げ、それから船を降りて、岩としっかり結びつけた。
 彼はマストを外し、帆を巻き上げて縛った。それからマストを肩に担いで、坂をのぼり始める。
その時初めて、彼は自分の疲れの深さを知った。
立ち止まり、振り返って見ると、船尾の向こう側に魚の大きな尾がぴんと立ち、街灯の光を反射していた。
背骨は剥き出しで白い線となり、くちばしのついた頭は黒い塊に見える。肉は無い。
 彼は再び坂をのぼり始め、そして、のぼりきった所で倒れた。マストの下敷きになって、しばらく倒れていた。
彼は立ち上がろうとした。だが上手く行きそうにない。彼は座り込む姿勢になってマストを担ぎ直し、道を眺めた。
向こうのほうで、猫が道を横切った。用事がありそうな様子だ。老人はそれを見ていた。そしてまた、道を眺めた。
 結局、マストを肩から下ろして立ち上がった。それからマストを持ち上げ、肩に乗せて、道を歩き始める。
彼は途中で五度も座り込みながら、やっと小屋に着いた。
 小屋に入ると、マストを壁に立てかけた。暗闇の中で瓶を見つけ、水を一口飲む。
そしてベッドに横になった。
肩の上に毛布を引っ張り、背中や足にもかけて、新聞紙の上にうつぶせになる。腕は伸ばし、手のひらは上に向けて、彼は眠った。
 
Copyright (C) Ernest Miller Hemingway, Kyo Ishinami
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