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Sherlock Holmes Collection シャーロック・ホームズ コレクション
A Study In Scarlet 緋色の研究 第二部 第五章 3
Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「式は昨日――つまりあの献堂館の旗はそういうことだ。
ドレッバーの若造とスタンガスンの野郎のあいだで、女をどっちのモノにするか話し合いがあってな。
ふたりとも人を引き連れて出てって、それからスタンガスンが女の親父を撃った。だからやつにはもっともな理があったようだが、評議会での徹底討議ではドレッバーの連中が優位でな、そこで預言者は女をやつに引き渡したわけだ。
まあどっちにせよ長くモノにはできないね、だって昨日その顔に死相が見えたからな。
ありゃ女というより抜け殻みたいだったよ。おい、もう行くのか?」
「ああ、行くよ。」とジェファースン・ホープは腰を上げる。
その顔はまるで大理石の彫像よろしく表情が硬くこわばっていたが、それでいて瞳は禍々しい光に燃えていた。
「心配ない。」と答え、肩から銃器を吊して谷の方へ大股で歩いていき、野獣どもの巣窟たる山脈のさなかへと消えてゆく。
義父の非業の死のせいか、忌まわしい強制結婚のせいか、もはやルーシィはうつむいたままで、嘆き暮らすひと月のまにみるみる痩せ衰えていった。
酒好きの夫がこの女と結婚したのも、もっぱらジョン・フェリアの財産目当て、死に別れても悲しむ素振りさえしなかった。他の妻らは女を悼み通夜も付き添ったが、モルモンの習いに従っただけのこと。
朝早い時間に棺を集団で囲んでいたときだった、その恐れ驚きは言い表しようもないが、扉がばんと開け放たれ、獣と見紛うばかりの日焼けた男がぼろをまとって部屋へ上がり込んだのだ。
縮こまる女どもには一顧だにせず、無言のまま返事のない白い屍しかばねへと歩いて行く。かつてルーシィ・フェリアの無垢な魂を宿していた骸むくろだ。
男は覆い被さり、うやうやしくその冷たい額に口をつけ、そのあと手を取ってその指から結婚指輪を取り外す。
「そのままで埋めさせてなるものか。」と吠えると、取り押さえられるよりも早く階段を駆け下りて消えてしまう。
いきなりの奇妙な一幕に、居合わせた者らも自らの目を疑うほどで、花嫁だったことを示す金の指輪がなくなったという紛れもない事実がなければ、他の連中にも信用してもらえなかっただろう。
数ヶ月のあいだジェファースン・ホープは山々をさまよった。まったく獣じみた暮らしで、宿した獰猛な復讐心を心のなかで育んだ。
街の噂では、郊外あたりをうろつく不審者がいるとのことで、人里離れた谷にも出るという。
あるときなど一発の銃弾がスタンガスンの居宅の窓に撃ち込まれ、本人から一フィートとないところの壁にめり込んだ。
また別のときには崖下を通るドレッバーめがけ大きな岩が上から落ちてきたが、何とか顔をかすめただけで死なずに済んだ。
やがてモルモンの若者ふたりにも、命狙われるわけに見当がつく。そして敵を捕らえるなり殺すなりしようと山狩りを繰り返すに至ったが、いつも不首尾に終わった。
そののち用心して夜間やひとりでの外出を控え、館に護衛を立てることにした。
しばらくしてその対策もゆるめることができたが、それも敵の音沙汰がさっぱりなくなり、時がその復讐心を鎮めたかに思えたからだ。
ハンターの意思は固くたゆまぬもので、頭はもはや仇討ちだけにとらわれ、他の感情の入り込む余地はなかった。
悟ったのだ、たとえ鋼はがねの気質であれ、おのれに絶え間ない緊張を強い続けるのは無理であると。
それこそ敵の思う壺だと思い、男はしぶしぶ馴染みのネヴァダの鉱山へ戻り、身体を回復させて目的を不自由なく追えるだけの金を集めることにした。
せいぜい一年の間を置くだけのつもりだったが、不測の事態が重なって五年近くも鉱山を出られなかった。
長く空いたとはいえ、過ちの記憶と復讐への渇望は、やはりジョン・フェリアの墓前で立ち尽くしたあの忘れ得ぬ夜からまったく変わりない。
変装し、偽名を使ってソルト・レイク・シティへ戻り、おのれの命も省みず、ただおのれの知る正義をなす一心だった。
だがこの選民らは数ヶ月前に分裂しており、教会の若い衆が長老の権威に反発して、その結果相当数の不平分子が抜け出て、ユタを離れ異教徒となっていた。
そのなかにドレッバーとスタンガスンもいたのだ。しかも誰ひとりその消息を知らない。
風の噂では、ドレッバーは財産の大半を何とか金に換えて大金持ちとして出発したが、それに比べて道連れのスタンガスンは金がなかったとか。
仇狙う心いかに強くとも、このような困難にぶち当たっては復讐の心も折れる者がほとんどだが、ジェファースン・ホープはちっともひるまない。
先立つものはあったが、足りないところはその場その場で働きつつ、敵を探して合衆国を街から街へ旅していった。
年月が過ぎ、黒い髪にも白髪が交じるも、それでもこの人の形をした猟犬は、生涯を賭けただひとつの目的に心を砕いて歩んでいく。
窓に顔がひと目見えたのだ。それだけでもよかった、オハイオ州クリーヴランドに求める男どもがいるとわかればと、
早速みじめな下宿へと戻って復讐計画を周到に進める。
ところがたまたまドレッバーも窓に目をやっていて、道ばたの放浪者に気づき、相手の瞳に殺意を読み取っていた。
あわてた彼は個人秘書となっていたスタンガスンをつれて治安判事の前へ行き、昔の恋敵に嫉妬・逆恨みで命を狙われていると申し立てる。
その晩ジェファースン・ホープは引っ立てられ、身元引受人も見つからないまま数週間勾留された。
やっと解放されたときには、ドレッバーの居宅ももぬけの殻、気づいたときには秘書ともども欧州へ出発していた。
また仇に巻かれたが、憎しみはいっそう募り、追うその足も止まらない。
だが資金も尽きたため、追跡の旅のために節約しつつまたしばらく働くことに。
何とかやっていけるだけ集めてようやく欧州に出ると、卑しい仕事に励みながら都市から都市へ仇のあとを追った。ところが逃げる相手に追いつけない。
サンクト・ペテルブルグに着いたと思えば、相手はパリへ発ったあと。そこへ追いかければ、すんでのところで相手はコペンハーゲンへと出たばかり。
そのデンマークの首都でも数週遅れで、相手はロンドンに旅立ったあと。しかしついにその地点で狐を穴へと追い込むことに成功。
そこでの出来事については、このハンターの供述よりも、すでに世話になっているワトソン博士の日誌、正しく記されたものを引くのが順当だろう。
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo