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Louis Armstrong(2) ルイ・アームストロング


Louis Armstrong ルイ・アームストロング
DISTINGUISHED AMERICAN SERIES
"アームストロングが、アメリカ文化の大使として果たした業績は広く知られています。
1932年、ロンドンへ彼は最初の海外旅行をしました。
サッチは、ロンドンで国王ジョージ五世の前で演奏した際、彼の陽気な人柄と気取らないスタイルを披露しました。
自分の音楽に夢中になっていた彼は、ホットなトランペットの曲が流れる直前に一言次のように言って、彼のトランペットのソロを王にささげる旨を発表しました。「国王、これをあなたにささげます。」
サッチは1933年の夏と冬にスカンジナビア、オランダ、ベルギー、フランス、イタリアなどを旅行しました。
第二次大戦後、彼の旅行先は全世界に及びました。おもなものをあげれば、1954年に日本へ、1960年にアフリカへ、1965年に東ヨーロッパへ、といった具合です。
彼は東ベルリンでは、当地を訪れたポピュラーなエンターティナーとしては、最大の歓迎を受けました。
ブダペストでは、「サッチ大使」のトランペットの演奏を聞くために、91,000の人たちがNEPスタジアムに詰めかけました。"
国内にあっては、アームストロングの公民権運動における役割は、公式のものというよりは私的なものであることのほうが多かったのです。
彼は黒人の抱えている問題をよく承知していましたので、多くの公民権運動の団体に気前よく寄付しました。
彼は長年ニューオーリーンズで演奏活動することを拒んできました。
しかし、1965年に公民権法案が議会を通過すると、自分の生まれ故郷に意気揚々と帰ってきました。
彼は黒人と白人とから成るバンドを率いて、ルイの生家と同じ建物にある、市のジャズ博物館で慈善演奏会を開きました。
アームストロングがアメリカのジャズの発達に尽くした貢献は、まさに不滅のものと言ってもよいでしょう。
彼の仲間のミュージシャンたちが、このことを最もよく物語っています。
ディジー・ガレスピーによると、「黒人音楽の世界で、このダニエル・ルイ・アームストロングという名人ほど、一つの芸術分野の中で卓越していた人間はこれまでには現れませんでした。
彼のスタイルは、サクソフォン奏者といい、トランペット奏者といい、ピアニストといい、ジャズ界のすべての楽器奏者が等しく模倣しました。」
かつてアームストロングと競演したピアニストのテディー・ウィルソンは、次のような意見を述べています。「ルイほど偉大なジャズ・ミュージシャンは、いまだかつていません。
彼は、優れたミュージシャンの要素をすべて備えています。
彼が持っているバランスの感覚・・・これは中でも最たるものです。
このほかに次のようなものを備えています。音色、ハーモニーのセンス、盛り上がり、技術面での熟達、独創性……。彼には欠点がありません。」
マイルス・デービスの意見では、「およそ彼が出したことのない音を、トランペットで出すことは不可能です。」
しかし最も有名なことばは、自分自身も偉大なジャズ・アーチストだったデューク・エリントンの次のことばです。「もし、仮にミスター・ジャズと称すべき人物がいるとしたら、それはルイ・アームストロングです。
彼は古今東西を通じて、ジャズの権化です。
彼こそは、私がアメリカの標準・・・アメリカの原型・・・と呼んでもいいものなのです。」
一口に言うと、サッチモはジャズの革命をやってのけたのです。
彼の特殊な才能のおかげで、アメリカ黒人の古来の音楽が、すべてのアメリカ人の音楽になったのです。
最後に、人間アームストロングの偉大さがあります。
アームストロングは裕福ではありましたが、彼の生き方は比較的簡素なものでした。
ロング・アイランドのクイーンズにあった彼の家は、ロング・アイランドの労働者の住宅地域にある小さな家でした。
アームストロングほどの資産のある人間としては、驚くほど質素な外観の家でした。
しかし彼の家は、隣人の友であり、近所の子どもの人気者であった人間の、飾り気のない人柄をよく表しています。
彼の寛大さも、同じく控え目で目立たないものでした。
公民権運動に対してみせた気づかいばかりでなく、ルイは自分が子どものころ世話になった少年院にも、気前よく寄付をしました。
彼は、ほかにも多くの人に援助を与えていました。
『エボニー』誌によれば、昔の友人のミュージシャンの未亡人は、週50ドルの援助を何年にもわたって受けていました。
ルイ自身は、子どものころの貧困から逃れることができましたが、決して他人のことを忘れませんでした。
ミュージシャンとして、あるいは友人として、人々を幸せにすることがサッチモの生涯の特質です。
彼自身のことばを借りるならば、「世界中の金を集めてみても、それよりは1人の人間が満足することのほうが尊い。」のです。
1971年6月6日、ルイ・アームストロングは睡眠中に静かに世を去りました。
多くの人々が、ニューヨークの造兵廠に正装安置された彼の遺体の前を、行列を作って通り過ぎました。
あらゆる年齢、人種、階層の人々が会葬しました。
全世界から賛辞が贈られました。
ニューオーリーンズでは、彼をしのぶ追悼式が行われましたが、ここでは、この町の最も有名になった息子たちの一人の徳をたたえようとして、15,000人が集まったと推定されています。
ニクソンもと大統領のことばを借りるならば、ルイ・アームストロングは、「アメリカの芸術の様式を打ちたてた建築家の一人であり、何物にもとらわれない個性的な人物であり、世界的に名声を博したアーチストでした。」
これに加えて、彼は善良で飾り気のない人間でした。"
 
Reproduced by the courtesy of the Voice of America
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