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The Great Gatsby 華麗なるギャツビー
Chapter1-3
Francis Scott Fitzgerald F・スコット・フィッツジェラルド
AOZORA BUNKO 青空文庫
車はみんな前輪を黒く塗ってまるで手向《たむ》けの花輪みたいだし、北の湖あたりじゃ嘆きの声が夜な夜なひっきりなしでね」
「大げさね! ねえトム、帰ってみない? 明日にでも!」
それから、脈絡もなく続ける。「そうだ、うちの子に会っていくといい」
「いま寝てるのよ。三つになったんだ。前に会わせたことあったっけ」
それまで落ちつきなく部屋の中を歩き回っていたトム・ブキャナンがふと立ち止まり、ぼくの肩に手を置いた。
「聞かない連中だな」 そのきっぱりとした言い方にぼくは不愉快になった。
「これから東部に腰を落ちつけるんなら、そのうちにね」
「おいおい、もちろん東部に落ちつくとも、心配するな」と言って、他に言っておきたいことがあるのか、デイジーを見、それからぼくに目をもどした。
「他の場所に住みたいなんて、よっぽどの馬鹿にならんかぎり、思わんよ」
ここでミス・ベイカーが口を開き「まったくね!」と言ったのだけど、その唐突さにぼくはびっくりした――それは、ぼくが部屋に入って以来はじめて彼女の口から飛び出した言葉だった。
どうやら、彼女自身もぼくと同じく驚いたらしい。ひとつあくびをすると、流れるような身ごなしで立ちあがった。
「体がこわばってる。覚えてるかぎりずっとソファに寝っぱなしなんだもの」
「なんでわたしのほうを見るのよ」とデイジーが言い返す。「午後からいっしょにニューヨークに行こうって、ずっと言ってるじゃない」
「いいえ、結構」とミス・ベイカーはちょうど食堂から運ばれてきた四杯のカクテルに向かって言った。「いまほんとにトレーニング中なんだから」
トムが信じられないという面持《おもも》ちで彼女を見た。
「トレーニング中ね!」グラスを取ったかれは、のっけから最後の一滴を飲み下すような勢いで、一気に呷《あお》った。
「いったいどういうふうにあれこれやってのけるのか、おれにはさっぱり分からん」
いったい何を「やってのけた」のか不思議に思いながら、ぼくはミス・ベイカーに目を向けた。
ほっそりとした、胸の小さな女で、そのきりっとした身ごなしが、若い士官学校生みたいに肩をはって胸を反らしている姿勢のせいで強められていた。
灰色の瞳を太陽に細めるみたいにし、その肉の薄い、魅力的な、不満ありげな顔に返礼的な好奇心をこめ、ぼくに向けた。
これはどこかで見たことのある顔だ、とそのとき気づいた。あるいは写真で見たのか、とにかくどこかで以前に見たことがある。
「ウェスト・エッグにお住まいなんですってね」と小馬鹿にするような確認。「わたし、あそこには知ってるひとがいるの」
「ギャツビー?」とデイジーが横から絡んできた。「なに、ギャツビー?」
それはぼくの隣に住んでいるひとだと答えようとしたところで、ディナーの準備ができたという知らせがきた。ぼくの体を抱えこむようにして、トム・ブキャナンはその部屋からぼくを追いたてた。まるでチェッカーの駒を動かしているみたいだ。
面倒くさそうに両手をそっと腰に当てると、二人の若い女はぼくらに先だって夕焼けを望む薔薇色《ばらいろ》のポーチに出た。そこでは、テーブルの上に四本の蝋燭《ろうそく》が立てられ、その火影《ほかげ》が微風《そよかぜ》にちらちらと揺れていた。
「ねえ、みんなは一年で一番長い日を待ちわびて、それなのに、うっかり当日になったら忘れてたりしてない?
わたしはいつも一年で一番長い日を待ちわびてるのに、それなのにいつも当日になったらうっかり忘れてるのよ」
「なにか計画を立てるべきね、わたしたち」ミス・ベイカーはあくびをすると、まるでベッドに入るみたいな感じで椅子に座った。
「わかった」とデイジー。「どんな計画を立てようか」
それから困りきったようにぼくのほうに向き直った。「ふつうはどんな計画を立てるものなんだろう?」
それに答える隙も与えず、デイジーは怯えたようすで目を細め、自分の指を見つめた。e「見てよ! 怪我してる」
ぼくらはそこに注目した――指の関節に青痣《あおあざ》ができている。
わざとじゃないのはわかってるけど、あなたがやったんだからね。
これこそがわたしが結婚して手にしたものってわけ。粗暴な男、ほんとにもうばかでかい体の――」
「ばかでかいとは気に入らん言葉だな。冗談にしても好かん」
ときにはデイジーとミス・ベイカーとが同時にしゃべることもあった。おしつけがましくない、ふざけ半分成り行きまかせの終わりない会話。ふたりの白いドレスや、願望のかけらも見られない無機質な瞳のように、冷めきった感じだった。
ここで彼女たちは、ぼくとトムとを受け入れ、ただ、楽しむため、楽しませられるために、礼儀正しくて心地よい努力を行っているだけなのだ。
彼女たちは知っていた。そのうちにディナーは終わり、それからあっという間に夕べもおしせまり、さりげなく置き捨てられてゆくことを。
Copyright (C) Francis Scott Fitzgerald, Kareha