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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出
The Resident Patient 入院患者 3
Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
それは、私には全然赤の他人の、ブレシントンと云う名の紳士に訪問されたことでした。
彼はある朝突然に私の部屋にやって来て、いきなり話をきり出しました。
「あなたは、例の大学時分非常なすぐれた成績をおあげになって、そして最近例の賞盃をおもらいになった、あのペルシイ・トレベリアン君でしょう?」 彼は申しました。
「では、どうぞ卒直にお答えになって下さいませんか」 彼はつづけました。「そうして下さるほうが、あなたのおためになるのです。
――あなたは人間を成功させるための賢さはみんな持っている。
私はそのぶしつけな質問に、思わず笑わずにはいられませんでした。
「ええ、まあ、相応にはあるつもりです」 私は答えた。
「では何か悪い習慣は?――お酒をお飲みになるなんてことはないんでしょう?」
「至極結構。そりア結構です。――しかしもう一つきかなくちゃならないことがあるんです。
それなら、それだけの条件が揃っているのに、なぜ開業なさらないのですか?」
「よござんす、よござんす」 彼は彼一流のせわしない口調で申しました。
――あなたはあなたのポケットの中よりあなたの脳の中のほうがたくさん貯蓄があるんでしょう。え? そうじゃありませんか。
――ところで、どうでしょう、私はあなたを、ブルック街に開業させてお上げしたいと思っているんですが……」
「いや、それはね、あなたのためではなく、私自身のためなんですよ」 彼は声を大きくして云いました。
「私は何もかも洗いざらいかくすことなく卒直に申しますよ。そのほうが、あなたにもいいでしょうし、また私にも大変都合がいいんですから。
――実は、私はここに数千ドル何かに投資したいと思ってるお金があるんです。そこで私はそれをあなたにかけてみたいと思ってるわけなんです」
「しかしそれはどう云うわけでそうお思いになったのですか?」 私は咽喉のつまったような声で云った。
「理由ですか?――それはつまり他のものの投機をやるのと同じような理窟からです。でもその中でこれは一番安全ですからね」
「で、もしそうして下さるとしたら、私はどう云うことをしたらよいのでしょう?」
「それをお話ししましょう。――私は家を建てて、それをすっかり飾りつけて、召使いたちの給料を払って、ほうぼうへ宣伝をする、――それは私がやります。
――ですからあなたはただ診察室にすわっていさえしたらいいのです。
――おお小使いやその外身の廻りのものは私がみんな心配してあげます。
その代り、あなたが稼いだ四分の三を私に下さい。そしてその残りはあなたの収入と云うことに……」
ホームズさん、これが、ブレシントンが私の所へ持って来た、奇妙な申込みの条件だったのです。
それから私は、彼とどんな風に取引し、どんな風に約束したかは、くどくどと申上げるまでもないことでしょう。
私は次の通告節に引越していって、そして彼が初め申出たのと同じ状態のもとに、いよいよ開業したのでした。
そしてブレシントン自身も、ちょうど、入院患者のような格好で、私と一しゃに住むことになりました。
彼は心臓が弱く、いつも医者の監督が必要らしいのでした。
――彼は一階の最上等の部屋を二部屋占領して、一つは居間に、一つは寝室に使っておりました。
彼は奇妙な孤独癖の人間で、人ともあまり交際せず、外出することなどはほとんどありませんでした。
彼の日常生活はむしろ不規則的でしたが、しかしただある一つのことに関してだけは、実に規則そのもののように正確でした。
それは毎日夕方になると、診察室の中に這入って来て、帳簿を調べ、それから私が稼いだお金を、一ギニアについて五シルリングと三ペンスだけおいて、あとの残りはみんな持っていって、自分の部屋の中においてある丈夫そうな箱の中にしまうことでした。
さて次に商売のほうですが、少くも私の知ってる範囲では、彼がその評判を悲しまなければならないような機会は、ただ一度もなかったろうと、確信しております。
私がその前に、病院でかち得ておいた評判や、また二三の成功などのために、私はすごい勢ではやり出しました。そしてこの一二年の間に、私は彼をすっかりお金持ちにしてやってしまったのです。
ホームズさん、私の今日まではこんな風な生涯だったのです。そしてまたブレシントンとの関係も今お話したようなわけだったのです。
――そこでこれからお話しなければならないのは、今夜の出来ごとなのですが……
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo