※本文をクリック(タップ)するとその文章の音声を聴くことができます。
右上スイッチを「連続」にすると、その部分から終わりまで続けて聴くことができます。
※ "PlayBackRate" で再生速度を調節できます。
Alexander Graham Bell(1) アレクサンダー・グラハム・ベル
Alexander Graham Bell アレクサンダー・グラハム・ベル
AMERICAN MEN of SCIENCE and INVENTION
「私は、これが可能であることを確信しており、その方法を探っているところだ」
これは、アレクサンダー・グラハム・ベルが、ほぼ1世紀前、電線を通して人間の声を伝えようとしていることを、科学者に話した時の確固としたことばである。
サミュエル・モールスが電信機を発明した時と同じように、ベルの、不可能に見えることをやってみようという決心が、成功へのカギとなった。
1847年、スコットランドに生まれたアレクサンダー・ベルは、若いころから人と人の伝達方法に興味を持っていた。
彼は、聾唖(ろうあ)者や、ことばに障害のある人たちの教育に、何年も携わっていた父と祖父の影響を受けたのだった。
ベルの父は、聾唖者のために、いわゆる「視話法」のシステムを開発したほどだった。
彼は、唇や舌のさまざまな位置を描いたスケッチを使った。
この視話法の科学が、若いベルの話しことばの仕組みに対する知識の土台となった。
しかし、この少年の、ほかの分野における知識の進歩は、それほど速くなかった。
14歳の時、ベルは、エジンバラからロンドンの祖父の所へ1年間送られ、彼の教育は、その祖父に託された。
何年も後、ベルは、この重要な時期について次のように語っている。「祖父は、私が、普通の学童が知っているべきことを、全く知らないということを思い知らせてくれた。
彼は、私が無知を恥じるように仕向け、この教育の弱点を、独学で乗り越えようとする意欲を燃えたたせてくれたのだ。」
1年後、いくらか学問を身につけて、ベル少年は、スコットランドへもどった。
しばらく父とともに仕事をし、彼はある男子校で話し方を教え始めた。
彼は、人の声と、音を形成している振動を研究するにつれ、音声は単純なものではないことに気がついた。
彼は、23歳で家族とともにカナダへ引っ越す時まで、彼の研究と教師を続けた。
ベルの父は、じきに話し方に関する講演者として、カナダおよびアメリカで有名になった。
アレクサンダーもまた彼にならって、評判のよい講演者になった。
その後、数年間のうちに彼は、聾唖学校の教師を教育し、マサチューセッツ州ボストンに聾唖学校を創立した。
彼は、耳が聞こえない人に、音をわからせる新しい方法を研究していた。
彼らの声の振動を紙に表して、普通の人が耳で聞くことを、目で見ることができるようにする器械を作りたかったのだ。
これは、やることができなかったが、この実験によって、彼はおもしろいことを発見した。
銅線のコイルを通る電流を、流したり止めたりすることによって、コイルから音を出すことができるのに気がついたのだ。
彼は、コイルを通して、モールス信号の短点や長点の音ばかりか、音楽をも送ることが可能であることを発見した。
人間の声を送るには、空気が音声で振動するのと同じように、声の調子で振動する連続的な電流を作り出さなければならないことに彼は気づいた。
つまり、面と向かって話をする時に、われわれの声が乗る空気の波の代わりに、電流の波を使うのである。
彼がこの結論に達したのは、彼が電気に詳しかったからではなく(実際に知らなかったのだ)、彼が音とその振動の性質を理解していたからだ。
これで彼は、自分の理論を証明し、電線を通して声を伝える実用的な装置を作るには、電気の知識も必要であることがわかった。
しかし、まず最初に、彼は自分の考えをほかのだれかに、だれか専門家、当時最高の物理学者の一人であったジョセフ・ヘンリーのような人に確かめてみたかった。
そこでベルは、ワシントンD.C.へ行き、この有名な科学者を訪ねた。
ジョセフ・ヘンリーは、1875年3月のある日、事務所へ足早に入ってきた背が高く、やせて髪の黒い若者にそれまで会ったことはなかった。
しかし、彼はベル一家のたいへん有効的な聾唖者教育方法のことは、知っていた。
そして、この若い訪問者が黒いひとみを興奮に燃やし、電気で声を送る理論を説明する真剣さに彼はすぐさま感銘を受けた。
ベルは説明を終えるとヘンリーにたずねた。「私は、どうしたらよいとお思いになりますか。この発見を発表して、ほかの人に研究を完成してもらったほうがよいでしょうか。それとも、自分で問題を解決すべきでしょうか。」
「ベルくん、きみは、偉大な発明の案を持っているのだ。とヘンリーは答えた。
「しかし、私には機械上の問題を解決するのに必要な電気の知識がありません。」
「勉強するんだ。」というのが偉大な科学者の助言だった。
「この励ましの二言がなかったら、私は電話を発明することができなかっただろう。」とベルは、後に書いている。
Reproduced by the courtesy of the Voice of America