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ホーム青空文庫シャーロック・ホームズ コレクション 最後の挨拶

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Sherlock Holmes Collection His Last Bow シャーロック・ホームズ コレクション 最後の挨拶

The Adventure Of The Dying Detective 瀕死の探偵 4

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 実を言うと、医師を連れてくる気はやや薄らいでいた。気の毒にホームズの口からは譫言しかでないので、残していくのは危ういと思えたからだ。
とはいえ、今となっては先に拒んだときと同じくらい、執拗に指名した人物の診察を受けたがっていた。
「そんな名前、初耳だが。」と私は言った。
「おそらくそうだろう、ワトソンくん。
聞いて驚くだろうが、この病にこの世で最も熟知している人物は、医者ではなく農園主なんだ。
カルヴァトン・スミス氏はスマトラの有名な入植民で、ちょうどロンドンに来ている。
この病が彼の農園で発生したとき、医療も受けられない奥地だったため、やむなく自力で研究し、多大な成果を上げた。
彼は実に規則正しい人物だから、六時以降に行ってほしかった。そのときなら書斎にいるとわかっているからだ。
何とか君が彼を口説いて連れてきて、彼だけが持つこの病の知識の、一番の趣味である研究の恩恵を受けられれば、僕は助かるに相違ない。」
 私はホームズの発言を前後まとまったものとして書き、そのあいだに挟まれるあえぎ声や、頻りに動く手などを、彼の受けている苦しみとして描き出すつもりはない。
ホームズの様子は一緒にいたわずか二、三時間のうちに、いっそう悪くなっている。
消耗熱の発疹も顕著になり、両目も以前より深くくぼみ、いっそうぎらぎらしている上に、冷や汗さえ額に認められる。
とはいえ、それでも口調はいつもの慇懃無礼。
息を引き取るまでずっと負けず嫌いでありたいのだ。
「彼には、僕がどんな様なのか正確に伝えるんだ。」とホームズは言う。
なるほど、わからない。なぜ大洋の底一面が牡蠣で埋め尽くされないのか、あれほど多産の生物なのに。
ああ、何を言っているのだ、僕は! 
不思議だ、脳が脳を統御するなんて! 
僕は何の話をしていた、ワトソン?」
「カルヴァトン・スミス氏に私が何を言うか。」
「ああ、そうだった。僕の命はそれ次第だ。よろしく頼んでくれ、ワトソン。互いに相手をよく思っていない。
氏は自分の甥を、ワトソン――始末したと僕は疑っていて、それとなく悟らせたんだ。
その少年はむごい死に様でね。
氏は僕を憎悪している。
なだめてくれ、ワトソン。
頼んで、頭を下げてくれ。何とかしてここへ呼んでくれ。
僕を救えるのは――彼だけなんだ!」
「辻馬車に連れ込んでもいい、どうしても運ぶっていうんなら。」
「そんな手はなしだ。口説いて来てもらうんだ。
そうしたら先に帰ってくるんだ。
一緒には行けないと何か口実を作って。
忘れるな、ワトソン。へまはせぬように。今までも一度としてなかったが。
間違いない、生物の増殖を妨げる自然の敵がいるのだ。
君と僕は、ワトソン、自分の本文を果たしている。
だから、世界を牡蠣などに蹂躙させてたまるか。
いやいや、恐ろしい! 君は思うところをみんな伝えるんだ。」
 立派な賢者が一つ覚えの子どものようにわめき立てる姿に胸を詰まらせつつ、私は彼のもとを後にした。
ホームズは私に鍵を手渡したので、安心して持ってゆくことにした。これで中から閉ざされても平気だ。
ハドソン夫人は廊下で待っていて、震えながら泣いていた。
階段へ向かう途中、ホームズの高くか細い声で、譫言のような歌が聞こえてくる。
下で辻馬車の呼子を吹いて待っていると、ひとりの男が靄のなかから近づいてきた。
「ホームズさんの容態は?」と男は訊いてきた。
 古なじみのモートンだった。スコットランド・ヤードの警部で、ツイードの私服を着ていた。
「重態です。」と私は答えた。
 モートンはいささか妙な顔で私を見つめた。
目は刃物のようだが、それを見ず顔だけに明かり窓の光を当てたら、喜んでいるとも受け取れる、といった具合だ。
「そんな話らしいですね。」と警部は言う。
 馬車がやってきたので、私はお暇した。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Yu Okubo
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