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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション

A Study In Scarlet 緋色の研究 第一部 第七章 2

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「これといって何も。
寝る際に読んだとおぼしき小説がベッドの上に、パイプが被害者の脇の椅子の上に、
卓上にはグラス一杯の水、窓枠の上に経木編みの小箱、中には二粒の錠剤が。」
 シャーロック・ホームズは椅子から飛び上がり、歓喜の声。
「最後の環。」と勝ちどきを上げる。
「これで事件は解決だ。」
 刑事二人は驚いて、友人を見つめる。
「手に取るように分かる、このもつれた事件の筋が。」と友人は語るも誇らしげで、
「もちろん、細かいところを詰めねばならぬが、主たる真相ははっきりした。ドレッバーがスタンガスンと駅で別れてから、ドレッバーの死体が発見されるまで、自分の目で見てきたかのように。
わかったという証拠を見せよう。
くだんの錠剤は手元に?」
「はい、ここに。」とレストレードは白い小箱を差し出した。「これと財布と電報は取っておいて、警察署の安全なところに置いておこうと思って。
たまたまですよ、持ってきたのは。まあ重要だとは思ってなくて。」
「こちらへ。」とここでホームズは私の方を向き、「さて博士ドクター、これは普通の錠剤かね?」
 どうもそうではない。
真珠色の小さい丸薬で、光にかざすとかなり透ける。
「この軽さ、この透明度から見て、水に溶けるのではないかな。」と私。
「異論なし。」とホームズ。
「では、悪いが君は下に行って、長患いのあのあわれなテリアをつれてきたまえ。昨日、家主がもう楽にさせてやってくれ、と君に頼んだろう。」
 私は階下に行って、犬を腕に抱え戻ってきた。
呼吸は苦しく、目も生気を失っているので、もう長くはないだろう。
鼻面が雪のように白くなっているから、すでに寿命を存分に生きたことは明らかだった。
私は絨毯にクッションを置いて、その上からテリアを下ろす。
「さてこの錠剤をひとつ割ってみよう。」とホームズは言葉に合わせ、鵞ペンナイフを取り出した。
「あとあとのため、半分を箱に戻しておく。
もう半分を、茶さじ一杯分の水が入ったこのワイングラスの中に入れる。
見たまえ、わが友人、博士の言ったことは正しいだろう? ほら溶けた。」
「ま、面白いことは面白い。」レストレードは自分が馬鹿にされたと、気分を害したようだ。「とはいえわかりません。これがジョーゼフ・スタンガスンの死とどう関係が?」
「待ちたまえ、君、我慢だ。今にすべて繋がっていると分かる。
では牛乳を混ぜて味を調えよう。これを犬の前に出せば、犬も難なくなめることができよう。」
 そう言うと友人はワイングラスの中身を皿に移し、テリアの前に置く。犬はたちまちなめつくしてしまった。
シャーロック・ホームズの真剣な顔つきに、我々は押し切られ、ただ犬の様子を見つめて、どんな凄いことが起こるのかと、何も言わずじっと坐って待っていた。
ところが何も起こらない。
変わらず犬はクッションの上にのび、息苦しそうではあったが、錠剤を飲んで良くも悪くもなっていないようだった。
 ホームズは懐中時計を取り出した。一分また一分と経っても何も起こらず、むしろ顔にこの上なく悔しそうな、失望の色が現れる。
唇を噛みしめ、指で机を叩き、その他、我慢ならんとばかりにありとあらゆる素振りを見せた。
あまりにも残念そうなので、私は心から同情したが、両刑事はこの試みに腹を立てるどころか、ただあざ笑うような微笑みを浮かべていた。
「偶然のはずがない!」とホームズはついに椅子から立ち上がり、部屋の中をせかせかと歩き回った。「ただの偶然であろうものか。
この錠剤、ドレッバー殺害のときも疑っていた。それが今まさにスタンガスンの殺害後見つかった。
なのに効果がない? 何を意味する。
推理の鎖がすべてちぐはぐであったとは考えられない。ありえぬ! 
この老犬には変化がない。
そうか、なるほど、なるほど!」
喜びあふれる叫び声をあげて、友人は箱に飛びつき、もう一粒の錠剤を割り、溶かし、牛乳を加え、テリアに差し出した。
あわれ犬はまだなめきらないうちに、突如として全身を痙攣させ始め、雷に打たれたがごとく一瞬で生気を失い、倒れ込んだ。
 シャーロック・ホームズは深く息をつき、額の汗を拭う。
「僕はもっと自信を持つべきだな。わかりきったことだ。あるひとつの事実が、一連の長い演繹に相反するように見えたときは、必ず別の解釈ができるということ。
箱に錠剤が二粒あるなら、一粒が大変な猛毒で、もう一粒がまったくの無害。
そんなこと、実物を見るより先にわかって当然なのだ。」
 最後の言葉に私は面食らってしまい、まったく正気の沙汰と思えなかった。
とはいえ、ホームズの推理の正しさを証明する犬、死んだ犬がいる。
頭の中の霧が徐々に晴れていき、真実がほのかに、かすかに見え始めてきた。
 ホームズは言う。「君たちには、どれも奇異に映るだろう。なぜなら君たちは、捜査の初めから目の前にあった、重要な、たった一つの真の手がかりに気がつかなかったからだ。
幸いにも僕は気づいた。それからというもの、起こることすべてが、最初の仮説を裏付けるばかりだった。論理的帰結なのだ。
それ故、君たちを悩ませ、真相を曇らせたものは、私にしてみれば明るくするものであり、考えを裏付けるものだった。
奇異と謎を混同するのは誤りだ。
限りなくありふれた犯罪も、最大の謎になりうる。なぜなら目新しいであるとか、これといった特徴がなければ、演繹の取っかかりもなくなる。
この事件も、被害者の死体がただ道ばたで発見され、事件を際立てる異常かつ扇情的なことが何もついてこなければ、どこまでも解きがたいものとなったであろう。
この奇妙な数々の点は、事件を難しくするどころか、かえって簡単にする効果があったというわけだ。」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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