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A Dog of Flanders 4 フランダースの犬


Ouida ウィーダ
AOZORA BUNKO 青空文庫
 年とったジェハンじいさんは、いつもびっこを引いていました。数年経ってひどい痛風で足がほとんど動かなくなってしまい、もうこれ以上荷車につきそって外出することもできなくなってしまいました。
そのとき、ネロは六歳になっていました。ネロは、何度もおじいさんに連れられて一緒に町に行ったことがあるので、町をよく知っていました。それで、ネロが代わりに町に荷車を運ぶことになりました。町でミルクを売ってその代金を受け取り、今度はそのお金をかわいらしくもけなげに、それぞれの牛の持ち主のところにとどけるのでした。そうしたネロの様子に、見る人は皆、魅せられたのでした。
 小さいアルデンネ生まれの少年は、きれいな子供でした。黒目勝ちの、まじめな、優しい目をして、金髪がふさふさして、肩までのびていました。そして、多くの画家が、ネロたちが通り過ぎるとき、その姿をスケッチしました。テーニルスやミーリスやファン・ダイクの絵に出てくるような、真ちゅう製のミルク缶を積んだ緑の荷車と褐色の大きな犬。引き具には鈴がつけられていて、進むたびにチリンチリンと鳴ったのでした。そして、そばには、小さい白い足に大きな木靴をはいて、柔和で、まじめで、無邪気で、幸せそうな表情を浮かべた小さな少年がいるのでした。それは、まるでルーベンスの絵に出てくる、小さな金髪の少年のようでした。
 ネロとパトラッシュはとても立派に、楽しそうに仕事をしました。そして、夏が来て、ジェハンじいさんが再びよくなったときも、ジェハンじいさんは外に出かける必要はなく、朝は小屋の戸口に座って中庭の戸口から二人が出かけるのを見送り、ちょっと昼寝して夢を見て、少しお祈りをして、そして三時になるとまた目を覚まして二人が帰ってくるのを待つのでした。
そして、家に帰り着くと、パトラッシュは喜びの雄叫びをあげながら引き綱を振りほどきますし、ネロは誇らしげにその日のできことをジェハンじいさんに話したのでした。そして、みんないっしょに、ライ麦パンとミルクかスープのごはんを食べ、大草原に長く伸びる影を眺めたり、美しい大聖堂の尖塔にかかるたそがれのとばりを眺めたりします。それから、老人がお祈りをとなえ、みんなで一緒に横になってぐっすり眠ったのです。
 このように月日が過ぎてゆきました。ネロとパトラッシュの過ごした人生は、幸せに満ち、清らかで、健やかなものでした。
 とりわけ、春と夏は楽しい季節でした。
フランダースは美しい土地ではありません。中でも、ルーベンスで有名な、アントワープのあたりは、おそらく一番美しくなかったでしょう。
トウモロコシ畑とナタネ畑、牧場と畑が、特徴のない平野に互い違いに広がっていました。そして、それがいやというほど繰り返されていたのでした。 平野にぽつぽつと立っている荒涼とした灰色の塔の、感傷的な鐘の音の響きがなければ、あるいは、落ち穂拾いの束やたきぎの束を抱えた人が何人か荒野を横切り、絵のような趣を添えなければ、どこも代わり映えせず、単調で、美しくもありませんでした。 山や森の中に住んでいる人ならば、果てしなく続く広大で陰気な平原に退屈して気が滅入り、牢屋に入れられたような気分を味わったことでしょう。
けれども、その光景は緑がいっぱいでとても肥沃です。そして、代わり映えせず、単調であったとしても、そうした光景が広大な地平線いっぱいに広がると、それはそれで一種独特の魅力が生まれたのでした。そして、水際に茂るイグサの中にいろんな花が咲き乱れ、木々が高く青々と茂っています。荷船がすべるように進んでいき、逆光の中で大きな船体は黒く見えます。そして小さな緑色の樽や色とりどりの旗が木の葉の間からとてもきらびやかに見えるのでした。
とにかく、そこには青々とした草木の緑がありました。それに、十分な広さがありました。それは、子供と犬にとっては、美しい光景と同じくらいよいことでした。そして二人は、仕事を終えるや否や、運河のそばに生えている青々とした草むらにうずもれるように寝っ転がり、運河の上を漂っている不格好な船を眺めたりしました。その船は、田舎の夏の花の香りの中に、海のさわやかな潮の香りを撒き散らしているようでした。そうしたとき、二人はもうこれ以上何も求めませんでした。
 確かに、冬はもっと大変でした。ひどく寒い朝、まだ暗いうちから起きなければなりませんでした。それに、腹いっぱい食べられることなんか、ほとんどありませんでした。暖かい季節にはブドウの蔓がからまって、とてもきれいな小屋でした。ブドウは、実こそなりませんでしたが、花が咲き、刈り入れをするような暖かい季節には、ふさふさとした緑の葉っぱがぜいたくな網目模様のようにこの小屋を覆うのでした。
しかし、寒い時分には、小屋は物置小屋とたいして変わらなかったのです。冬には、すきま風が壁のたくさんの穴から入り、ブドウの木は黒く、葉っぱをつけていませんでした。そして、何も生えていない大地は、とても荒涼とした様子でした。時々、小屋の中は浸水し、それが氷ついてしまうのです。
冬は、厳しい季節でした。ネロは雪で小さい白い手足がかじかみましたし、パトラッシュは氷柱で、勇敢な、疲れを知らない足を切りました。
しかし、そうした時期でさえ、ふたりは愚痴をこぼしませんでした。
子供の木靴と犬の四本の足は、一緒に荷車の鈴をちりんちりんと鳴らしながら勇ましく早足で進んでいきます。それに、アントワープの通りを進んでいくと、一杯のスープとパン数切れをくれたりするおかみさんがいたりしました。また、家に帰ろうとすると、ミルクを買ってくれる商人の中で、小さい荷車に少したきぎを放り込んでくれる優しい人がいたりしました。あるいは、村のおかみさんの中には、二人に、アントワープに運んでいくミルクを自分たちのために一部取っておくようにと言ってくれる人がいたりしました。そうしたとき、二人は暗くなりかけた中を、明るく幸せに、雪の上を歩いていきます。そして、喜び叫びながら家に入るのでした。
 だから、だいたいのところ、とてもよかったのです。パトラッシュは、大きな街道や通りで、夜明けから夜遅くまでこき使われている犬を、いっぱい見てきました。そうした犬は、酷使の代償に、ただ棒で殴られるか、ののしられるばかりで、そのあげく、飢え死にでも凍え死にでも勝手にしろ、とばかりに車から蹴り出され、やっと車からはずしてもらえるのでした。パトラッシュは、自分の運命に心から感謝しました。そして、こんなに結構でありがたいことはない、と思うのでした。
パトラッシュが晩に横になったとき、本当にひどくお腹が空いていたこともしばしばありましたし、夏の昼の暑い中でも冬の明け方のこごえるような寒さの中でも、パトラッシュは働かなければなりませんでした。それに、ギザギザの舗道のとんがった石で足を怪我し、ずきずき痛むこともしばしばありましたし、自分の生まれには似合わないような、力に余る仕事をしなければなりませんでした。それでも、パトラッシュは満足し感謝していました。パトラッシュは毎日義務を果たしました。そして、大好きなネロの目が、パトラッシュに向かって微笑みかけました。
それだけでパトラッシュには十分でした。
 
Copyright (C) Ouida, Kojiro Araki
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