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The Return of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの帰還

The Adventure Of Charles Augustus Milverton チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン 8

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「こっちだ、ワトスン。こっちのほうにある庭の壁はよじのぼれる」
 警報は信じられないスピードで広まっていた。
ふりかえると、巨大な家中の明かりがともっている。
正面玄関は開け放たれ、複数の人影が私道を駆けおりていた。
庭中人だらけで、我々がベランダから飛び出すと、そのうちの一人が「いたぞ!」という叫びをあげて追いかけてきた。
ホームズはこの庭のことを完璧に把握しているらしく、すばやく低木の植えこみの間を縫って走った。私もその後をぴったりと追った。追っ手も我々の背後で息を弾ませていた。
目的の壁は二メートルほどあったが、ホームズはその上に飛びつき、向こう側に飛び降りた。
続いて私が飛ぼうとすると、追っ手に足首をつかまれてしまった。だがそれを蹴り飛ばして振りほどき、苔むした塀から身をおどらせた。
なにかの茂みに顔をつっこんでしまったが、すぐにホームズが立ちあがらせてくれた。それから二人一緒に広大なハムステッド・ヒースを全力で走った。
たぶん二マイルほどいったところだったと思う、ホームズはついに立ち止まり、聞き耳を立てた。
背後は完全な静寂に包まれていた。
追っ手は振りきった、もう安全だ。
 ここに記録した冒険の翌朝、朝食をすませた我々がパイプをたのしんでいるところに、スコットランドヤードのミスター・レストレイドが、たいへん重々しくいかめしい態度で我々の質素な部屋に通されてきた。
「おはようございます、ミスター・ホームズ。おはようございます。
お忙しいところすみませんが、お時間をよろしいでしょうか?」
「きみの話を聞いていられないほど忙しくはないよ」
「もしいま手が空いておられるのでしたら、たぶん、私どものほうを手伝ってもらえないかと思ったものですから。ちょうど昨晩、ハムステッドでこのうえなく異常な事件が起きましてね」
「おやおや!」とホームズ。
「いったいどんな?」
「殺しです――このうえなく劇的かつ異常な殺しですよ。
この手の事件には目がないですからね、ホームズさんは。それで、アップルドア・タワーズまでご足労いただいて、なにか有益なアドバイスをしていただけるととてもありがたいのですが。
並大抵の事件じゃないですよ。
我々もこのミスター・ミルヴァートンにはここしばらく目をつけてましてね、我々の間ではちょっとした悪人ということになっていました。
いろんな書類を握っては、それを使って強請っていたようです。
その書類も、いまはぜんぶ犯人どもに焼かれてしまいました。
貴重品類に手をつけたあとはありません。おそらく地位のあるやつらですな。社会的失墜を防ぐというただそれだけのために凶行に及んだのでしょう」
「犯人ども、ね!」とホームズが言った。
「複数か!」
「ええ、二人組でした。あとちょっとで現行犯逮捕してやれたんですがね。
足跡もとってありますし、風体もわかっています。十中八九、つきとめてやれますよ。
第一の男はすばしっこくてどうにもならんかったのですが、二人めは園丁の助手に追いつかれてですな、格闘のすえ、逃げていきました。
中背の、がっしりした男で――角張ったあご、太い首、くちひげ、目はマスクで隠されていたということです」
「いまいち曖昧だな」と、シャーロック・ホームズは言う。
「だってそれじゃあ、ワトスンのことかもしれないぞ!」
「そうなんですよ」と警部はたいへん愉快そうに言う。「これはドクターのことかもしれませんな」
「ま、残念ながら手伝えないよ、レストレイド。
実はさ、このミルヴァートンというやつのことを知っていてね。ロンドンでいちばん危険な男のひとりだと思っていたし、ある種の犯罪は法の手をいれることができないとも思う。つまりだね、ある程度は、個人的な復讐というのもありだと思うんだよ。
いや、議論は無用だ。
ぼくの心はもう決まっている。
どちらかというと被害者よりも加害者の方に同情してるからね、この事件を扱うつもりはない」
 我々が目撃した悲劇についてホームズはひとことも言ってくれなかったが、よく見れば、ホームズもその朝ずっと物思いにふけっていた。ぼんやりとした瞳や、身の入っていない仕草からして、何かを思い出そうとしているのだと思われた。
昼食中、ホームズはとつぜん席からとびあがって
「わかったぞ、ワトスン、わかった!」と叫んだ。
「さあ帽子をかぶってついてくるんだ!」
全力疾走でベイカー街からオックスフォード街に入り、まもなくリージェント街というところまできた。
そこの左手には当代の貴顕麗人の写真を並べたショーウィンドウがある。
その中に、宮廷服を身につけた貴婦人がいて、ダイアモンドをあしらったティアラが品のよい顔を飾っていた。
優美な鼻、くっきりとした眉、まっすぐの口元、ほっそりしていながら力強いあご。
彼女の夫の、偉大な貴族であり政治家であったことを示す華やかな肩書きを読んで私は息をのんだ。
ホームズは私と視線を交わすと、唇に指をあてた。そして、我々はそのウィンドウから離れていったのであった。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Kareha
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