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Samuel F.B.Morse サミュェル・F・B・モールス
Samuel F.B.Morse サミュェル・F・B・モールス
AMERICAN MEN of SCIENCE and INVENTION
海水は、船首を打ち、風雨にさらされた船体に打ち寄せた。
船は、郵便船で同時に客船でもあるサリー号で、フランスのル・アーブルからニューヨークへ向けて出航してから、2日たっていた。
船室では、船酔いしていない船客が夕食を始めようとしていた。
食事の席で、彼らは、ある船客が電磁石という新しい装置の不思議について話すのに、注意深く耳を傾けていた。
この人は、チャールズ・ジャクソン医師という若い人であり、マサチューセッツ州ボストンで営んでいる医師業よりも、電気について関心を持っていた。
われわれは、今、限りない力を利用しようとしているのです。
最近の実験によると、コイルに電線を巻いてある回数が多いほど、電気を通した時に、磁石の引きつける力が強いそうです。
それに、電線がいくら長くとも、電気は一瞬にして通じることが証明されています。
もうすぐ、科学は、われわれの生活を変えるような電気による奇跡をもたらすことでしょう」
1832年、10月2日の晩、ジャクソン医師の話を聞いた人々全員の名前は記録されていない。
しかし、この中の一人であった41歳のアメリカ人画家、サミュエル・モールスの名は歴史に残っている。
ジャクソンがその晩サリー号の中で言ったことは、モールスの人生を変えたのである。
彼のスケッチブックを埋めるのは、人物や風景ではなくなった。
それらのページには、モールスの電気関係の研究の図面や、数えきれないほどのメモが記された。
「もし、それが10マイルも止まらずに伝わるのなら、世界を一周させることもできる。
この火花は一つの信号になり、火花がないことも別の信号になる。また、この火花のない時間の長さが、また別の信号になる。
この3つの信号を組み合わせれば、数字や文字を表すことができるだろう。
このようにして、電線を通じてことばを送ることができる。
この結果が、遠いところでもメッセージを記録することが可能な装置である。」
モールスは、この装置を設計するために昼夜を通して努力した。
彼が解決しなければならなかった問題は、最も経験豊かな科学者をも落胆させるようなものだったが、それらもモールスには、たいした影響を与えなかったようだ。
彼は、電気や機械学についてほとんど何も知らず、何度も繰り返し試みては、失敗した。
3年たつと、彼の資金はなくなったが、努力の成果を現すものは何も残らなかった。
そこで、1836年に彼は元の画家にもどり、ニューヨーク大学で美術とデザインの教授の職についた。
しかし、電線を通してメッセージを送る夢は捨てがたかった。
彼は収入のほとんど全部を、彼の発明を完成させるためにつぎ込んだ。
50歳になって、彼は未完成ではあるが、テレグラフ(電信機)という器械を開発した。
しかし、彼が人々にこの発明に投資するよう説得しようとしたところ、だれも関心を示そうとしなかった。
人々から返ってくる返事はきまってこうだ・・・「あなたは本気ですか。
こんなおもちゃに、私が金を出すと思うのですか。」とか
それよりも月へ飛ぶロケットでも発明したらどうですか。」であった。
彼はニューヨーク大学をやめて、ワシントンD.C.へ自分の発明を持っていった。
そこで彼は、ワシントンD.C.とメリーランド州ボルティモア問、約40マイルの距離に実験用の電信線を設置できるよう、3万ドルが与えられる議案を提出することを、議会にうまく頼み込んだ。
彼がニューヨークへ帰った時の所持金は、1ドルとなかった。
彼は、絵をかく以外に収入の道がなく、餓死寸前の生活を送ったのである。
彼が資金を要請した議案が議会に再提出され、今度はそれが可決されたのだった。
モールスの喜びようは、彼が友人に送った手紙によく表れている。「私の議案が、反対もなく上院で可決されたことをきみは喜んでくれるでしょう。これで、電信機計画の見通しが明るくなってきました。」
彼は、もとの美術学生から50ドル借りて新しい服を買い、ワシントン・ボルティモア間に電信線の設置を始めた。
1844年5月24日、ワシントンでこの偉大な実験が行われた。
モールスは、国会議事堂の連邦叢高裁判所の一室に、数人の客を招待していた。
40マイル離れたボルティモアでは、協力者が待っていた。
そして短点と長点の組み合わせで・・・この信号は、今でも彼の名前で呼ばれているが・・・モールスは、メッセージを送り出した。
そのメッセージとは、ただこうであった。「神の造られたもの!」
その晩、モールスは弟に手紙を書き、なぜこの聖書の句、「神の造られたもの!」を最初の電信文に選んだのかを説明した。
次のように書いている。「これほどの不思議をもたらし、あんなに疑われていた発明が、空想の世界から引き出されて、現実となった時には、この敬虔な感嘆ほどふさわしいものはなかっただろう。」
Reproduced by the courtesy of the Voice of America