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The Case-Book of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの事件簿

The Adventure Of The Sussex Vampire サセックスの吸血鬼 2

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「私と!」
「読むがよかろう。」
 友人から手紙を手渡される。
冒頭には今引き合いの住所があった。
 拝啓 ホームズ先生
 得意先の弁護士より貴方様を紹介されましたが、実のところ本件は並外れて扱いづらく、ご相談しづらい問題なのです。
私は代理人で、当事者は友人、
この紳士は五年ほど前ペルー人女性と結婚しました。ペルーの商人のひとり娘で、硝酸肥料の輸入つながりで出逢ったのです。
ご婦人は美人でしたが、異国の生まれであること、宗教が違うことから、いつも夫婦のあいだでは好き嫌いや気持ちのすれ違いが起こりまして、そのためしばらくするとご婦人への愛も冷め、一緒になったのは間違いだったと思うようになったらしく。
彼からして、ご婦人の人となりに首をかしげるところがあったのです。
なおさら痛ましいのは――ご婦人がどこから見ても男子一身の愛を捧げるに足る貞淑な人物であることであります。
 さて要点につきましては、お伺いの際に明らかにするつもりです。
正直のところ、この手紙は単に現状の概略をお伝えし、この件にご関心を持って頂けるか確認するためのものです。
ご婦人はその優しく穏やかな気立てには、きわめて不釣り合いな、おかしな素振りを見せ始めたのです。
紳士の結婚は二度目で、先妻とのあいだ息子がひとりおります。
この子はもう一五で大変愛らしく優しい男の子ですが、不運にも幼い頃の事故で障害がありました。
また、まったくいわれのない理由で、かわいそうにその子が今の妻に手を上げられたのが、二度目撃されております。
一度などは鞭で打ち据えられたため、腕がみみず腫れになったほどです。
 このことでさえ、実の子に取った仕打ちに比べれば些細なことです。
まだ一歳にも満たない可愛いお子さんなのに、一ヶ月ほど前のあるときのことです。乳母が数分この子から離れたすきに、
あわてて戻った乳母が部屋に飛び込んで目にしたのは、赤ん坊に覆い被さって、どうやら首筋に噛みついている様子の雇い主のご婦人です。
首には小さな傷があり、そこから血の筋が垂れていました。
ぞっとするあまり乳母は旦那様を呼ぼうとしましたが、ご婦人にやめてくれとせがまれ、何と口止め料として五ポンド渡されたそうです。
言い訳は全くなく、その場は事が流されました。
 とはいえ、ひどく心残りだった乳母は、そのとき以来、奥様の動きに気を付け、情もあって赤ん坊をより近くから見張ることにしました。
すると、こちらが見張っているときには、向こうからも見張られている気がして、さらに赤ん坊をひとりにしておくしかないときなどは、毎回手を出そうと待ち構えているというではありませんか。
昼に夜に乳母が子どもを守り、昼に夜に母親が静かに監視しながら、羊を待つ狼のごとく待ち伏せていると。
先生にはまったく途方もないことに思われましょうが、それでも取り合って下さいますようお願いします。ひとりの子どもの命と、ひとりの男の正気がかかっております。
 ついに来るある日、恐ろしいことに、旦那様にも事が露見してしまいました。
もはや気が気でない乳母が、緊張に耐えられず、一切の胸のうちをぶちまけたのです。
彼には突飛な話に思えましたし、今の貴方様とて同じでしょう。
自分の知る奥様は愛の深い妻、義理の息子に手を上げることを除いては、情のある母親です。
その女がどうして愛しい実の子を傷つけましょうか。
乳母に告げます。お前は夢でも見ているのか、そんな疑いは馬鹿馬鹿しいにもほどがある、雇い主へのかくなる侮辱は到底許され得ない、と。
ところが話の最中に、いきなり痛みに泣きじゃくる声が聞こえてきます。
乳母と主人はふたり子ども部屋に駆け込みました。
そのときの心境お察し下さい、ホームズ先生。何と彼の目の前で、奥様が乳児用寝台のわき、膝を突いた状態から立ち上がり、そしてむき出しになった子どもの首と敷布には、血があったとか。
悲鳴を上げて、奥様の顔を光に当てると、唇のあたりは血にまみれておったそうで。
彼女が――まさしく彼女本人が――かわいそうに、赤子の血を飲んだのです。
 これが事の次第です。
ご婦人は自室に閉じこもりましたが、やはり言い訳ひとつもございません。
旦那様は気も狂わんばかりです。
彼も私も吸血鬼信仰については言葉以上のことは存じません。
国の外の突飛な作り話ほどに思っておりました。
それなのに、ここイングランドはサセックスのただなかで――いえ、このことはみな明朝ご相談できればと存じます。
お会い頂けますか。取り乱した男のお力になって下さいますか。
受けて頂けるなら、どうかランベリはチーズマン屋敷のファーガソンまでご電報を。明朝一〇時までにはお伺いする所存。
敬具 ロバート・ファーガソン
 追伸 確かご友人のワトソンはブラックヒースでラグビーをされていたかと。そのとき私はリッチモンドのスリークォーターでした。
申し上げられる自己紹介はこれくらいしかございません。
「もちろん覚えているとも。」と言いながら私は手紙を下に置く。
「でかボブ・ファーガソン、歴代でもリッチモンド一のスリークォーターだ。
いつもお人好しのやつだったから、こうして友人の事件に首を突っ込むなど、あいつらしいな。」
 ホームズは感慨深げに私を見据えると、首を振った。
「君は底知れないね、ワトソン。
君にはまだ秘めたる可能性がある。
文面の書き取りをよろしく。
『貴君の案件喜んで調査する所存。』」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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