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The Memoirs of Sherlock Holmes シャーロック・ホームズの思い出

The Crooked Man 背中の曲がった男 3

Sir Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル
AOZORA BUNKO 青空文庫
「卑怯者!」と夫人は何度も何度も繰り返す。
「今さらどうしろと? どうしろというの? 私の人生を返して。
もうあなたと同じ空気を吸うなんてまっぴらよ! 卑怯者! この卑怯者!」
というようなのが会話の切れ端なのだが、やがていきなり男の恐ろしい叫び声が物音とともにあって、そしてつんざくような女性の悲鳴。
これは何か悲劇が起こったのだと確信して、御者は戸に体当たりして押し破ろうとしたのだが、そのあいだも室内からひっきりなしの悲鳴。
ところがなかに入れず、女中たちも怖じ気づいて御者の手伝いもできない。
が一案が浮かんで、御者は玄関の戸から走り出て芝地を回り込み、例の長いフランス窓のところへ向かった。
すると窓の片側が開いていて、そのこと自体は夏ならありがちだと思うのだが、難なく部屋へ飛び込んだ。
悲鳴はやんでいたが、夫人は気を失って長椅子の上にのびており、もうひとりの方は片足を肘掛椅子の手すりへだらんと懸け、頭を炉格子の端近くの地面に転がしたまま、血だまりのなか、あいにく事切れていた。
自分では主人をどうにもできないと悟って、御者がその場で考えたのは、もちろん戸を開けることだったのだが、
ここで思いも寄らぬ妙な障害が現れてくる。
鍵が戸の内側に挿さっておらず、また部屋のどこにも見あたらない。
だから御者はまた窓から外へ出て、警官と医者の助けを呼んでから戻ってくる。
女主人はむろん最たる容疑をかけられたわけだが、気を失った状態のまま自室へと移された。
そののち大佐の死体はソファに横たえられ、悲劇の現場が詳しく調べられた。
 歴戦の勇者が受けた外傷は後頭部、長さ二インチほどのギザギザとした裂傷とわかった。鈍器の強烈な一撃によるものなのは明らかだった。
凶器と目されるものの推測はすぐについた。
床の上、死体のそばに骨の柄がついた堅い木彫りの風変わりな棍棒が転がっていたのだ。
大佐は出先の様々な戦地から武器を持ち帰り、多彩な収集を行っていた。警察はこの棍棒もその戦利品のひとつだと考えた。
使用人たちはこれまで見たことがないと言ったが、邸宅内には珍品が数多いため、見落としている可能性もある。
そのほか重要なものは警察も室内には見つけられなかったが、ただ奇妙な事実としては、バークリ夫人の身体にも死体の身にも部屋のどこにも、消えた鍵が見つからないということがある。
結果として戸はオールダショットから錠前屋を呼んで開けねばならなかった。
 これが現状だ、ワトソン。火曜朝、マーフィ少佐の依頼で捜査活動の手助けをしにオールダショットまで出向いた時点での。
ここまででも君は問題の面白さに同意してくれるだろうが、調べてすぐ、最初の見当以上に異常極まりないと実感した。
 室内の調査の前に使用人たちにも聞き込んだのだが、これまでに言った事実を引き出せただけだった。
ただひとつ面白いのは、住込女中のジェイン・ステュワートの思い出したことだ。
ほら、彼女が争う音を聞いてすぐ下りて、他の使用人たちと一緒に戻ってきただろう? 
その最初のとき彼女ひとりだったわけだが、その話では夫妻どちらの声もくぐもってほとんど聞き取れず、言葉というより雰囲気から言い争いだと思ったと。
だがさらに問い詰めると思い出して、夫人の口から二度『デイヴィド』という言葉が出たのだという。
この点にこそ、突然の口論の原因へ迫る最重要の手懸かりがある。
大佐の名前はほら、ジェイムズなのだから。
 この事件でひとつ、使用人・警察双方に最も強烈な印象を残したものがある。
それは大佐の歪んだ顔だ。
彼らの説明によれば、人間の顔が見せうる限界とでもいうべき、すさまじい恐怖の形相だったそうだ。
見ただけでもひとりならず気を失ったほど、その迫力はすごいものであったと。
当人がおのれの運命を知り、極度の恐怖に陥ったのはまず間違いない。
もし大佐が自分を殺そうとする妻を見たのであれば、もちろん警察の説とも整合性がある。
後頭部に傷がある事実は決定的反証とはならない。一撃を避けようと身体を翻したおそれもある。
夫人からは情報は得られなかった。脳炎の急な発症で、一時心神喪失になっていたからだ。
 またこれは警察から知ったことだが、モリソン嬢、ほらあの晩バークリ夫人と出かけた女だ、彼女が帰りに夫人がどうして不機嫌だったのかまったく心当たりがないと証言しているとか。
 こうした事実を集めてから、ワトソン、僕はパイプを次々と吹かしながら、核心的なものと単なる末節とを分けようとした。
この事件で独特の意味を持つのが、戸の鍵の奇妙な消失であることには疑問の余地がない。
念入りな探索にもかかわらず室内では発見されず。
とすればここから持ち去られたに相違ない。
が、大佐にしても大佐夫人にしても、持ち出せたはずがない。
それが明々白々となると、
つまり第三者が部屋に入ったほかになくなる。
そしてその第三者の侵入経路は窓しかありえない。
部屋と芝地を念入りに調べたらきっとこの謎の人物の足跡でも見つかる、そう僕は踏んだ。
ご存じ僕のやり口だ、ワトソン。
それを今回の捜査へ徹底的に使った。
そしてついに足跡を見つけたのだが、予期していたものとはずいぶん違っていた。
部屋のなかには男がひとりいて、道から芝地を越えてやってきたのだが、
その足跡の綺麗な型が五つ取れた。ひとつは道路、低い塀を登った地点にあり。ふたつは芝地、そしてもうふたつが入った窓のそば、汚れた板の上に浅く。
見たところ芝地を駆け抜けたらしい。というのも、つま先の方がかかとより深くついていたからだ。
だが僕を驚かせたのはその男ではない。
連れの方だ。」
「連れ?」
 
Copyright (C) Sir Arthur Conan Doyle, Otokichi Mikami, Yu Okubo
主な掲載作品
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