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Episode-17 Hello
Episode-17 Hello
WORDS AND THEIR STORIES
きょうのことばは「ヤンキー」-アメリカ人に対するニックネームである。
そしてどのようにしてアメリカ英語に入って来たのだろうか。
多くの人が思っているのは、「ヤンキー」ということばが、鋭い、頭がよいを意味するスコットランド語に由来するということである。
しかしほとんどの専門家が認めているのは、「ヤンキー」ということばがオランダから来たということである。
昔、チーズを作るオランダ人は、ドイツ人から"John Cheese"と呼ばれていた。
これらのオランダ人の何人かが、アメリカへ1600年代初期に渡って来た。
彼らはニューイングランド地方の植民者の近くに定住した。
オランダ人はすぐれた農民だったので、北部の植民者を見て笑った。その植民者は、山の岩地に農場を作ろうとしていたのである。
そしてオランダ人たちは、ニューイングランドの開拓者に自分たちのニックネーム、"John Cheese"を与えた。
この説明がずっと真実味を帯びるのは、"John Cheese"という名前をよく調べた時である。
オランダ人のことばでは、J-a-nK-e-e-sとつづる。
アメリカの南北戦争のころには、「ヤンキー」というニックネームは、より広い意味を持つようになった。
北軍の兵士は、南軍の兵士に「ヤンキー」と呼ばれるようになった。
第一次世界大戦のころは、「ヤンキー」というニックネームはヨーロッパに広まった。
そして「ヤンクがやって来る」ということばは、喜びの涙を連合軍諸国の人々にもたらした。
今日では、ヤンキーは世界中に知られ、アメリカ人の別名となっている。
もちろん、「ヤンキー」といったら「ドゥードル」、すなわち「ヤンキー・ドゥードル」についても語らなければならない。
イギリス軍の軍医リチャード・ジャックスバーグが「ヤンキー・ドゥードル」を書いて、植民地の兵隊をからかったといわれている。
イギリス軍は、いつも、きちんとした真赤な制服を着て、田舎者の植民地の兵隊を見下していた。彼らは実際には兵士ではなく、こん棒や古い鉄砲を持った農民であり、イギリスの高い税金に反抗した怒った農民であった。
ある日、イギリス軍大佐ヒュー・パーシーは、レキシントンとコンコードの植民地を攻撃に出かけた。
パーシーは、軍をボストンから「ヤンキー・ドゥードル」の曲にのせて行進させた。
しかし、コンコードでは、田舎者の植民地の農夫たちがイギリス軍を破ったのである。
今や本物の兵士となった農夫たちは、誇りをもってボストンへ「ヤンキー・ドゥードル」の曲にのって行進した。
1775年のこの日から「ヤンキー・ドゥードル」はアメリカの行進曲になった。
Reproduced by the courtesy of the Voice of America