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Episode-14 POWWOW
Episode-14 POWWOW
WORDS AND THEIR STORIES
どのようにしてアメリカ英語に入って来たのだろうか。
昔、変わったインディアンのしゅう長がいて、名をパウワタンといった。
彼はバージニアから、北はカナダとの国境までの、全アルゴンキン族のしゅう長であった。
パウワタンは、偉大なしゅう長であっただけでなく、魔術師であった。つまり病人を治すまじない師であった。
パウワタンは、夢を理解することができるといわれていた。
実際、彼の名前の最初の部分"powh"の意味は「夢で病気を治す男」である。
名前の後半"atan"は「まじない師の丘」という意味である。
つまりパウワタンとは、丘の上に立つまじない師ということになる。
そこで彼は彼の夢を聞き、神々に語りかけ、悪霊を追い払う儀式を行った。
もちろん、格の落ちるまじない師はパウワタンの部族にいた。
彼らが病人を治すための儀式を行う時、その儀式は"powwow"と呼ばれた。
“powwow”や“powah”は、初期の植民地開拓者たちを不思議がらせた。
夢や奇妙な儀式で病気を治すのが、魔術-邪神崇拝-のように思えたのである。
それで開拓者の数が増え、力が増してくると、彼らはそのようなまじないをやめさせようとした。
1646年に次の記事がマサチューセッツの新聞に載った。「いかなるインディアンも、いつなんどきでもまじないの儀式を行ったり、彼らの邪神を礼拝してはならない」
50年後に"powwow"ということばは、意味に変化を生じた。
最初は、まじない師とか病人を治すための奇妙な魔術の儀式であった。
だがそれがごちそうや踊りを伴う儀式をさすようになった。
100年後には"powwow"ということばは、より重大な意味を持つようになった。インディアンのしゅう長の集会である。
インディアンのしゅう長と白人の代表との会談も"powwow"ど呼ばれるようになった。
もしも話がうまく進めば、その後に食事、酒宴、踊りなどが続いた。
時がたつにつれて、東部のインディアンは、開拓者の仲間になり、アメリカ市民となるか、より西へと移動し、白人と戦った。
1835年までに年老いた開拓者が書いた本には、次のように記されている。「東部では、インディアン戦士が集まり、パイプをすっているのが見うけられる。
彼らは、至る所の茂みで議論をし、話し合い、会議をしているようである」
数年後、西部のインディアンが開拓者とまだ戦っていた地方に、次の文が出ていた。「2月の終わりごろ、何日か暖かい日があり、雪が解けた。
この時インディアンが会議をしたので、彼らが戦いの計画をしていることがわかった」
今日、"powwow"は、漠然と、どんな集会、会合、論議などでも表すのに使われる。
例えば、次のような見出しがニューヨークの新聞に載ったのは、それほど前のことではない。「民主党族の戦士、来週の火曜日に当市で会合を開く」
さて、きょうの会合を終える時間になりましたが、次のは来週のこの時間に開くことにしよう。
Reproduced by the courtesy of the Voice of America