※本文をクリック(タップ)するとその文章の音声を聴くことができます。
右上スイッチを「連続」にすると、その部分から終わりまで続けて聴くことができます。
※ "PlayBackRate" で再生速度を調節できます。
Luther Burbank ルーサー・バーバンク
Luther Burbank ルーサー・バーバンク
AMERICAN MEN of SCIENCE and INVENTION
「人の生活に、時間を付け足すことはできないが、むだをなくすことによって、より貴重なものにすることは可能である。」
これは、生涯を新しい植物を作り出すために費やした人、植物の魔術師ルーサー・バーバンクの哲学である。
バーバンクは、魔術師の手品のような驚くべきことを植物にほどこしたため、植物の魔術師と呼ばれた。
彼は新しい味がする大きな果物や、それまでより速く成長する木など、さまざまな植物の発達に功績を立て、世間を驚かせた。
これらの多くの功績は、世界中の人々にとって、大きな経済的価値と利益をもたらした。
バーバンクの77年の生涯は、彼をアメリカの伝説にしたてあげた。
彼の生涯は、1849年、マサチューセッツ州のある農家で始まった。
この年には、大陸の端、カリフォルニアで人々が地中に探し求めていた、貴重な金属、金が発見された。
そして、バーバンクも、彼らと同じ道を歩むことになるのだった。
しかし彼は、同じカリフォルニアの土から、ほかの宝を引き出した。つまり、新しい植物や果物という宝である。
マサチューセッツの田舎に住んでいたため、バーバンクは自然の不思議を感じたのかもしれないが、科学的見方を身につけたのは、科学者であったおじの訪問がきっかけとなった。
このおじを通じて、ルーサーは有名な博物学者、ルイ・アガシーに会った。
アガシーは、彼に植物の複雑な成長過程、例えば、虫、鳥、野の風などが運ぶ花粉から、どのように種になるかなどを教えた。
自然界の振舞いにひかれて、バーバングは、その生涯を費やすことになった分野に足を踏み入れた。
しかし、じきにマサチューセッツの厳しい気候では、彼の努力に限りがあることに気づいた。
栽培期が短いため、1年で新種の植物を1世代しか育てることができなかった。
バーバンクは、12か月で、2、3世代の植物を作りたかったのである。
バーバンクが21歳になったころには、もっと暖かい地方へ引っ越そうと決心をしていた。
だれかが不可能だと言ったからそうなるということはない、と彼は考えていた。
彼は言った。「そういった発言は、単にこんなことを言う人が、自分が不可能だと言っていることを、どのようにすればいいのかを知らないだけなのだ。」
そしてバーバンクは、ついに、西部の暖かい地方へ移るのに必要な金をかせぐことができた。
この資金の大部分は、彼が開発した新種のジャガイモ作りの秘訣を売って作り出した。
これは、彼の一生で、仕事よりも金をつくる方が重要になった数少ない例である。
なぜなら、彼が何よりも望んだことは、人々のためになる新しい植物を作ることだったからである。
カリフォルニアへの長い汽車旅行では、十分時間があったので、後に彼を導くことになったいくつかの原理を考えることができた。
そして、次の結論に達した。「私の観察したところによると、自然界で生き延び、繁殖できるのは、強い植物だけである。
これをまず第1の原理としよう。つまり、たくましさのある新種だけを紹介するのだ。
ほかの種との競争に勝ち残るにちがいないし、むずかしい条件の下でも生き延びるにちがいない。」
カリフォルニアで、バーバンクは、まず養樹場を作り、しだいに植物ですばらしいことをする人として名声を高めていった。
彼が36歳になったころには、植物の新種開発という専門分野に打ち込むことができるようになった。
彼の使った方法は、やさしく、当たり前でわかりやすかった。
彼は、1926年に死ぬまでの41年間に、ハチや、ハチドリを助手として何百万もの植物を扱った。
彼は、関心を一つの狭い分野に制限するようなことはしなかった。
ある日、今、何種類の実験をしているのかという問いに対して、彼は答えた。「私は、いつも最低3,000はやっている。」"
多くの新種植物を作り出した彼の実験は、バーバンクを世界一有名な植物実験者にした。
彼は、植物の品質の小さな変化や違いを見つけるのが特に速かった。
小さな変化や違いに気づく能力に関して、彼は言った。「私の感覚は、初めはほかの人たちとたいして変わらなかったと思う。
しかし、微妙な違いを探すために、他人よりも味覚、臭覚、視覚をよく使うので、今や、より素早く反応するのかもしれない。」
バーバンクの作り出したものは、世界全般にとって重要だった。
新種の植物で、作物は病気に強くなり、増加する国民への食物を増やし、また農夫、木こり、果物栽培者の労働の生産力を高めた。
しかし、新しい果物や野菜も重要であるが、さらに重要なのは、彼の実用的な教えであり、これらは、じきに世界中の何百人もの植物研究者が使うようになった。
例えば、バーバンクは、成木に苗木を選んでつぎ木する方法を開拓した。
彼の手法は、世界中の農業専門家の研究を通して、今日まで受け継がれている。
事実、現在いろいろな国で植物学者が行っている研究は、ほとんどバーバンクの生産を増やし、厳しい気候に耐える植物を作ろうとする手法へとたどることができる。
こういった研究の成功が続いていることは、バーバンクが世界中から何千もの実験のために集めた植物への、ふさわしい恩返しとなっているようだ。
彼が実験用に植物を集めた国々は、全大陸からで、次の国々を含む。中国、日本、ニュージーランド、フランス、メキシコ、南アフリカ、チリなどである。
バーバンクの業績の普遍性は、彼白身の普遍性にも反映していた。
彼の伝記作家の一人は書いている。「バーバンクは、人類に貢献する新しく改良された果物、花、野菜、木、穀物、草を作り出すことに関心を持っていた。」
だが、彼は実際的であったにもかかわらず、自然の美を見失わなかった。
彼はある時、ゆりの特徴であるいやな臭いを消して、その美しい姿に合ったよいにおいのするゆりを作ろうと試みた。
彼の動機は、次のことばのように明白で簡単だった。「もし私がこの美しい形と色を保ち、人が好むようなにおいを与えることができれば、人類の楽しみに大きく貢献することになる。」
人柄はというと、バーバンクは、世界的名声を得たあとでも、内気ではにかみ屋だった。
後年、ある子どものグループに話をするように頼まれた時、内気な彼は、それをほかの人に頼んだほどだった。
しかし、彼は代理の演説者を通じて、若い人々にメッセージを送った。「彼らに、この世界は美しい不思議がいっぱいあると伝えてください。
おもしろいものを探せば、彼らは、決して単調な人生を送ることはないと伝えてください。
彼らに、見つけたものを使う方法を学ぶように言ってください。
彼らのうち、だれかが私と同じことをやるかもしれないし、それ以上のことを成し遂げるかもしれない。」
Reproduced by the courtesy of the Voice of America