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The Adventures of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの冒険

A Case Of Identity 花婿失踪事件 5

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「うむ、あの女が身につけていたのは、黒板色で鍔広の麦わら帽子、赤煉瓦色の羽根付き。
上着は黒で、黒のビーズがいくつも縫いつけられていて、小粒の黒玉の飾りが裾のふさ縁に。
衣服は茶褐色、コーヒーよりもやや濃く、首元と袖には少し紫色のフラシ天が。
手袋は鼠色で右の親指がすり切れている。
靴は見ていない。
小振りの丸い金の耳飾りをぶら下げていて、全体としては相当裕福そうだが、実際はのんきでおっとりした町娘だ。」
 シャーロック・ホームズはそっと手を叩いてほくそ笑む。
「これはこれは。ワトソン、驚くほど上達している。
まったく実にうまくやったものだ。
なるほど要点はことごとく見落としているが、方法は当たっている。色に目ざとい。
全体の印象に囚われず、そう、細部に注目したまえ。
僕が真っ先に見やるのは、常に女の袖だ。
男ならまずは穿いているものの膝とするのがいいだろう。
君も見た通り、この女の袖口にはフラシ織があった。これは跡がつきやすい、極めてありがたい生地だ。
手首の少し上の二重線はタイピストが机に押し当てる場所にあたり、まさにくっきりと付いている。
手動のミシンでも同じ跡が付くが、左腕だけ、しかも親指の反対側に付く。その代わりタイプでは右の広範囲にわたる。
それからあの女の顔を見ると、鼻の両側に鼻眼鏡の跡がわかったから、あえて近眼とタイプ打ちのことに触れて、相手を驚かせたという次第だ。」
「驚いたのは私もだよ。」
「しかしあれはまだわかりやすい。
そのあと僕は見下ろして相当驚き、興味を持ったのだが、女の履いていた靴、互いに似ていないでもないが、実は別々のもので、一方にはつま先の革にわずかな飾りがあって、もう一方にはなかった。
それに一方は五つのうち下の二つの釦しか留められておらず、もう一方は一つ目、三つ目、五つ目。
ここでわかるのは、ある若い女性が身なりはきっちりしているのに、別々の靴をしかも釦を半分しか留めずに自宅からやってきたということだから、急いでお越しにと言っても大した演繹でもない。」
「そのほかは?」と訊ねる私は、友人の鋭敏な推理にいつものように興味をかき立てられていた。
「ではついでに気づいたことだが、あの娘は、着がえを完全に済ませてから家を出るまでのあいだに、何かを書き留めている。
君も女の右手袋の指先がすり切れているのを認めているが、どうやら手袋にも指にもすみれ色のインクがついていたのはわからなかったようだ。
書き急いだためにペン先を深く浸しすぎたのだ。
今朝のことに違いない、でなければ指に跡がくっきり残らない。
このことだけでも面白いが、かなりの初歩といったところか。ところで仕事に戻らねば、ワトソン。
済まないが読み上げてくれないか、ホズマ・エインジェル氏の尋ね人広告とやらを。」
 私は小さなゲラ刷りを灯りにかざしてみた。
「十四日朝失踪、ホズマ・エインジェルなる紳士。
身長五フィート七インチ、体格よし、顔色悪し、黒髪、頭頂に小禿あり、たわわな黒い頬髯口髭、色眼鏡、話し方はやや訥々、
失踪時の服装は黒のフロックコート、黒のベスト、金のアルバート鎖、下はハリスツイードの鼠色、ゴム布の長靴に茶褐色のゲートルを重ねる。
過去レドンホール街の事務所に勤務。
情報提供者には――」
「結構。」とホームズ。
「手紙の方は……」と言いながら目を通していたが、「ごく普通のものだ。
エインジェル氏の手がかりはここにまったくない。ただバルザックからの引用があるくらいだ。
しかしひとつ際だった点もあって、それには君も面食らうだろう。」
「みなタイプ打ちだ。」と私が言うと、
「あろうことか、署名までタイプ打ちだ。
下に『ホズマ・エインジェル』と小さく器用に打ってあるだろう。
ほら日付もあるが、差出人の住所にはレドンホール街とあるだけで、かなり曖昧だ。
署名のこの点はかなり含むところがある――事実上の決め手とも言える。」
「何のだね?」
「やれやれ、このことが事件にどれだけ大きなものか、君にだってわかるだろう?」
「何と言ってよいやら、これは誓約不履行の訴えを起こされたときに、署名を否認したい、ということなのか?」
「いや、そこは論点ではない。
とにかく二通手紙を書こう。そうすれば事は片づく。
一つは中心区《シティ》のある会社へ、もう一つはあの若い女の義父なるウィンディバンクへ。明晩六時にここで面会したく候、と伺いを立てる。
我々が取引するなら、男の親類の方がいいだろう。
さて博士《ドクター》、この手紙の返事が来るまで何もできることがない。だからこんな些細な問題はしばらく棚に上げておこう。」
 私はこの友人の鋭い推理力と並はずれた行動力をこれまでのことから信頼しきっているので、今回の事件に関しても、その解明を依頼された奇妙な謎の扱い方が自信ありげで気楽なものであるからには、何か確固とした証拠がすでにあるのだろうと感じていた。
確かに彼でも失敗に終わることがあると、間近で思い知らされたこともあった。ボヘミア王とアイリーン・アドラーの写真の一件であるが、『四人の誓い』の不思議な依頼や『緋のエチュード』にまつわる異常な展開を思い出すにつけ、わが友人に解きほぐせぬものとは、それこそ奇妙にもつれたものであると思えてならない。
 そのあと私は退室したが、そのときもまだ黒い陶製のパイプを吹かしていた。あくる晩、私がまた来たときにはきっと自分は手がかりをみな手中にしているぞ、そして失踪したメアリ・サザランド嬢の花婿の正体へと迫るのだ、と言いたげなふうであった。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Asatori Kato, Yu Okubo
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