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The Return of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの帰還

The Adventure Of The Empty House 空き家の冒険 5

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
 その家の中は漆のように暗かったが、私はすぐに空家であると気がついた。
床板はギシギシときしみ、壁からは紙片が、リボンのように垂れ下っているのが手に触った。
ホームズはその冷い痩せた指を私の手首にまいて、天井の高い下をぐんぐん進む、私は朧にドーアの上に、欄間窓を見止めた。
ここでホームズは右に曲り、我々は四角な大きな室に来た。角々は暗黒に翳り、ただ中央だけが往来からの余光でかすかに明るい。
近くにはランプも無く、また窓は埃が厚く積っているので、我々はただお互にその輪廓を見止め得るだけであった。
彼は私の肩に手をかけて、唇を耳元に持って来た。
そして囁いた。「どこに来たかわかるかね?」
「確にベーカー街だろう」 私は暗い窓を通して外の方を見つめながら答えた。
「そうだ。俺たちは俺たちの古巣の向いの、カムデンハウスに居るのだ」
「しかしどうしてこんな処に来たのだ?」 私は訊ねざるを得なかった。
「うむ? それはあの絵のような建物を、一眸の中に収めようと云うためさ。
ワトソン君まあ御苦労でも、もう少し窓の方に寄って、あのお馴染の室を仰いでみたまえ。もっともよく注意して向うから見つからないようにしなければならないよ。あの室こそは俺たちの、冒険史の振り出しだったろうがな。
まあ三年の間失踪しても、腕は鈍らないつもりだがね」
 こう云われて私は、窓の方に進み寄ってお馴染の窓を見やった。
 果然! 私はただあっと驚かされてしまった。
窓かけは下され、中には煌々とした灯火が輝いているが、
――やがてその影絵は、頭を半廻転させたが、そのポーズこそ我々の祖父母たちが、好んで額縁に入れる、黒色半面画像、
――シャーロック・ホームズの復製ではないか!
 私はあまりに不可思議なので、手をのばしてもしや本物のシャーロック・ホームズが側に居るかどうかを確かめた。
彼は身体をゆすりながら、微笑をかみ殺していた。
「どうだね?」 彼はささやいた。
「おい助けてくれ。これは驚いた。これは全く驚いた!」 私は悲鳴を上げてしまった。
「僕は確信しているのだが、年齢も自分の無限の変心性を凋ますことは出来ず、また習慣もそれを腐らすことは出来ないね」 彼は云った。私は彼の声の中から、芸術家が創作の上に持つ、歓喜と矜持と同じものを感得するのであった。
「とにかく似ているかね」
「似ているも何もない、――僕はてっきり君自身と思わされてしまったほどだ」
「そうか、しかしこの成功の栄誉は、グレノーブルの、オスカー・ミュニアー氏に帰すべきものだよ、氏は数日を費して模型してくれたのだ。
あれは蝋の半身像だよ。
今日の午後、ベーカー街に行っている間の、俺の安息している姿さ」
「それはまたどうしたことなの?」
「うむ? いやワトソン君、実は僕はどこに出ても、常にあの室に居るものとある者に思わしめなければならない、重大な理由があるのだ」
「それではあの室は監視されていると云うのかね?」
「うむ。あの連中はたしかに監視していることを知ったのだ」
「それは一たい誰のことさ?」
「ワトソン君、それは僕の旧怨の者共さ。
あのライヘンバッハ瀑布の水底に横わっている屍を主領とする、例のお歴々たちさ。
君も知っている通り、あの連中だけが、僕の生存を確認しているのだからね。
不断の監視をなし、しかも今朝は僕の帰還したのを目撃したのだ」
「君はまたそれをどうしてわかったのだね?」
「僕はちらりっと窓の外を見た時に、彼等の見張りを見止めたのだ。
その者の名前はパーカーと云い、咽喉を締めて追剥するのが稼業、別に大して害意のある男でもなく、口琴の名手だ。
僕はもちろんこんな男は意にも介しないが、
しかしその背後には、もっともっと怖ろしい人物が居るのだ。あのモリアーテー教授の腹心の友で、かつて僕に断崖の上から、大石をころがして落した男、――ロンドン中で最も狡智な、そして恐ろしい犯罪者さ。
この人間がすなわち、今夜、僕に尾けたのだが、ところがワトソン君面白いことには、その人間がかえってこの俺たちに尾けられていることは知らないのだ」
 こうして私の友人の計劃は着々と効を奏して来て、
最も時宜を得た退却に因って、監視者は被監視者となり、追跡者は被追跡者となってしまった。
向うの角ばった影絵は餌で、自分たちは猟師であった。
吾々は暗の中に立って、黙々としたままで、忙わしそうに往来する姿を見守った。
ホームズはいよいよ黙していよいよ動かない。しかしその注意力は依然驚くべきものである。彼の目は往来する人々の流れに、ピタリっとつけられたままであった。
風は街頭を吹きまくって、物凄い夜であった。
人々は外套と襟巻に包まれて、右往左往している。
私は一二度は同じ姿に、目が止まったような気もした。その中に特に二つの姿で、街路からちょっと引っこんだ家の戸口に、風を避けているらしいものに、目が止まった。
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami
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